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震災の半月後、福島第一原発事故に関して、東京電力を非難する声が高かった。そんな中、毎日小学生新聞のニュース解説もまた、東電の責任を問う主旨の論説を掲載した。それに対して、東電社員を父に持つ小学生が一通の手紙を寄せた。
「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です」で始まるその手紙は、大きな反響を呼び、多くの返答が寄せられた。
本書は、東電社員の息子「ゆうだい」君の手紙と、そもそもの発端となった解説、さまざまな年代の人々からの「ゆうだい」君への返事、映画監督・森達也による総括、編集部のあとがきをまとめたものである。
子ども達にも、いや、子ども達にこそ読んで欲しいということだろう。全編にふりがながふられている。
「ゆうだい」君の手紙は、東電を非難するだけでよいのか、原発を造ったのは東電だが、電気を必要とした「みんな」にも責任があるのではないか、と問うている。お父さんが東電社員でなければ書かれなかった手紙ではあるのだろうが、「東電が悪い」というばかりの世間に対する「義憤」に近いものが感じられる。
それに対する返答はさまざまである。小学生新聞だけに、小学生の返信が一番多いが、大人の返答もまたある。
真摯な返答が多く寄せられているのは、「ゆうだい」君の真摯さに誘発されてのことだろう。
小学4年生のものは、おそらく学校の授業の中で取り上げられたのではないかと思われる。ひまわりや菜の花を植えたらよいという提案が多く出ていて、似通った意見も多かった。資料として先生が用意した中にあったのかな、あるいは友達の発表を聞いて、皆、これがよいと思ったのかな、と思わせる。
電気の使い道として、まず出てくるのがゲームやテレビという子が多かったが、小学生的にはそんなものなのかな・・・?
森さんの総括は平易であり、やはり真摯さが滲んでいる。
原発や放射線についてもわかりやすくまとまっていると思う。
ただ、原発建設に至った背景を考察する中で出された、ミルグラムの服従実験(俗に言う「アイヒマン・テスト」)と過剰進化(マンモスやツノゼミの発達しすぎた器官に関して)に関しては、個人的には適切な例なのかどうか、反射的な違和感はあった。中にはこの機会に興味を覚えてより深く知ることで糧とする子どももいるかもしれず、それはそれでよいのかもしれないが。
要望は2点。森さんの総括は総括として、発端となった解説を書いた北村龍行さんの「ゆうだい」君に対する返答があってもよかったのではないか。
それから、さまざまな意見が寄せられた後での、「ゆうだい」君の感想・意見がちょっと聞きたかった。
皆がひとごとと思わず、自らの問題として考えるべきとした問題提起が、この本の、そして「ゆうだい」君の手紙のキモであり、深めていくのはこれからなのだろう。
誰かに責任を押しつけて終わり、という問題ではない。
お仕着せでない、自分の答えを探していかなければならないのだ。子どもも大人も。
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久々に小説以外のレビュー。私の好きな森達也さんの本で、小中学生向けに書かれています。
毎日小学生新聞に掲載された東電への批判的な記事に対して、ゆうだい君という小6の男の子が「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です」の一文から始まる手紙を書いたことが、話の発端です。
ゆうだい君の手紙、論理的でとても小6とは思えないです。そして、ゆうだい君の問い(原発事故の責任を負うのは果たして東電だけなのか?)は、原発を巡る一連の出来事を考える上で核心をついていると思います。
この本には、ゆうだい君の手紙に対する、子供から大人までの様々な意見(返事)も載せられていて、そちらも面白いです。ゆうだい君の意見に賛成・反対も含め、多面的な意見が出されています。特に、子供たちが書いた意見にははっとさせられるものが多いです。
この本は子供むけですが、まず、大人が読むべき本だと思います。子供たちの意見を通して、私自身、多くのことに気づかされ、一連の問題に対して、よく考えていなかったことを反省しました。私たちの未来を作っていく上で、何を考えどう行動していかなければならないか、そのヒントが本書にはたくさんつまっていると思います。
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この本はとても考えさせられます。
小中学生の言葉なので、とてもシンプルに綴られています。
一体誰が悪いのか?
東電が悪いのか?行政が悪い•国が悪い?それとも原発を許した国民全体が悪い?
子どもたちは、子ども達でしっかり考えていて、この問いに大人はどう答えられるだろうか?
この子にとって『東電』が悪いと言う言葉はとても身を削られる思いなんだと思う。そしてもちろんこの本の中でも反論されたり批判はされている。
でも自分きっとこの子は自分が批判に晒されることもわかったうえで言葉にしたんだろうと思う。
その考えがどうであれ、この年で自分の意見を持つということは大人にとってもとても考えさせられるものです。
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小学生の投稿やその投稿に対する小学生や中学生高校生大学生・大人の投稿を本全体の2/3くらいを使って載せてあるのですが。
本質ではありませんが、小学生の書いている文書はなかなか読みにくくて苦労するのと、大人の投稿のうち、稚拙な意見もありなんだかなあとおもうところもありました。
ただし著者が書いたとおもわれる、後半の1/3部分は、非常に読み応えのある内容です。
子どもにも読ませてあげたいと思いました。
特に最後の部分は涙が出そうになる内容でした。
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子供の視点は曇りが無い、うわべの利害関係も無い。責任の所在を追及するのか?復興と再発防止を最優先するのか?マスコミに踊らされることもなく、純粋に議論する姿勢には脱帽です。そして、大人の一人として、親として、どうすれば良いのか?の問いに答えを考え付かない自分に、もどかしさを感じ不完全燃焼の読後感でした。
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やっぱりこの本はいい本だと思う。森達也さんが著者になった点も含めて。「僕たちのあやまちを知ったあなたたちへのお願い」と題された森さんの文章は広く読んでほしい。
原発事故の責任はみんなにある、というゆうだい君の手紙から始まった議論はいつまでも終わらないと思う。
問題なのは、本当に本当に、何も考えなかったこと。「考えない」ことの罪を森さんは水俣病やホロコーストを例にして説いている。つまり、過去を振り返れば誤ちだったということを、やっぱり手をかえて、私たちは続けてらきた、という事実だ。
「あなたたち」に1986年生まれの私が入るかはわからないけれど、誤ちは繰り返さない。
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著者によると日本には「54基」もの原発があるそうな。都道府県の数よりも多いんかい。高校野球で言えば全部の原発が甲子園に出れないという数。改めて恐ろしい事になっているんだな。暑いのくらい我慢すっから再稼働させるのはやめてくれ。
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これは読まねばいかんのではないだろうか、と思って遅まきながら手に取った一冊。
なにが恥ずかしいって、成人の私はさらっと見ないフリをしてしまうことですよ…。
きちんと考えて、意見を述べてることに年齢はない。
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近所の書店で見かけけ、インパクトあるタイトルに惹きつけられ、購入。
東電社員を父に持つ、「ゆうだい君」から毎日小学生新聞社に届けられた一通の手紙。彼の意見は、「原発を造ったのは東電だが、そのきっかけをつくったのは電気を使う全ての人なのだから、東電だけを責めるべきではない。」というもの。小学6年生にして、これだけしっかりした考えを持っていることに驚き、感心した。
本書の2/3は、ゆうだい君の文章を読んだ、多くの小学生・中学生・高校生・大人達からの投稿が掲載されている。自分の持つ知識や経験をフル稼働させたであろう小学生達の文章は、内容そのものより、ストレートな言葉が印象的だ。そのときの正直な意見が飾らずに述べられている。
残りの1/3は、著者である森達也氏による解説となっている。実はこの部分を読むだけでも、本書を購入する価値があるといえるほど、充実の内容となっている。電気とは?原子力とは?新聞やニュース等で、さんざん取り上げられたわりには、実はよく知らない・分かりにくいことが平易な文章で解説されているため、今後も折に触れて再読することで、原発を考える際の必要最低限の知識として蓄えたい。
本書を読み、原発関連の新聞記事やニュースに対する関心が徐々に薄れ、自分の中でどこか他人事になりかけていたことを反省させられた。
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今年の地震の後、3月末の毎日小学生新聞に載った「僕のお父さんは東電の社員です」という小学6年生のゆうだい君の投稿。それに対して、子どもたち、大人たちがそれぞれの立ち位置から意見を述べて…。
我が家にはとっくの昔に小学生はいなくなったというのに、なぜか毎日小学生新聞を定期購読してまして、だから、この、ゆうだい君の投稿もリアルタイムで読みました。
あのころ、原発事故の恐ろしさゆえに「東電叩き」が加熱していたのは確か。そして、実際、あんまりじゃないの、東電!という思いは私にもありました。
そんな中、「僕のお父さんは・・」と、いわゆる身内からの目線で、原子力発電所を作ったのは東電だけれど、そのきっかけを作ったのは日本人であり、世界中の人々であり、その中には「僕」も「あなた」も入っていると説く彼。
一読して、なんてしっかりした文章を書く子だろう、と感嘆。ただ、100パーセント、うんうんそうだよね、だから東電を叩くのは間違っているよね、とも思えなかったんですよ。
その後、彼に賛成する意見、反対する意見が、子どもからも大人からも続々投稿されて、う~~ん、わかるところもあるんだけどなんか違うんじゃないかなぁ~~と思っていたら、森達也さんがそれらに対して、丁寧な考察をつけてこの一冊を上梓。あぁ、この“論争”を本にしようと思うところが森さんらしいなぁ、と思いながら、ゆっくりと読みました。
森さんは、私にとって、常に世の中のことに対して多角的な目を持とう、人と同じ方向へ何も考えることなく突っ走るのではなくてできるだけ自分自身の頭で考えよう、と思わせてくれる人、なんですが、やはり、今回も、そっか・・・、私ってば何にも知らないで、人の言葉を借りて考えてたんだ…ということがたくさん。
そもそも、原発とはなんなのか。原発は、費用が安いとか、エコである、とか、資源に乏しい日本には必須である、とか言われてきたことの実態をひとつひとつ、穏やかな語り口で、実は全然違ったんですよ、と。
これはこんな事故が起こった後だから言えるんじゃないの?という見方もあるだろうけど、これまでなんというか、いいとか悪いとかを語る人たちがどちらもヒステリックな論調になるのがイヤで、つい目をそむけてきた私には、今だからこそ読めた、ようやくしっくりくる解説書だったように思えます。
そして・・・ゆうだい君の主張も、東電は責任を負え、という主張も、「群れ」というキーワードで解きほぐしていく手法はさすが森さんだなぁ、と思う。
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責任とは罰を受けることだけではない。なかったことにすることでもない。本当の責任とは同じ過
ちを繰り変えなさいようにすること。
だから、何か変だな、と思ったら、リーダーや多くの人の意見と違っても、「何か変だよ」と声をあげること。
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これって、原発のことだけじゃなくて、何にでも通じる姿勢だよね。
ただの主婦でしかない私だけど、変なことは変だって小さな声でも口に出していきたい。それによって、少しだけでも空気が変わるかもしれないじゃん、なんて、今年最後の本の感想にふさわしいような、気恥かしいような、ですけど。
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毎日小学生新聞の編集部に寄せられた1通の手紙。「突然ですが,僕のお父さんは東電の社員です。」で始まる小学校6年生の手紙に,他の読者からも次々と反応がありました。本書の半分以上がそれら読者の手紙でしめられています。年齢も小学校2年生~お爺ちゃんの世代までさまざまです。
本書のまとめ…というか最後の部分は,あの『A3』の森達也氏の執筆です。この論文は小・中学生にもわかってもらおうと思って書かれているので大変読みやすく,論点もしっかりしています。手紙の中にある「原発についてのまちがった常識」をしっかり正してもくれます。
私たち大人は,地震大国日本にこれだけたくさんの原発を作って来てしまったというだけで「罪」をおっていると思います。が,しかし,だからといって東電や政府の責任がチャラになるわけではありません。
東電というのは,一社員も含みますが,もっと大きな組織としての責任はやはりあるのです。
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毎日小学生新聞に掲載された小・中学生たちの白熱論議。お父さんが東電社員の「ゆうだい君」の意見に多くの子供たちが必死で考えて書いている。一つだけ気になるのは「~が悪い」という判断基準が子供たちに共通していること。犯人探しの思考形式につながる。森 達也さんの文章が秀逸。子供たちへ噛んで含めるように考えることを促している。
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★思っていたのと違う★本が出た直後にサッと立ち読みをして、改めて読まねばとずっと思っていた。最初の小学生の投書は、東電だけが悪いのではなく原発を選んだみんなが悪いのだからみんなで考えようという趣旨。そこに「誰が悪い/悪くない」「こう考えるべき」といった子供たちの投書が重なり、森達也がまとめる。期待していたものとは全く違った。
東電でいまも働いている人はすごいと思う。もし自分だったら正直なところ転職しているだろう。そんな辛い立場の家族に関するやり取りを想像していた。森達也なのだからその現場をえぐるのかと思っていたら、うんちくを垂れるだけとは。
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原発について賛成か反対かと問われれば、もちろん反対と答える。
原発を無くすために協力できることがあれば喜んで協力していきたいと思う。
そんな自分の態度やただ「反対だ、反対だ」と言ってる世の中を見て、なんとなく違和感を感じている。
反対と言うのは簡単だ。それだけでいいのか。
これを読んで、少し答えが出た。
そうなんだ、自分がいろんなことに無関心だったことに反省をしなくてはならない。謝らなければならない。
原発を建てたのは政府や東電というけれど、建てるときに反対しなかった昔の自分もいけないのだ。
自分が日頃もやもやとしてたことを代弁してくれるような本。
たくさんの人に読まれることを望みます。
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人間は弱いから群れる。
群れると個々の人間は一個の歯車と化し、全体の流れに逆らえなくなる。
全体が負の方向に向かっていても、それを個人が是正するのは不可能に近い。
それがドイツのユダヤ大虐殺へと導き、同じようなことが日本にも起きた。
個々の人間は大丈夫かな?と不安に思っていても、全体的に原発へと邁進した。
最後に森さんは、次世代の子供たちへと謝罪する。
日本みたいな地震国に54基もの原発を作って、あげくこんな大災害を起こし、
はてはその後始末を子供たちへと残してしまったことを。
思いのほか、子供たちを含めいろんな考えを面白く読んだ。
今の原発事故を考えさせてくれる良書だった。