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本作は『流星シネマ』の続篇にあたります。ただ、続きの話ではなく、同じ時間軸を主人公・サユリの視点で描かれているのが特徴的です。
本書は単独でも楽しめますが、『流星シネマ』読了後に読むと、吉田篤弘さんの世界観がより良く、深く伝わる気がしました。互いに補完し合っていますね。
サユリは、屋根裏部屋に引きこもっていて、彼女の中にいる(内なる自分?)チェリーと頻繁に対話がなされます。
チェリーが、マイナス思考のサユリに頻繁にツッコミを入れる愉快な表現が多々あり、サユリを暗く深刻にさせずに、叱咤激励する〝もう一人の自分〟なのだろうと受け止めました。サユリの〝なりたい自分〟〝願望〟なのかもしれません。新たな何かが「動き出す」「始まる」というのは、なんてワクワク感が湧いてくるのでしょうか。
新たに動き出したオーケストラ、食堂の未来が気になります。Webランティエ(オンライン小説)連載中の、さらなる続篇『鯨オーケストラ』の発売が待たれます。
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〝流星シネマ〟の続編です。
ただし、お話の語り手が変わっています。
今回の主人公は前作の脇役として登場した女性。
彼女は定職をもたないオーボエ奏者です。
〝流星シネマ〟も本作も、
どちらも一人称で描かれていますので、
当然語り手の視点は異なるのですが、
読み進めるうちに
ふたつの物語が重なってきます。
ひとは孤独な生きものです。
でも世の中と接点を持つことで、
無意識のうちに影響を与えあい、
そうして心の隙間が少しだけ埋められる。
この物語の中の人々の出逢いと別れは、
偶然の積み重ねのようであり、
必然のようにも感じられます。
いずれにせよ人生は
即興のアンサンブルのようなものだということを、
静かに語る気持ちの和むお話でした。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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文章が好き ◯
作品全体の雰囲気が好き ◯
内容結末に納得がいった ◯
また読みたい ◯
その他
連作を途中から読むことは滅多にしないのだけれど、なぜか「読みたい」が勝ってしまった。
アパートの屋根裏でひっそり一人暮らしをするサユリの物語。
本作は『流星シネマ』の続編ですが、こちらから読んでも大丈夫、みたいです。
物語がリンクしているところもあれば、本作が前作よりも先に進んでいるところもあるそうです。
なので、前作を読んで自分なりの答え合わせをするのが楽しみ。
答え合わせをして「大丈夫」だったかどうか検証しよう。
吉田篤弘さんの作品は全てを語り尽くす感がなく、その余韻が好きだったりもするので、
連作の途中から読んでも登場人物の行動に、ページを戻ったりして理由を突き詰めようという気が起きないのも、読む順番にこだわらなかった理由。
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本作の1行目は、まるで「流星シネマ」の1行目に続く文章のように始まる。
「そして、冬はある日、何の予告もなしに終わってしまう。」
「屋根裏のチェリー」は「流星シネマ」と響き合う作品だ。
なので、「流星シネマ」から読むことをお薦めしたい。
この物語はガケ上の街に暮らすサユリが主人公で、「流星シネマ」と同じ時間軸を別角度から描いている。
その為、2作品を読むことで、双方の物語の厚みが増す。
とあるシーンに登場していなかった人物が、その間に誰と何をしていたか?が明かされたりする。
それから現実にも起こりうる事だが、対面で会話をしていても、言葉を発した者と言葉を受け取った者とで、印象が違ったり、心に残る言葉が違ったりする。
そうやって、2つの物語に重なるシーンには奥行きが増し、そうでないシーンは裏側を知ることが出きるという仕掛けだ。
2つの物語は並走しているけれど、途中から「屋根裏のチェリー」の時間軸は「流星シネマ」を追い抜き、ラストを迎える。
所属していたオーケストラが解散してしまい、只今拗らせ中のサユリ。
世の中の人達には役割分担があって、みんなで手分けをしながら世界を回している。
サユリは鯨オーケストラのオーボエ奏者。
それが役割であり、担当だった。
それなのに、無くなってしまった鯨オーケストラ。
そこへ「流星シネマ」の登場人物たちが絡み、
サユリの世界が再び回り出す。
今まで引きこもっていた人間が突然活発に動き出すなんてことは滅多に無いわけで、
だから吉田さんはその辺りの過程を、物語の殆どを費やし、丁寧に描いていた。
サユリにとってそれはとてもデリケートな作業であるから、おずおずと少しずつ、ガケ下の人達との交流が広まってゆく。
そして地中に眠る鯨の骨が掘り起こされ、元の形に組み立てられようとする時、
もう1つの鯨(鯨オーケストラ)もよみがえらせようとする動きが…。
「あの鯨はよみがえるべきです。伝説のつづきを熟成させるんです。」とはチェリストの長谷川さんの台詞だ。
よみがえらんとする鯨たちが、周囲の人々の生活に影響を及ぼしているかのようだった。
他の人には見えないチェリーと、サユリはいつも会話をしている。
自問自答のようでもあり、相反する二人は悪友のようでもあり、連れ立って行動する。
チェリーは、サユリの一番の理解者であり、鼓舞し、時に鋭い突っ込みも入れる。
チェリーはサユリの作り出した存在であり、代弁者なのだ。
サユリが自信を無くしてから、道を見失ってから、心細さを募らせてから、彼女の傍に現れたのだろうから。
その証拠に、チェリーはオーボエを見たことがない。
ラスト間際、そのシーンが描かれている。
「こんなにきれいなものだと思わなかった」
それはチェリーの言葉でもあり、サユリがオーボエの美しさを再確認するシーンでもあるのだろう。
さて。
この作品にも、物語の味付けとして食べ物が巧みに使われている。
レモン・ソーダ、ササミカツ定食、無垢チョコ��ート、ハンバーグ…。
(ゴー君のステーキも再び登場する)
物語の中のエピソードと、私達読者それぞれが持つ美味しいイメージが絡み合い、ストーリーが味付けられる。
音階に因んだ言葉の共鳴も仕掛けられている。
「シ」は「詩」であり「死」でもある。
文中には書かれていないけれど、消えてしまった団長さんと娘マリさんのエピソードには「師」も見えたような気がした。
「ラ」は「シ」に向かう音だと、物語で語られる。
音階はドレミファソラシドと「ド」で始まり「ド」に戻る。
「ドで終わる」のではなく「ドに戻る」のだ。
そして、オーケストラのチューニングにはオーボエがリードして「ラ」の音が使われる。
動き出そうとしている皆の、始まりの「ラ」を奏でるのは、サユリの役目だ。
「もう一度、みんなでー。一緒に。」
マリさんが動画で奏でている「無伴奏チェロ組曲第一番」を是非聴いてみて欲しい。
きっと皆さん、どこかで耳にしたことがあるであろう有名曲だ。
我が家にはヨーヨー・マの奏でるその曲があるので、聴きながら読んだ。
物語は、サユリの伯母である睦子さんや、叶わなかったミクちゃんとのハンバーグ屋まで綺麗に回収される。
そしてチェリーは…。
様々な「し」、ここに居る者、居ない者、会えなくなった者、みんなどこか深いところで繋がっている。
毎回そうだけど、吉田さんの「あとがき」が素敵。
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アパートの屋根裏部屋で一人暮らすサユリは人見知りで、人とうまく話すことができない。
元オーケストラのオーボエ奏者で、彼女の所属していた、がけ下の町のはずれにあったアマチュア楽団〈鯨オーケストラ〉はすでに解散していた。
サユリの頭の中に現れて、時々話しかけてくる小さな彼女の名前はチェリーという。
レモン・ソーダやハンバーガーやササミカツ定食などおいしい食べ物が登場し、物語全体が居心地良く優しい雰囲気がします。
私の住む町で身近におこった、先日の淀川の迷いクジラの出来事を思い出し、『流星シネマ』のことが即頭に浮かびました。
小説も侮れないなと、嬉しさがこみ上げてきました。
個性的で、懐かしい登場人物たちに再び出会い、『流星シネマ』とこの物語が響き合っていることに気づいてから、思わず『流星シネマ』を傍らに置いて読み進めていました。
偶然に引き寄せられて、何かが始まろうとしている緊張と高揚が、次々とやってきます。
サユリを主役にしたこの物語は、ゆるやかにつながっていく偶然の出会いによって、小さな奇跡が重なっていく、とても愛おしい物語です。
この後に続く第三の物語『鯨オーケストラ』もとても楽しみです。
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新刊「鯨オーケストラ」への期待感を高めたく流星シネマに続き再読。相変わらず素敵な世界観、そしてあとがきの「鯨オーケストラでお会いしましょう」で期待感を高めるには充分でした。
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『流星シネマ』とリンクする小説。
人が緩やかに再生していく物語。
心を閉じて引きこもってしまう期間って誰にでもある。でもそこから踏み出すタイミングも必ずある。何故なら、この世界は変化していく、ということが変わらない唯一の真理だから。
人が目の前のことを誠意をもって行っていると、自然とそれは、水面に石を投げて波紋が広がるように、人々に影響を与えていく。意識しなくてもそれは起きていく。
閉じていた心を開き、自らを生きる時、それはまるで関係のない人々にも良い影響を及ぼす。
読後は清々しい気分。
読んでよかった。
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偶然とかめぐり合わせっていうのを、運命で片付けるのってもったいないなと思わされた作品。
サユリは消極的ながらもちゃんとどこかに向かっていて、それはひとりぼっちであることに対して真正面から寂しくなったり自由だなと思ったり素直な気持ちでいるからだとおもう。
この作品のキャラクターはみんな自分の気持ちに素直にまっすぐに生きていて読んでてとても安心した。
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「流星シネマ」の続きのようでそうでもなくて、「つながる」物語。人生のどん底期とでもいうんだろうか。持ちアパートの屋根裏に閉じこもるように暮らすサユリさん。レモンソーダが好きで、ストーブの前で考え事をして、イマジナリーフレンドと戯れて。このままじゃだめだと理屈をこねるサユリさんは、昨日の私かもしれないし、明日の私かもしれない。彼女が歩き出せたきっかけは流星シネマにもつながる「くじら」。「鯨オーケストラ」がもう一つのつながる物語としてあるのは楽しみでしかない。
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半年前に読んだ「流星シネマ」の続編。
前作の最後にチラと出てきたオーボエ奏者・サユリさんを中心に語られるお話。
しんみりと確かな文章で綴られたお話にはたくさん感じるところがあった。
団長がいなくなり練習場所もなくなって、〈鯨オーケストラ〉は自然解消になった状況の中、寄る辺なくガケの上にある古いアパートの屋根裏に引きこもっているサユリさん。
その孤独な心情や切なさや淋しさや不器用な生き方が、自分の分身というか心の中のツッコミ役・チェリーとの会話も交えながらゆっくりじっくり描かれる。
サユリさんに付かず離れず、自由に現れては消えて、サユリさんの心に刺さる、チェリーの存在が自然でとても良い感じ。
チェリーとの会話でサユリさんの心の中の蓋が溶かされて、心の底にある人とのつながることや一緒に活動することへの渇望が少しずつ表に現れだす。
過去にとらわれながら『未練が過去にではなく未来に向けて自分を動かすきっかけになる』と開き直って、一歩踏み出した時のチェリーのゆくえに、その泣き笑いの感情が心に沁みた。
サユリさんとまた出会うことになる太郎君。それにミユキさんにゴー君、バジ君に丹後さん…、前作でお馴染みの人がまた顔を揃える。
前作での太郎君のサユリさんへのインタビューをハブにして2つの話を行き来するような作りは、前作を思い出しながら本作にも前作にも新しい視点が加わるような感じで面白く読めた。
太郎くんの詩やミユキさんの美術館でのエピソードには、ゴー君も含めて彼らの心の中に出来た空洞の存在を改めて思わせて切なく、サユリさんにとっての伯母さんや幼い頃の友人の記憶ともつながり、大切な人に『もういちど会いたい』というそれぞれの心の重さが知れたのだった。
チェリーはcherryではなくcher-ee。
「チム・チム・チェリー」の哀愁を帯びたメロディが、この作品のトーンに似つかわしく、ずっと頭の中で鳴っていた。
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前作が気に入り、こちらも購入。流星新聞のアナザーストーリーという形の物語という事で、前作と触れ合ったり、ほんのり存在を感じたりする距離感がとても好きでした。続編が出てるそうなので、読んでみたいと思います。
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『流星シネマ』から引き続き、吉田篤弘さんの世界がまた広がった。
ガケ上にある建物の屋根裏部屋に住む、元オーボエ奏者で、食いしん坊のサユリ。土曜日よりも日曜が好き。人との関わりを避け、頭の中のチェリーと過ごす日々。チェリーの言葉に叱咤激励されつつ、ガケ下の町に住む人々との交流が広がっていく。
鯨オーケストラ、暗渠、定食屋〈あおい〉、鯨、流星新聞、川の流れ、ピアノ、チョコレート工場、あおい橋・・・
繋がっていくものを表す表現がいつも通り心地よく感じた。素敵な表現が多いなかで、今回は〈体の中のいちばん静かなところに「全休符の箱」がある。〉という表現が一番好きになった。
どうしてなのかわからないが、吉田さんの文章は、いつも心を穏やかにしてくれる不思議な力がある。未読の作品がまだまだたくさんあるので楽しみだ。
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流星シネマの読後にすぐ読み始めてます
まだ2ページ
最初の2ページで、もう⭐️5の予感です
うーん、ゆっっくり読もう
もったいない
土曜日のハンバーガー….
おいしそうだなぁ