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2011年3月27日、毎日小学生新聞の「ニュースの窓」に掲載された「東電は人々のことを考えているか」(北村龍行)という記事に、ゆうだい君(仮名)から手紙が寄せられた。
「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です。・・・」
そこには、小学6年生とは思えないほど、きちんと論理だてて書かれた手紙。
原子力発電所をつくったのは誰か、なぜ原子力発電所が必要になったのか、どうして原子力発電を選んだのか、それは東電を含むみんなではないのか。東電だけが無責任ではなく、みんな無責任だったのではないでしょうか。なので、こういう事態こそ、みんなで話し合って、いい案をだしあうことが必要だと思います。(本文よりまとめ)
毎日小学生新聞へ、ゆうだい君の手紙への返事が送られてきました。小学生、中学生〜大人。本の前半はみんなかからの ゆうだい君への返事です。
そして後半、森達也さんが、「僕たちのあやまちを知ったあなたたちへのお願い」と題して、電気について、原子力について、日本で原子力発電所が増えていった歴史について、
また、人間は一人で考えて判断したこととは別に、長いものにまかれて(良くない事でも)やってしまう心理があることなどを紹介している。
僕たちのあやまち、の`僕たち`とは、原爆は安全という言葉を安易に受け入れて、深く考えず、学ばず、興味を持たずに過ごしてきた自分達、大人のこと。(身につまされるなあ・・・)
本の前半、小学4年くらいまでの返事では、ゆうだい君の意見に反対という手紙も多くて ちょっとうんざりしてしまうのだけど、
高学年から大人の返事で ちょっとほっとしました。
森達也さんの後半を読んで、自分の頭で考えられる子になってほしい。
確かな情報を知り、震災を乗り越える 知恵と力をつけ、みんなで協力できる子になってほしい。
なにより、自分には関係無いと切り離し、自分のことを棚に上げて文句ばかり言うような大人にならないでほしい。
これから何十年もかかって みんなで 解決しなくてはならない問題が山積みなのだから・・・
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毎日小学生新聞に載った文章を1冊にまとめた本。
お父さんが東電の社員であるゆうだい君(仮名)が書いた手紙が紙上に掲載され、それを読んだたくさんの人が自分の考えを投稿している。
小学生、中学生、高校生、大学生、お父さん、お母さん、‥たくさんの人が真剣に自分の思いを書いている。私も真剣に読んだし、自分なりに考えた。
そして今までの自分の態度が恥ずかしくなった。
森達也さんが指摘している通り、私もずっと無関心だった。そしてそのことをちゃんと認めていなかった。
中途半端な知識しかないのに、その自覚もなく考えたり話したりしていた自分が恥ずかしい。
分からなかった、知らなかったというつもりか情けない、そういう気持ちだ。
たくさんの意見を読んで感じたことがもう一つあった。
特に小学生の意見に多かったのだけど、この人達が悪いと断言する文章をこわいと感じた。
その中には東京に住む人達が悪いという意見もあって、私はその東京に住む人だからというのもあると思う。でもそれだけではなくて、ちゃんと節電しない人や地震の被害を受けずにそれまで通りの生活を続けている人に対する苛立ちも数は少なかったけれど存在したし、おつりを募金することへの批判なんかもあった。
その文章から伝わってくる不快感と怒りがとても恐ろしかった。
どの人も真剣に考えているし、実現可能かは分からないけれどとても具体的な解決方法を書いている人もいた。とてもすごいことだと思う。
でもその人から見て、自分より真剣に考えていないように見える人や、行動していないように思える人達に非難の目を向けるのは待ってほしいと思う。
たぶん何も考えていない人なんていないし、みんなが自分に出来ることを探している。出来ることをしていると思う。それが見えにくかったり、見る人が考えていることではなかったりするかもしれないけど。
節電する人もいれば、電力を使うことで何か出来ることを見つける人もいる。
そう伝えたくなった。
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ゆうだい君の手紙に対し届いた、子どもから大人まで賛否両論の意見がまとめられています。
誰が悪いのか、責任をとるのは誰なのかという議論の他に、子どもたちにはこれを読み意見の多様性を知るためのいい本だと思った。
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しっかりした子どもだ。これが彼の家庭の考え方なのだろう。
しかし、東京電力という会社に、今回の事故に対し責任があると考えている。
電気を全く使わない生活は無理であろうと思うが、使用を減らす生活は可能であると考える。その中で電気を多く高く売ろうとし、実践してきたのが東京電力という会社だ。
この本が好評とされるのは、それだけ東電に政治力があるということであろうし、政治力があったから、原子力発電所をつくることができ、「安全だ」と言い続けることもできた。
「東電や関連会社で仕事をしている全ての人が悪い」と言つもりはないが、今までの方針を決めてきた経営者達には責任がある。そのことは誰も疑わないだろう。
ゆうだい君の投書の内容と、それに対する本の内容には反対だが、家庭内や身近な人間と賛成反対の会話をするきっかけになるので良い本ではある。
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読む価値ありです!お父さんが東電の社員だというゆうだい君の考えも非常に論理的です。それに対する子どもたちの考えも興味深いものがありました。同じ学校の生徒の文章が多いのか、論理の展開や同じような意見ばかり続いているように思われたところもありましたが・・。中学生以上や大人の意見も「なるほど」と思えました。読んでみたほうがいいです。本当におすすめ!!
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こんなにみんな上手に文が書けるのか?
そう思うのは、
某大学生のレポートを読んでいるからだけど。
しっかりした文が書けている驚きが一番だった。
最後にていねいに
今回の原子力発電所の事故、背景などをまとめてくれていて
とてもよくわかりました。
ただ、そこに書かれていない部分に
私の疑問があります。
電力不足だからみんなは電気を使わないようにしていますが、
そうすると、電力会社は売り上げが減るわけです。
だから電気代が上がる、のかと。
これだけ残暑が厳しくても、今年は足りてますね。
不思議です。
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小学生でこんな文章をかけることに驚いた。
問題を自分で考えどう思うかどうするとよいと思うかしっかり意見をもっている。
中学生から大人の意見はさらに理にかなった文章になり、お互いの立場をしっかりペンで表現していた。
最後のまとめで、重要な知識を学ぶ事ができた。
なにより、考える人間が沢山いる事を知る事ができてうれしかった。
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2011年3月11日に起きた震災から3週間が過ぎようとしていた頃、「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です。」に始まる手紙が、毎日小学生新聞の編集部に届いた。毎小が2011年の3月27日に掲載した北村龍行さんの「NEWSの窓」に対する反論である。《ゆうだい君の手紙》として、私もいつ頃だったか、その断片を読んだおぼえがある(ゆうだい君というのは仮名)。
この本は、その《ゆうだい君の手紙》、北村龍行さんの「NEWSの窓」のテキスト全文とともに、ゆうだい君の手紙をうけて、多くの読者が寄せた投稿(小学生のみならず、中高生や大学生、大人からの手紙もある)を編み、巻末に森達也による「僕たちのあやまちを知ったあなたたちへのお願い」という文章を収めて、本にしたものである。
この本を読んでみようかなと思ったのは、『We』180号で分科会報告を掲載した坂内智之さん(郡山市の小学校の先生で、『放射線になんか、まけないぞ!』の著者)が、担任の小4クラスで、この《ゆうだい君の手紙》に対する意見文を書き、毎小に投稿、全員の作文がこの本に載っているとおっしゃっていたからだ。
毎小に寄せられた「手紙」は、氏名もしくはイニシャルに(小学4年生)といった学年情報を付して、並べられている。個々の書き手については、作文に書いてあれば居住地(大阪とか関東とか郡山とか)が分かる程度。おそらく「小学4年生」と並んでいる作文のなかに、坂内学級のものも混ざっているのだろう。(もしかして、これは坂内学級の子の作文かな)と思うのもあった。
小学生の子どもたちが書いてきた「手紙」、そして中高生や大学生、大人が書いてきた「手紙」を、つぎつぎと読んでいると、ちょっと眠くなってきた。
「東電が悪い」「政府も悪い」「電気を使ってきたみんなが悪い」というようなことは、大人の新聞でも(もう少し表現は込み入っているにしても)繰り返されている。「電気がないと困る」「みんなで節電しよう」「原発は二酸化炭素を出さない」というようなことも、やはり大人の新聞で、何度も言われている。
そういう"いろんな意見"を取り入れたり入れなかったりしながら、各自はものを考えているのだろうし、その意見を"誰が言ってるか"ということを見て、参考にしたりしなかったりもするのだろうし、子どもたちも、たぶんそんな風に、いろいろ考え、「手紙」を書いてきたのだろう。
これだけまとめて読んだせいもあるのだろうが、私が眠くなってきたのは、子どもの作文が、大人の語彙や考えの縮図のようで、古新聞の原発関連記事をまとめて読んだような疲れを感じたせいもある。
この本に収録されてる大人からの「手紙」には、"こんなことが書けるなんて、子どもスゲー"風のことも書いてあったけど、私はそんなにスゲーとは思わなかった。
ただ、子どもたちも、原発や電気、それらと自分たちの生活といったことに、関心を持たざるを得ない事態であるのだ、とは思った。
巻末では森達也が、子どもたちへの説明なのか説得なのか、もひとつよくわからない文章を縷々書いている。その中で、ここは印象に残った。
▼���回の福島第一原発事故で、これまで知らなかったいろいろなことがわかってきた。でもそれらすべてが、これまで政府や東電によって巧妙に隠されていたわけではない。(略)本当ならばもっと早い段階で、(僕も含めて)多くの人が、「ちょっと待ってよ」と言わねばならなかった。でも言わなかった。偉い人や多くの人が問題視していないのだから、自分が問題視する必要はないだろうと思っていた。いや、それも嘘だ。自分をごまかしてはいけない。そもそも関心すら持っていなかった。どうにかなるだろうと思っていた。だからこんなことになったのだ。(pp.176-177、森達也)
「そもそも関心すら持っていなかった。」
(10/18了)
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サブタイトルに「小中学生たちの白熱議論! 3・11と働くことの意味」とあるように子供たちが原発の必要性、原発事故の責任について熱く語っているのだが、子ども達の情報は年齢のみで住んでいる場所がわからない。しかし在住地の情報は絶対に必要だと思う。例えば「責任は福島にある」と言う子どもが何人か出てくるが、その子が福島に住んでいるか、東京に住んでいるか、あるいは遠くの福岡に住んでいるのかでは、発言の意味合いが全く違ってくるからだ。そう言ったフィルターをかけない為にあえて伏せているのかもしれないが、それは違うんじゃないかなあ?
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◆原発事故から学ぶこと◆
新聞に掲載された、東電社員の父をもつ小6男児の手紙に対して寄せられた、小学生から大人までの多くの意見をまとめたものだ。小学生でもこんなにしっかりした意見を持っているのか、と驚かされた。また、大人も相手が子どもであろうと真摯な態度で意見を述べている。
原発事故から学ぶべきことをわかり易く書かれているので、寄せられた意見も参考に、この男の子に自分ならどんな意見を伝えるか考えてほしい1冊。
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毎日小学生新聞に掲載された記事への意見として投稿された小学生の手紙からはじまる。子どもたち+大人たちの意見が転記される前半とそれらの意見をすいあげつつ、まとめの文章と筆者の意見をのべる後半とにわかれた構成でなされている。
後半の筆者の文章も小学生になげかれる文体でかかれておりとても読み取りやすいものになり、キーとなるセンテンスをやまとし過去の事例を引用し読み取りやすいものになる特に過去の事例の引用については大人にとって理解しやすいものと感じる。そういった意味では子どもの文体で書かれているものだが、それらの保護者にも訴えかける書籍になるのではと感じる。
子どもが図書館などで借りてきて、保護者も一緒によみ家族で話し合ってほしい書籍とし、オススメします。
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どうにもヤバいイメージがあってなかなか手が出せなかったけれど、意を決して読んでみた。
「僕のお父さんは東電の社員です」というタイトルは明らかにマーケティング用タイトルで、中身はそのことに直接関係があるわけではない。その書き出しで始まる小学生からの投書と、それに対する反響が半分強。
子どもの意見を列挙することで、「無責任」と言われた矛先を、新聞の記名記事から、社会に振り向けて、「大人みんなに責任がある」に向かっていく本。
以前は、子どもにわかるように物事(原発事故のことではなくて、全般的に)を単純化しなければいけない、という気持ちが強かったけど、物事は単純ではないということをしみじみと感じている。いまの子どもたちは「みんなで話し合う」という、解決策のように見えて議論をストップさせるところに落とし込まれる教育を受けているのか。空恐ろしくなる。
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最初にこの本の背表紙を見たときに感じたのは「子供」という建前を使って、自分たちの責任を皆で共有させようと無意識に働きかけようとする、えげつない大人が投稿をしたのだろうなという、ネガティブな感想であった。正直読み終えた今もそのイメージは拭いきれていない。
が、だからと言って読む価値が無い訳ではない。小学生から大人までという育った時代や環境も異なる幅広い年齢層の人々が「東電の社員の子供」の投書を通して年齢を越えたやりとりを行い自分たちの気持ちを伝えあっている様子を知るのは貴重なことだと思う(やや現実離れした提案や、かつ「頑張れ東北!」と言いたいだけなのではと勘ぐってしまうような意見もあったので、個人的にはどの県から来た意見なのかを明示して欲しかったが、おそらくそれをしてしまうと東北在住の方々から苦情が来るだろうから無理なのだろう)。
実現できたのは「新聞」という第三者によるフィルターが行われる媒体があったからだろう。これがもしネット上のBBSや掲示板での出来事であれば度を過ぎた誹謗・中傷が行われたことだろうからだ。
本書の後半では、筆者の森達也氏が何故原発を作る必要があったのか、何故誰も作ることを止められなかったのか、これからどうすれば良いのかなどを綴っている。80ページ前後の量だが、低学年でも分かるような易しい文章(東電という「組織」の中で起こる感情・現象・同調圧力を説明するために、ミルグラムの実験(2010年のフランスのテレビ局による追試も含む)やアウシュビッツの出来事(ルドルフ・ヘス)という残酷な説明も行っている)で書かれているので、寄せられた意見に目を通したくない人はこの箇所だけでも読むべきだと思われる。
もっとも、読んだ上でも筆者による「東電は責任を負うべきだが、管理・運営をまかせていた、知るべきことを知ろうとしてこなかった自分たちを含む社会も責任を追うべきだ」という意見には、私はとても賛同出来なかったが。
ところで本文中で「インターネットを利用して原発問題の情報を収集しよう」というような文があった。ネット上の情報の信憑性はともかく、進んで物事を知ろうとする姿勢は素晴らしいとおもうが、子供一人で情報を収集させるのではなく、分別のある大人が付き添ってあげるべきだと思う。
辛辣な文章を書いてしまった私が言うのもなんだが、既に本書を巡ってかなり酷いコメントが散見されるので、子供達がそれらを目にしてしまう可能性があるからだ。それに誤った意見に感化されるかもしれない。
事の発端である「ゆうだい君」は2011年当時小学6年生だったそうなので、既にインターネットも自分で利用していることだろう。小学生新聞という、購読者が限られている媒体に投じたはずの自分の意見がネット上にアップロードされ、本となり、私を含む多くの人々に広まっていったわけだが、この事を今どう感じているのだろう。
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本書は「ゆうだい君」という一人の小学生の「僕のお父さんが東電の社員です」で始まる 問い掛けが毎日小学生新聞に掲載され、大反響を巻き起こしました。さらに森達也氏の文章が後半に収録されております。
2011年3月の[3・11」の東日本震災、 そして原発事故。現在でも放射能漏れが続く中、 「ゆうだい君」という一人の小学生の 「僕のお父さんが東電の社員です」で始まる 問い掛けが毎日小学生新聞に掲載され、 大反響を巻き起こしました。
本書は「ゆうだい君」 に対する小中学生をはじめとするさまざまな意見と映像作家であり、作家の森達也氏の文章が後半に収録されるという形で構成されております。一読をしてある程度の「自我」を持った彼らは悪いのは東電だけ? それとも大人たちみんな?子どもはどんな責任を持つのか? などのまさに喧々諤々の意見を書いていて、「大人」となんら遜色のないことを考えているんだなぁとおもいながら読みました。
ただ、自分の立場としては国家や政府。管理をしていた東京電力の責任問題はともかくとして、原子力発電というものがどういった形で導入され、54基も日本全国に作られ、また構造的な問題で日常的に「被曝」をする人間がいて。その上に文明的で便利な生活を享受していたということを思い知らされて、かくも自分は無知だったのだなということを痛感しながら生きているのでございます。
じゃあ、一切電気を使わないアーミッシュのような生活をできるか?と問われればそういうこともできず…。難しいところでございます。後半に収録されている森達也氏の文章は深い内省を強いられ、「組織」もっと言えば「群れ」で生きるということをある程度余儀なくされている人間がなぜ「間違って」しまうのか?そのようなことを考えさせられました。この問題は、今後長い時間にかけて向き合っていかないければならず。その答えは一人ひとり違って当然ですが、そのことをこれからの世代を担っていく子供たちにまで強いてしまったことになんともいえないものを感じてしまいました。
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お父さんが東電で働いているゆうだいくんの投書をきっかけに、子どもたちが大激論!!
誰が悪いのか?誰も悪くないのか?これからどうすべきか?大人も巻き込んだ白熱の議論総まとめ。(院生アルバイトスタッフ)