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女同士の同性愛を扱ったもので、大阪弁の女性の一人語りの形をとる。
大分後期特有の印象を受けるが、主題はむしろ前期に近い、前期と後期の間
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一人の女性が語るだけで成り立つ小説とは!
こういった形式の作品を読んだのは初めてだったため衝撃を受けました。
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全文が関西弁で慣れてなかったら読み難いと思う。
…関西人の自分でも時々飛ばしたし。
知ってる地名が多く出るので、
あぁこの時代はこんなんやったんやー
とか思いながら読んだが内容はちょっとぐるぐる。
登場人物がみんな疑心暗鬼になっちゃってて、
読んでて息苦しくなってきた。
でもまぁフツーに、悪くはなかった。
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「あんた、こんな綺麗な体やのんに、なんで今迄隠してたん?」
我侭な令嬢・光子の美貌のとりこになった園子夫人と、園子の愛に答えながらも他の男の愛も得たがる光子。終始園子夫人の大阪弁(というより、上方言葉?)で綴られる、妖しい物語です。
本当に面白かった。面白かったけど、ラストが近づくにつれて、超怖くなる。自分の美しさを崇められなければ安心できない光子が本気で怖いし、そんな光子の性を知っても彼女から離れられない人間たちが憐れで怖い。谷崎文学特有の、いっそおぞましいほどの女性の「美」の描き方を存分に味わえる物語です。
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中盤まで読むのがたいそう辛い作品であった。
これだけ会話文に緻密さがあるのが、すごいと思うけれど。
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どう言ったらいいのか。
谷崎の描くエロティックな部分は現代でも危うい。
この人は本当に変態だと思います。
でもそんな変態さが文学的にもすばらしい。
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常時エロティックな雰囲気がある小説。
同性愛を主題としていて、その2人は勿論周りをとりまく環境含めてよく女性を観察しているなあという感想。
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完璧本文ネタバレを含みます。未読の方はご注意下さい。
女性の同性愛を扱った作品。どうにも生理的に無理かと思ったけど読みきれました。
寧ろ文体の綺麗さに感激して本当に面白かったです。
夫がありつつも美女・光子に溺れていく柿内園子、
そんな園子を愛しつつも男たちとの逢瀬を弄ぶ徳光光子、
そして園子を愛する夫・柿内孝太郎、間男・綿貫栄次郎。
この4人の絡みあった関係性が谷崎流の甘い文体でえがかれています。
三島由紀夫が苛烈で清々しい文体なら、
谷崎潤一郎は薄暗いなかで仄かに明るいようななまあたたかくどろっとした文体。
どちらも文章は綺麗で美麗だけど大きく違っていて魅力的。
この『卍』の最高潮に面白かったのはやはり最後。
『・・・・・・はあ?そら、そうですねん、何でその時、私だけ一人残される云うこと思いましたやろ、明くる日眼ェ覚ました時にも、直きに二人の跡追おう思いましてんけど、ひょッとしたら、生き残ったん偶然やないかも分れへん、死ぬまで二人に欺されてたのんやないやろか云う気イしましたら、あの手紙の束預けなさったことにしたかて疑わしいになって来て、
折角死んでも彼の世で邪魔にしられるのんやないかと、ああ、・・・・・・先生、
(柿内未亡人は突然はらはらと涙を流した)
・・・・・・その疑いさいなかったら、・・・・・・今日までおめおめ生きてる私やあれしませんねんけど、・・・・・・そうかて死んでしもた人恨んだとこで仕方あれしませんし、今でも光子さんのこと考えたら「憎い」「口惜しい」思うより恋しいて恋しいて、・・・・・・ああ、どうぞ、どうぞ、こない泣いたりしまして堪忍してください。・・・・・・』
原文だと全部繋がってるんですけどあえて段落つけてみました。
最初読んだとき、行を違えることで間をとればいいのに・・・とか、
()はここではあえて要らないだろう・・・とか思いましたが、
最後一気にまくし立てる雰囲気出すにはこの怒涛の数行はすごいなと納得。
そして「恋しいて恋しいて」の圧巻。
今まで読んできた恋愛もので一番嫉妬とか不安を感じさせられた小説でした。
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谷崎の変態異常性欲小説として有名(!)な本書ですが、自分としては、葛藤する恋愛心理や策略のド派手さ、どこまでも果てしのない疑心暗鬼、そして、誰もが陥っていく性愛の強欲ぶりが特に目を引き面白かったです。
とかく女性同士の性愛の方が脚光を浴びがちですが(自分も見学したいですけど(笑))、本書の本質からするとそんな異常性欲も可愛らしいものになって見え、むしろ、強欲ぶりと、それに伴う駆け引きというか策謀というか策略の凄まじさの方に圧倒されてしまいました。
性愛に取りつかれてしまった面々は誰もが真面目でもあり、誰もがねじれているようにも思え、一体全体、どういう駆け引き具合になっていて、結局、誰がどうしたいのかがまるで掴めないようなドロドロの愛憎劇に、こちらの頭もドロドロになってしまった感もあります。(笑)
つまるところ、このドロドロ劇の中心にいたのは美少女で処女(?)の光子であり、光子も含めて皆が強欲な性愛に翻弄されていたのですが、こうした泥沼から抜け出しひと皮剥け新たな段階に昇華できたのはやはり光子で、こうしたストーリー展開は美少女崇拝の谷崎の美的感覚の真骨頂であったともいえるでしょうね。
登場人物の誰もに驚かされる人物設計となっていて、「女の腐ったような」綿貫や語り手の園子夫人のハズ、それにお梅どん等の行く末を考えると、最初にレズに目覚めた語り手の園子夫人が一番真面目で正気であったのではとさえ思えてきます。(笑)
本書の構成がまたふるっていて、園子夫人が先生(谷崎を擬していと思われる)に振り返り語るというスタイルで全てが大阪弁で語られていて、凄まじい愛憎状態にもかかわらず、こうした趣向により、弾んだ調子とともに柔らかで温かくオブラートに包み込まれたような丸みを帯びた語り口がクッションとなって、なぜか読者に安心感を与えていたともいえます。光子が園子を「姉ちゃん」と呼ぶ様などはどこか可笑しみすら感じさせます。このような異常性愛もなんだ大したことはないのではないかという・・・。これは谷崎の術中に陥っていますかね?(笑)
谷崎が大阪に行きたての頃の作品ということで、後年のスマートな(?)異常性愛を基調とする作品と比べると少しごちゃごちゃ感があるように思えます。以降、より純化路線(性愛の)を歩んでいくことになるのでしょうね。(笑)
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印象に残ったセリフ
「異性の人に崇拝しられるより同性の人に崇拝しられる時が、自分は一番誇り感じる。男の人が女の姿見て綺麗思うのん当り前や、(以下略)」:P.103
女の虚栄心とは、このようなものか。
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中学生の時、なぜか隠れて読んだ。卍のタイトルは今でも衝撃的。なまめかしい内容でありながら、美しい文体は日本の文学作品の中でも秀逸。谷崎潤一郎に傾倒した10代は、早熟な文学少女になった。
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ぐねぐねと美しくて。しつこくて。まとわりつく。すごい小説。
一人でも多くの人間に崇拝されたい女と、崇拝してしまう男女、どっちも悲しい。
綿貫の異常な愛情に触れて、もう普通の愛情では満足できなくなってしまったっていう、そのかんじは、わかる気がする。
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初の谷崎文学
関西人からすると、この文体にはかなり違和感がある。
しかし、ぐいぐい引き込まれた。
疾走し、崖から転落するような物語の結末。
光子と園子、綿貫そして柿内氏 四人の男女が
憎み、愛し、疲弊していく。
本書のあとがきには「変態性欲」の文字があったが
もはや異常か正常かなど瑣末なことにすぎないような気がしてくる
新潮文庫の深紅と絡まり合う梅の花が
そして『卍(まんじ)』という表題がこの物語の全てだ。
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1ページに改行もほとんど無くぎっしりと文字が詰まっていて、すべて関西弁で書かれているにも関わらず、生まれも育ちも関東な私でもとても読みやすかった。
他の作品でも同じ日本語とは思えない綺麗さがあると感じてはいたのだけれど、今回は内容が特にどろどろしているので、尚更それを感じた。
序盤は夫との日常や光子との出会いなどほのぼのした生活をしているが、光子が園子の家に来た場面から暗くなり始め、綿貫が登場したあたりで真っ暗、光子の芝居を分かっているうえで許したあたりでドロドロし始め、同性愛・不倫・愛人など様々な関係を巻き込んで最終的にいきついた立ち位置で粘着質はピークになり、そのまま終了。
特に園子が光子や綿貫の言うことに疑心暗鬼になっているあたりは読んでいるこちらも誰が正しいのかと頭を抱えたし、終盤の光子には流石谷崎系女子……と、たじたじになった。
女性が感じる、相手を好きが故の劣等感や憎悪、執着、嫉妬などのねちねちした感情をこれでもかというほど描いていて、男性であるのにここまで女性の心情を書きこむことができる谷崎潤一郎のすごさに改めて驚かされた。
一体どこまで女性のことを考えているのだろう、何を求めているのだろうと思うと少し怖いけれど(笑)、そこが谷崎潤一郎らしさでもあるし、作品のそういった点に魅力を感じてもいるので、まだ読んでいない作品も期待して読みたい。
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現在チックな言い方をするなら百合小説でしょうか。
でも、さすが谷崎。なんて耽美なエロス。
語り言葉っていうのも、世界観に影響を与えるんだなと思った作品。
題材が題材だけにどうだろうと思っていたけど、意外と何の抵抗もなく読めた自分に驚きました。
さすが谷崎の一言につきます。