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コルベ神父の愛に思わず泣いてしまった
戦争の、アウシュビッツの悲惨な出来事を、わたしたちは忘れちゃいけないのだろう
向き合わなければいけないのだろう
こんな時代では見失いがちな恋愛観
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ともに長崎を舞台にした小説。
夜更かしをして読んだ本。
長崎とキリスト教は切っても切り離せない関係にあるということ、キリスト教徒がなぜ、自分を犠牲にしても、キリスト教徒であることをやめないのか?
その時代、おかれた状況で信仰心は変わってくると思う。
途上国・戦時中・満たされない時代では、信仰心は強くなると感じる。
今、この時代にこんな虐待が行われると、大半の人は信仰を捨てるだろう。
それにしても、遠藤周作、うまい。
どちらかというと、サチコの場合がはまったな。
特にアウシュビッツの場面。
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一生忘れない作品。
アウシュビッツでのコルベ神父の行動が、“愛”とは何かを教えてくれる。アウシュビッツで見る夕日。それを見て、残酷で絶望的な状況にあるユダヤ人が、単純に美しいと思う、その姿に胸を打たれる。
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太平洋戦争下の長崎。キリスト教信者の幼なじみ、サチ子と修平。上京し文学を志す修平は、「人を殺すなかれ」のキリスト教の教えと戦争とに矛盾を感じつつ学徒出陣により徴兵され、神風特攻隊で戦死。サチ子は修平への強い愛を抱きながらも時代の流れに巻き込まれ、昭和20年8月9日“ふとっちょ”原爆長崎に投下。
本当に哀しい世代。今は考えられないようなこんな話が普通だったんだろうね。ただ、この話の中に壇一雄の師匠の佐藤春夫先生の詩が出てきたから少しうれしくなった。
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1部のほうが夢中で読めた。
でも2部のほうが感銘をうけた。
(男女関わらず)人を愛するってそーいうことなのかぁ。な?
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1部は個人的に辛い話だったのですが、この2部はひたむきな愛情がストレートに響きました。こういう利他的な姿に弱い。もし長崎の大浦天主堂に行く機会があるのなら、事前に一読をお勧めします。
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おじいちゃんとかおばあちゃんの若い頃の話を聞いてるみたい。
自分のおばあちゃんは当然おばあちゃんになった後のおばあちゃんしか知らないけど、彼女にも私と同じくらいの年の時があったんだよね。
そして、私もそう思われるようになるんだろう。
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「死なないで」彼女は引き絞るように叫んだ。「生きて。戻ってきて」+++
高校で出された課題本は一部だけでしたが、二部も読んでみたいと書店へ走った記憶があります。一部はひたすらに胸が張り裂けるような本でしたが、この二部はサチ子のひたむきな愛情に泣かされっぱなしでした。
そしてこの本を読んだ翌年の、高校三年の夏。キャンパス見学の帰りに、私はふと靖国神社にたちよりました。余りの暑さに辟易して、境内に涼を求めたのです。ついでだからと参拝しようとなんとなく思って拝殿に向かいました。
拝殿でお参りが終わったときに、車いすのおじいさんとすれ違いました。そのおじいさんは本殿にたどりついた途端てぬぐいを握りしめて、はげしく慟哭しはじめたのです。震えるおじいさんの背中と、言葉にならない悲痛な叫び、五月蠅い程の蝉しぐれ。社会人になった今でも、まだ胸に焼き付いています。
サチ子はラストで生き残った修平の友人を見つけます。彼は生き残り、教会でなにを祈ったのか。大戦で散った若いいのちはせつない形だけれど私たちのなかに息づいている。それを実感した一冊です。
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昭和五年、四月二十四日ー、
夜半からふりはじめた雨が、朝がた烈しくなって、眠っている長崎の人々の目をさまさせた。土砂ぶりといっていいほど強い音を立て、屋根や庭の樹木を叩いていた。
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第二次大戦下、教会の幼友達修平と、本当の恋をし、本当の人生を生きたサチ子の一生。
*
戦争によってさまざまな人たちがたどった悲しい運命に心を痛めずにはいられなかった。こんなひどい時代があったこと忘れてはいけないなと。
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自分の状況とダブらせてしまう。
離れる人と留まる人。
祈る者と願う者。
もどかしく、美しく、醜く、悲しい。
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2021/6/29
長崎に行くことがあり、再読。
前に読んだ時より、コルベ神父の存在を強く感じた。
ヘンリックに与えた小さな変化は他の誰かにとっての大きな変化。人を少しでも変えるほど影響力を持ったコルベ神父はやっぱりすごい。
結末はわかっているのに後半読み急いでしまった。
今回は修平に寄って読んでしまう。どうにもならない運命に理由をつけて進んでいく。矛盾してることはわかっていても抗えない運命を受け入れる。
キリスト教はつくづく受け止める受動的な宗教だなと思った。
そは求むるところなき愛なり、これに尽きる。
かなり昔に読んだきりだった為、再読。
前より面白かった気がする。
キクの時と比べて話があっちこっちに行くので、サチ子に思い入れがしにくく、前は少し苦手だったところを今回は乗り越えられた。
キクと同じくイエス様もマリア様もいちばん大切なものを助けてくれない。それでもサチ子は最後まで祈る。在るものの中から幸せを見つけて、それに対して感謝する。
人生はこの形でいいのだと耐えていた。という言葉で遠藤周作の作品の全てに通じるものを見た気がします。
それでも修平とコルベ神父に何か救いを見せて欲しかったな。ヘンリック等々で救われるという解釈もできますが。でもこの感じがいいんだよなー…
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コルベ神父が1930年に長崎に来て、5年後にポーランドへ帰国後、アオシュビッツで惨殺される事を背景として、長崎を中心とした日本人男女の物語、原爆投下で終わる。信仰と戦争と言う永遠のテーマ。
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1部ほどの衝撃はないけれど、やっぱり、これも傑作だと思う。修平を想うサチ子の話とコルベ神父のアウシュビッツでの話が交互に出てくる前半はもう苦しくて。アウシュビッツでの話が、これからどんどん激しくなる戦争やその波に飲み込まれていくであろう2人の未来を暗示してるようで。想い合っても自由にならない戦時中の2人が悲しかった。後半、終戦に向かうあたり、あああ長崎は原爆が落とされたんだと気づき愕然とした。本当に読んでて苦しかった。キクの時もサチ子の時も苦しい時に2人のそばにいた、大浦天主堂のマリア像に会いに行きたくなりました。
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戦争が信仰の奥の奥を、信仰の奥の奥が、人間の奥の奥を。
死を選ばざるを得ない背景。
俺なんて逃げるだろうな。