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死にがいって確かに当てはまる言葉〜
共感は少なかったけどよく理解できる
あやなちゃんの最後の言葉、わかりやすかったなぁ
争いをわざとおこして自分の価値を確認する子がいるって
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主役二人を第三者の視点で描いていくのが面白く、二人の成長をさらに遠い第三者として見てめていく感覚が面白くてどんどん読んでしまった。
題名だけが、ピンとこないなぁと思っていたら、最後に集約されていてゾクゾクした。
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弓削の所のコーヒーの表現に気づいた時、朝井リョウの細かい比喩表現のうまさに驚いた。晃子との対立。他も見逃してそうで読み返したくなる。
雄介の行動は決して称賛を浴びるべきものでは無いけれど、その行動の理由は理解できて完全には憎めない。誰しもが自分は他と違う、他より優れてる、と思いたいけど結局は自分の思う方向に向かわない。他人と比べないで目の前のものにただ向き合って行く人がうまく人生を生きられると気付かされた。
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初めての朝井リョウ作品。
タイトルや背表紙の作品紹介等から、当初は読むつもりは無かった。
けれど伊坂幸太郎のシーソーモンスターを読了後、『螺旋』プロジェクトを一通り楽しむことにした。
朝井リョウさんの作品は、物語の濃淡が完璧だった。
初めて触れる朝井リョウ作品に対して、私はそのタイトルから、読み進めるのにこちらが苦しい思いをするのでは?と警戒していた。
けれど、第一章白井友里子はサラリとした読み心地で、展開もゆっくり。
やや不穏な空気が漂うものの、読みやすい文章でホッとしながら読んだ。
続く前田一洋も、次の坂本亜矢奈も、安堂与志樹も、
其々のキャラクターにイライラしたり、モヤモヤしたりしながら、驚くほどサクサク読めた。
でも、弓削晃久の章を読み進めるうちに気が付いた。
サラリとした印象だった内容は、いつの間にか、じわりじわりと濃さを増していた。
「なるほど。取り巻く人々目線で、海族山族である南水と堀北を炙り出す書き方ね」なんて余裕で構えていたけれど、そんなもんじゃなかった。
登場人物たちは南水と堀北を眺めながら、リアルさを持ってこちらに様々な問題提起をしていた。
物語の中で時が流れ、別章の人物が再び現れては繋がり、絡み、影響し合う。
気付けば、始めは距離を保ってゆったりとした関係性だった登場人物たちが、物語の本髄(中心)が近付くにつれ、重なりあう程に近付き渦を巻いていた。
カタツムリの殻皮の『螺旋』のように。
さらにその渦は、南水智也の父親、いやもっと先代から始まっていると語られ、果てしない歴史と巨大なカタツムリの終わらない螺旋模様にゾッとした。
海山の対立というだけでなく、個々の人物たちが繋がって絡んでゆく見事な『螺旋』だった。
それを、現代社会で私達が日々感じている「様々なモヤモヤ」や「生きづらさ」に落とし込みながらストーリー展開してゆくのも見事だった。
登場人物たちにおける個々の事例にも、沢山沢山思うところあるのだけれど、それを述べ始めたら私個人の考えに偏りすぎて読書レビューからズレていってしまうだろうから、止めておこうと思う。
ただ、浅はかな方法で不自然に平和に成るよう整えられた現代社会は、いつかどこかでシワ寄せが現れる。
そのシワ寄せ、もう現れてるなと思う。
巻末の特別付録を読んで、物語の中なんかじゃなく、現実のものとして怖くなった。
さて、「死にがいを求めて生きているの」は1つの作品として楽しめたし、朝井リョウさんの凄さも堪能出来たし、ますます今後の『螺旋』プロジェクトが楽しみだ。
【蛇足】
様々な本を読んでいると、不思議な感覚に襲われることってないですか?
全く別の作家さんの作品なのに、先日読み終えた小説の主人公の名前を、今日読み始めた小説の冒頭で見つけたり。
ふと本を開いたら、私自身のちょっとした悩みに対しての答えが書かれていたり。
こういう感覚も、パレイドリアの一種なんでしょうかね。
偶然とは分かっていながらも、自分だけの特別な啓示のよう��、こういう感覚が訪れた瞬間が楽しい。
で、「死にがいを求めて生きているの」を読み終えた翌朝、読み掛けだった木下龍也さんの歌集を開いた時、それが訪れた。
「生きてみることが答えになるような問いを抱えて生きていこうね」
「死にがいを求めて生きているの」を読み終えて、暫くあーだこーだと考えを巡らせていた私にとって、全く別の角度から優しく助け船を出されたようで、あたたかい気持ちになった。
【追記】
伊坂さん→朝井さんの順で読んだら、当初書こうとしていた内容が1つ飛んでしまった 笑
もしこれから伊坂作品を読まれる方がいらしたら。
「目覚めない南水を見舞う堀北」この構図が、伊坂作品で、「別の人物たちが違った思いを持った見舞いの形」として回収されます。
勿論、その人物たちも海族と山族です。
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社会に貢献しないと生きる意味がないと私も若い時は思っていました。だからこそ福祉の現場で頑張っていた。でも今は違う。平成真っ只中生まれの娘達を育てていて思う。その人が存在することに価値がある。どんな活動していようが、その人の価値は活動では決まらない。周りの人を愛して愛される人に成長していく姿を見て母は嬉しい。
どんなに距離を置いても関わり合ってしまう螺旋状態。お互いが気持ち良く過ごせるようにというのはいつの時代も課題。
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それぞれの時代にそれぞれの生きづらさがあるのだなと思った。その生きづらさを言語化できる筆者はすごい。
今まで朝井さんのエッセイばかり読んでゲラゲラ笑ってたけど、もっと小説も読みたくなった。
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読み進めるのが辛くて、でも読まずにいられない、そんな物語。
誰もが一度は経験するような、心の奥底がさらけ出されるシーンのなかで、頭の中でリフレインされる語り部の独白が心に刺さる。辛いな…
できるなら、あのキラキラの方へ向かって歩いていたい。若くてエネルギーと時間を持て余してる時はそう思っていたし、キラキラしてる人みたいに自分もなれるはず、いや、ならなきゃいけないって思ってた。大した努力もしてもいないのに、転職すれば、住処や環境を変えれば、って思ってた。
でも、振り返ってみると、その時その時の目の前のことで精一杯で、思い描いていた自分にはなれてない。これまでも、そして今も、ちょっとした虚栄心と居心地の良さに満足する自分。キラキラはしていない、変われない自分。
この歳になって分かったのは、「目の前の人のクマが消える」ことが生きる意味で良いんだってこと。若い自分に教えてあげてください。それでも、やっぱり変われない気もするけど。
Life is not about finding yourself. Life is about creating yourself.
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毎日の繰り返される日々に何を生きがいにして生きればいいのだろう
漠然と繰り返される毎日 そんな日々では…と思いつつも動けていない
そんな日々を過ごす中とったこの一冊
主要登場人物は南水智也と堀北雄介
その他4人の登場人物の多角的な視点で描かれている
特に安藤与志喜が他人のように思えないほど、嫌なほど身近に感じた
承認欲求の塊でいつも特別な何者かになりたがっている
特段興味あるものがないが、他人からどういうことをすればすごいと思ってもらえるかを熟知し他人の期待のためだけに動く
嫌だね、自分そのものだ
やりたいことなんで何もありゃしない
堀北雄介が言った
“今日が何か変わる前日だと思おう
明日は絶対に出会える、その次の日は出会えるって
クッキーの生地みたいに命を引き延ばしていこう“
初めはなんて良い言葉なんだと感じた
読み進めると堀北雄介の異常さや考え方が次第にわかり少し怖くなる
親友を看病するという存在価値に満足しその立場を少しでも長くいようとしているだけに過ぎない
生きる意味を求め
自問自答する日々が続くそんな中、絶対的指標を取り払われた“平成生まれ”の自分が自ら“絶対的指標”を作らないといけない
その指標をはっきりと作っていきたい 今は無理でも徐々に作りたい
そう思えた一冊だ
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競争が排除されても分断は無くならない。でも諦めない。違いは溝を生むけど、違いこそが大きな繋がりをもたらすから。。くらくらするほど途方もない話だけど、その誠実さの端っこをがんばって握っていましょうね、と思わせてくれました。
中盤の「革命家」たちがマウント取り合う様子が生臭くておもしろかった。まぁ、こういう奴いっぱいいるよな〜と思うけど、社会貢献に自己実現をガッツリ重ねて何が悪いの、大いに結構じゃありませんか。あまり関わりたくはないが。
終盤、智也が結局自分にだって立ち向かう何かが必要だっただけじゃないかっていうアイデンティティクライシスに陥りかけるところ、智也の葛藤<著者から読者への説明っぽくてちょっとスベってる感じがしてしまった。
雄介は確かにやべぇヤツだし父親は確かにやべぇ思想の人かもしれないけど、昭和中期生まれくらいの世代の親戚とかと話す機会あれば競争社会に適応した価値観に触れてメタ認知のジャブは済ませられるよね。たまたま今が「そういう時代」ってだけで、わずか30年くらい違っていれば、雄介こそ好ましく、智也は疎ましく受け止められがちだってだいぶ明白でしょーが。まぁでも若者の意識って同年代にしか向かないからな。
朝井氏の表現したいことに螺旋プロジェクトのお題をうまく絡めてると思うけど、やっぱり『正欲』の研ぎ澄まされっぷりと比べると雑味のように感じでしまったかも。
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朝井リョウ3作品目
朝井リョウが手掛けるキャラクターのお母さん世代ゆえ、
共感、、、とはまた違う感覚で楽しませてもらってます
ストーリーとしての山あり谷ありは穏やかであまりないんだけど、若者が敏感に感じてしまうあれやこれやが濃厚につまっている(しかもどの作品も)
若者を一括りにする浅はかなことはしたくないけど
私世代のころよりいろいろと抱えてしまっちゃってる感じ
実際に大学生の息子がいるんで、育て方の問題だと言われればいろいろと考えてしまうところはある
螺旋プロジェクトとはいえ、ちゃんとルール通りなのに
めちゃめちゃ朝井リョウカラーが出ていて、期待通りといえば期待通りだけど
ちゃんと若い時に読んでみたかった
今だと、心は打つけど応用できないっていうか
俯瞰で見てしまうんで
智也の(一部抜粋)
「集団の中にあるグラデーションを見逃さないようにしたいなと思う」
という感覚を、薄皮みたいな厚みでいいから
みんなが持っていればいいと思う
人がひとりで1パターンあるという感覚
とか、そんな風にいろいろと考えてしまっちゃってるじゃん
ちゃんとハマってるって
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読み終える時にはできればサッパリしたかったけど、でもうーん、このなんとも表現しにくい感じを伝えたいのかなぁとも思った。
共感やわかる部分がありそうな無さそうな。
グラデーションの話が印象に残った。
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私は小中高、大学と今日なにやったっけ、このままでいいのかなーと思って生きてきました。この気持ちって社会人になり、働いてお金を稼いでいけば無くなると思っていたが、全くなくならない。ほんとにこのままの人生で終わるのか、終わっていいのか、なんとも言えない気持ちになる。何が生きがいなんだろう。
この本のなかでも出てくるが、生きがいって必要なの?別にそんなものなくてもそのまま生きていけばいいじゃない、と言う人がいる。ほんとにそういう人は黙ってほしい。そういう人は私から見たら自分では実感していない生きがいがある。ほんとに共感した。
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いちばんはじめの話が1番心に残ったしジーンってしてよかった、と思ってたらまさかすぎたよ、、。
こういう人でもほんまにいるなって思ったし、言葉にできないへたくそ、語彙力欲しい
対立する未来が見えるからはじめから離れておくことを選んでも、そこには対立という背景は残る。
智也とあやなが好きかな、智也が目を覚ましてその後は描かれてないけどとりあえず、ゆうすけは自分と向き合う時間を作って欲しいと思った見つめ直して欲しい。でもかわらへんのやろうな
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タイトルを見て、即買った。「死にがい」という言葉が、その時の自分の考えをそっくりそのまま表していたからだ。
私は色んなことにやりがいを感じて生きてきた。その一つ一つが生きがいだと信じてきた。でも、そのどれも達成したつもりになればすぐに消えてしまうものばかりだった。
次のやりがいを見つけて、それを達成するよう奮闘することでどうにか時間を繋いでいる感覚に気づいた。生きる意味を探した時、それが分からなくなった。この2つの経験から、自分の生きる意味はないということ。でも、死ぬことは決まってて、死は自分で決められない(決めたら、人生がそのまま止まって残された人の中で腐っていく)ということに気づいた。だから、自分の人生は死ぬまでの暇つぶしで、いい人生だったと死ねるように、どうにかやる事を見つけて、やりがいをつくって繋いでいると考えるようになった。
それが「死にがいを求めて生きてる」ことだと思った。だから、与志樹の章を読んだ時、就活で話した学チカのバカバカしさに胸が苦しくなった。
ボランティアサークルで、ひとり親家庭の子どもたちに勉強を教えていました。この活動では、ひとり親家庭で経済状況が芳しくない事で塾に通えない子たちのために、無料で勉強を教えています。また、ひとり親という事で淋しさを抱えている子にとっての居場所づくりをすることも目的としています。勉強に集中できない生徒の学習意欲を向上させるために尽力してきました。子どもたちが勉強を楽しく思えるように、積極的に話しかけて生徒の特性や関心を掴み、それと課題の共通点を見つけて生徒自身が課題に興味を持てるように促しました。
ー1日に3千円の交通費という程の給与が出る。勉強がきちんとできる子もいる。むしろ、私たちが話しかけることで邪魔していることもある。ひとり親でも余裕のある子も多く、大半はスマホ片手に塾の課題をやっている。ひとり親でも家族仲が良い子も多く、よく家族の話をしてくれる。参加者の1/3は大学生同士で話している。その一方で、1人で黙々と勉強する子どもがいる。だいたい大学生と仲良くなるのは自分の話をたくさんする子で、大学生はその子に勉強ではなく恋愛相談をする。その話し声が勉強する子を邪魔することもある。子供達の振り返りも大学生ではなく担当の職員が1人で全生徒を担当している。結局、大学生がやっていることはお金をもらって生徒とおしゃべりするだけ。
サークルで、熊本地震の被災地で農業ボランティアをしました。2020年からは現地での活動ができなくなりましたが、現地で被害の大きなを目の当たりにしたことから、この震災被害を風化させてはいけない、この教訓を次の防災に繋げたい、と考え、オンラインでの震災の語り部と防災学習の企画を立ち上げました。現地で語り部をしているサークルと共同で実施し、15名の学生が参加しました。その多くから、この企画を通じて熊本地震の被害を初めて知った、防災について考えるきっかけになった、との声をもらいました。
ー「現地の語り部サークル」には被災した者はほとんどおらず、代表が飛んで活動が立ち行かなくなっている。コロナが明けても、現地でのボランティアを経験した代が引退しているため活動再開は見込みがない。前任者の企画を縮小したものに、コロナ禍でも活動を続けたという体裁を付け加えただけ。
私が就活で話した「ボランティアサークルでの学チカ」は、そうする事で自分が頑張っているように見えるもので、実際に目的が達成されたことはほとんどない。そうやってやりがいっぽいものを見つけて、命を繋いでいくんだと、思った。
おんなじことの繰り返し。でも、かたつむりの螺旋のように少しずつ広がっていく。ぐるぐる回る軌道が同じ道を辿らず、輪が拡大していくのは「違うもの」と対話をするからできることなのではないか、最後の章で思った。
自分が最近感じていた、「違うもの」との関わり方の一つの答えが、対話だとわかった。そしてその対話が螺旋のように人生を拡大させることを知って、死ぬまでの暇つぶしに少し希望ができた気がした。
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話が重い。が、共感できるところが多数ある。他人と競争して目立つことで生きがいを見出している雄介が、かつての自分と重なった。
この物語のなかでは雄介は悪者として描かれているが、誰しも心の中に雄介の一面を持ち合わせていると思う。だからこそこの小説は
とても自分に刺さった。雄介の世の中の人間の3分類は腑に落ちたし、一番目、二番目の分類になりたいと思う。
智也の「ただ生きているだけでいいんだよ」という点も素直に受け入れられないのも確かだ。
だけど、手段と目的が逆転してはいけない。自分が何をやっているのか、何のために行動しているのか、そこを見失わないようにしたい。
そこを見失ってしまっては、ただの自己満足になってしまい、自分や他者を高める方向にベクトルが向かなくなってしまう。
そればかりか、思想が過激化するにつれて対立をあおることになってしまいかねないと思った。
この小説はゆとり世代、とくにいまの20代の若者にとても共感を得られる内容だと思う。今、この小説を読んでおけてよかったと非常に思う。