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第一部キクの場合の続編といえなくもないけど、構成は大分違うし、わりと視点も飛んでるので物足りなく感じてしまうところもあるかもしれません。でも最後は主人公である幸子と同じようにどこか満たされない、ぽかんと穴が開いたような気分で読了しました。
時代はキクが亡くなった時より進んで太平洋戦争時になるわけですが、戦争は良くないということがメインテーマではない。あくまで1人の女性を主人公とした物語です。それなのにアウシュビッツと日本で場面が所々飛んでしまうので、幸子の存在が薄くなりがちだったのが残念でした。前作のキクはキクのいないところでもすごい存在感だったので比べると見劣ってしまうような気がします。
清吉と修平とを比べてもあまりに修平が幼く脳天気で鬼気迫るものがなく、何となく幸子と修平もおままごとの延長にしか見えませんでした。このあたりも時代の違いなのかなぁとも思ったり。キリスト教徒として戦争に巻き込まれていく修平の葛藤も唐突すぎてあまり伝わってきませんでした。
アウシュビッツのコルベ神父のエピソードはまた別の一つの作品として読んでみたかったです。最後のヘンリックに希望が見えてとても良いシーンでした。どちらのエピソードももっとじっくり読みたかったというのが一番の感想です。
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第一部の幕末・明治初期から時代は下り、第二部は第二次大戦の時代が舞台になっている。
コルベ神父、キリスト教信仰における非戦の問題、神風特攻隊、長崎の原爆など、さまざまなエピソードが織り込まれている。
長崎で一緒に遊んでいた3人の幼馴染。一人は信仰と戦争の問題に苦しみながらも特攻隊として戦死し、一人はその恋人として別離に苦しみ、一人はアメリカ兵として原爆投下の飛行機に乗っている、、、
戦争の不条理をこれでもかと思い知らされる。
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内容(「BOOK」データベースより)
第二次大戦下、教会の幼友達修平と、本当の恋をし、本当の人生を生きたサチ子の一生。
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やはり周作さんらしい救いのないお話でした。
1部に続き2部でも大量虐殺が…
今まで本当に上っ面の事しか知らずに生きてきた自分が情けない思いでいっぱいになりました。
だからって自分に何が出来るのかは分からないけど、せめて「女の一生」に出会えたことに感謝して生きて行きたいです。
P98、そは求むところなき愛なり
p263、労働をつづけながらも…
P347、路は悪いかわりに…
P487~ラスト迄
とっても心に響く言葉であったり文章でした。
あと、長崎の方言好きだな(笑)
大浦大聖堂にも行ってみたい!
マリア像の前で思いっきり泣きたい!
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遠藤周作らしいいろんなテーマがあった。
神の沈黙が、今回は「殺すなかれ」と教えながら戦争を黙認する教会の沈黙や、「神なんていない」という救いのないアウシュビッツに変奏していた。
神は直接の救いをもたらすわけではないが、修平の渾身の疑問を正面から受け止めて苦しげに分からないという高木牧師や、アウシュビッツに共に収容されていながら、いつもあなたのために祈っていると語るコルベ神父を通して、神の沈黙は沈黙ではないと語られている気がする。つまり、直接目に見える解決はしなくとも、苦しむ人ともに苦しむ愛なる神、のように。神のみならず人間も、他者の苦しみを前に無力だ。サチ子も修平の苦悩を前にマリア像に祈るしかできないし、ジムも長崎の不運に心を痛めながら原爆を落とすしかない。でもそこで祈ることや痛むことは無意味ではなくて、人間はつまりいつでもそういう存在を望んでいる。弱っている時、ただそこにいてともに苦しんでくれる相手を。「沈黙」「侍」と相通じるテーマで、とにかく苦しいけど深い。
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一部の登場人物ミサの孫のサチ子の話だ。
人間を信じなければ、人間のために尽くすことはできない。
愛とは他の人々を幸せにしてあげることだ。見返りを求めてするのではなく、求めることがないのが本当の愛だ。
明日のことを思いわずらうなかれ。今日のことは今日一日にて足れり。
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コルベ神父がアウシュビッツで同じ班だった妻子ある父親の身代わりとして餓死の刑を受けるという行動が「無償の愛」だと思った。
女の一生〈1部〉キクの場合でも無償の愛について考えたけど、今回は自分が愛する人(家族や友人や恋人)のためではなく、見ず知らず,ただアウシュビッツでたまたま同じ班だった人の身代わりとして死ぬという行為、これこそが全く見返りを求めない愛だと思った。
最後に、この小説でコルベ神父が実在の人物であることを知って更に感動した。この方を知ることができて良かったと思う。
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遠藤周作の書く女性は、いつも正直でひたむきだ。そしてほんとの恋というテーマ話語っている。私は出来なかった。それは宗教ほども強い信念がなかったからだ。
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「あなたは――ご自分の為さっていることが、心にお辛いのですか? 死ぬまであなたのことを祈ります。ご自分に絶望なさらないように」コルベ神父の言葉が残る。そして、知る。これは、実話だったのだと。
「愛がここにないのならば、愛を作らねば」私たちは、この言葉を忘れてはいけない。神父の生き様を忘れてはいけない、と。
キリスト教は、何故か、加害者(悩める迫害者?)に寄り添うシーンが多いような気がする。弱者にではなく。
コルベ神父の印象が大きすぎて、サチ子を忘れがちです。しかし、時代は、学徒出陣から特攻、そして、昭和二十年八月九日午前十一時二分へと進んでいきます。
誰にも止められなかった。しかし、その記憶は、令和の今、どれだけ残っているのだろうか、と。
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遠藤周作は「あとがき」にこう書いている。
「どんな人間にもその人生には書くに足る劇があるのは当然だが、我々世代の一人一人にはそういう意味で個々の劇のほかに共通したドラマがある。私はその共通したドラマを主人公サチ子の中に書いてみたかった。「あっ、これは、わたくしだ。わたくしと同じだ」 毎朝、私の新聞小説を読んでくださる主婦がそこに自分の似姿を見つけられたらなら、この小説は書き甲斐があったと言うべきであろう。」
市井の庶民一人一人の戦中体験が、実は、最も貴重な歴史そのものであるという認識が、作者の心の中を占めていた。
このようなサチ子を私が初めて知ったのは岡本喜八監督の映画「肉弾」の中で、大谷直子演じる少女像であった。そして最近では人気アニメから「あっちこっちのすずさん」が、自らのドラマを語り始めている。
もちろんアウシュヴィッツのテーマや、神の問題も重要ではあるが、歴史は、一人一人に固有のものでありつつ、かつ普遍的なものであるのかもしれない。
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信仰、愛・・・形はないけれども人間にとって大切なもの。忙しい毎日を過ごしていると忘れてしまいそうな時に手に取って読むようにしています。出不精の自分がどういう訳か単身ポーランドのビルケナウ強制収容所に赴くことになってしまったくらい世界で1番好きな作品。
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第二部は、第一部の主人公であるキクの従妹であったミツの孫にあたる奥川サチ子が主人公を務める、第二次世界大戦末期の長崎を舞台にした作品です。
サチ子は、幼なじみでイタズラ好きの少年である幸田修平に想いを寄せています。成長した修平は、慶応大学に合格し、詩人となることを夢見ていますが、サチ子の気持ちにはなかなか気づいてくれません。
サチ子たちが幼少のころに大浦天主堂にやってきたコルベ神父は、その後ドイツに帰国し、アウシュヴィッツに連行されます。いっさいの希望がうしなわれてしまった絶望的な状況のなかで、コルベは愛を信じつづけ、みずからの身を賭して愛を果たしうることを示します。
その一方で、日本の戦況は日増しに悪くなっていき、修平のもとにも召集令状がとどけられます。キリスト教徒である彼は、戦争で殺しあいをしなければならない立場に置かれたことに苦しみますが、残酷にも彼に特攻隊としての任務があたえられることになります。修平は悩みながらも、みずからのたどらなければならなかった運命にひとつの意味を見いだそうと考えつづけます。
第一部のキクとは異なる時代ではあるものの、キリスト教を信仰する者に対して彼らの生きた時代が課することになった重い問いかけを背景としながら、主人公であるサチ子の悲恋がえがかれています。
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一部の続編。
どんどん文章が素敵になる作家さん。
一部もよかったけど、私は二部の方が好き。
アウシュビッツについて、知っているつもりになっていたが、想像を絶することがあったことを知ることができた。
もう二度とこんなことがあってはならない。