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最期、フグをさばいたあたりで不吉な予感がしたけれど、結局それを食べずにバンドシネ作家は出て行った理解でよいのかな。
ソクチョの冬の景色や漁港の風景をついつい調べてしまった。
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終わりが、なんとも言えない。
後半のフグをさばくところはぜひ!読んでほしい。
訳がうまいのか?
ほかの作品も読んでみたい。
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彼が束草(속초)に来たのは冬のさなか。冬の束草に見るべきものなどないと主人公は思う。海水浴にくる場所だ。彼はヤン・ケラン、フランス人だ。フランスが気になるのは、主人公の父親があったことも無いフランス人であることだ。母親を置いたままどこかに行ってしまったという。でもフランスが気になるのか、大学では韓国文学とフランス文学を勉強した。彼は、バンド・デシネ(フランスの漫画)の作家という。物語を決めてから描くのではなく、描きながら絵が物語を語りだすという。恋愛でもなく、見ぬ父の面影を追うわけでもない主人公。彼のペンの筆先で自分を描いてほしいという。なかなか彼は女性を描きださない…。冬の束草、少し北には非武装地帯がある場所。寒々とした束草から求めるものは何なのか…。