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最近 ずっと小川 糸さんの本を続けて読んでいます。
今回は「サーカスの夜に」。
両親の離婚でひとりぼっちになった少年。
病気を治療するために使用した薬のせいで、身長は10ぐらいのまま。
グランマとおじさんに見守られて13歳の誕生日を迎えた時に、両親との思い出のサーカスで働くことを決断。
団員たちに囲まれて一人の少年が成長していく。
小川さんの小説は、周りの人たちがとても素敵です
「結局、いくら願っても否定してもじたばたしても、事実は事実として変わらない。自分の意思で買えることができるのは、心だけだ。身体が変わらないのなら、心を変えていくしかない。」
「心は自由だ。どこにでも行ける。」
よい作品は読み終えるのが惜しいと思ってしまいます。
もう少し小川さんの作品を読みたいと思います。
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初めての小川糸さんの作品。優しさで満たされていた。グランマと暮らす少年は病気のため、13歳だが10歳の体の大きさだ。反対されたがサーカスに入るために、一人オンボロ自転車を走らせる。雑用を色々とこなしながら、サーカスの人々と触れ合い、成長して行く。もちろん技を習得して、凱旋公演でグランマの前で披露するのだ。
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絵本を読んでいるかのようなファンタジックな感覚と、時折、迫られる自分自身。サラッと一気に心地よく読める作品でした。小川糸さんの美しい表現がたまらなく楽しい。「いくら舐めても永遠に小さくならない魔法のキャンディ」
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周りの大人がとても良い人。13歳で夢のサーカスに入団を決めた僕が楽しい、嬉しい感覚だけでなくいろいろな心情を経験し、最後には憧れの舞台に経つ話。
心はどこにでも行ける。
身体が変えられないなら心を変えていくしかない。
素敵なフレーズ。また読もう。
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ノスタルジー薫る、ここではないどこかの空気が良い。
誰もが優しくていい。
いしいしんじさんの「プラネタリウムのふたご」を読んでしまっていたので、同じサーカスものとして物足りなさを感じてしまったのは否めない
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『レーディース、アーンド、ジェントルメン!
麗しき、紳士、淑女の皆々様、ようこそ、わがレインボーサーカスへ!
今宵、夢のひととき、思う存分、味わってください!』
“サーカス”というものを全く知らないという方は恐らくいないと思います。しかし、”サーカス小屋”に行ったことがある方となると、グッと数が減るような気もします。かく言う私には、一つ記憶があります。あれは小学校低学年の頃だったと思います。父と母に連れて行ってもらった”サーカス小屋”。たくさんの人が取り囲む中央の舞台。そして、見上げる頭上に張られた一本の細いロープ。そんなロープの上を、バランスを取りながら颯爽と渡る白い服を着た男の人。生まれて初めて目にしたそんなアクロバティックなパフォーマンスを見て子供心にハラハラした、そんなシーンがそのハラハラの感覚とともに今も残っています。『古代ローマ時代にはもう、サーカスの原型みたいなのが成立していた』とされる”サーカス”。派手なパフォーマンスにばかり目が向きがちですが、よくよく考えると、そこでパフォーマンスを演じる人たちにもそれぞれの生活があります。同じ場所に留まることなく、全国を旅して回る”サーカスの人たち”。この作品は、一人の少年が、そんな”サーカス”の檜舞台に立つまでの裏舞台を小川糸さんが描いていく、優しく心あたたまる物語です。
『僕は今、道なき道を走っている』と陽が陰ってきた道を自転車に乗って突き進む『僕』。そんな『僕』は、『前に進むしかない』と朦朧とした意識の中で思い、『グランマが迎えに来てくれた日のこと』を振り返ります。『両親がふたり揃っていなくなったあの家で、僕はひとりぼっちだった』という辛い日々。それは『どちらも僕を引き取らず、お互い、新しい恋人と他の町に移り住んだ』ことによりもたらされました。『深刻な病気を抱えて生まれた僕を、二人は精いっぱいの愛情で看病してくれた』幼き日々。しかし『病気が治ったとたん、二人は共通の敵を見失ったかのように、途方に暮れ、手持ち無沙汰に』なってしまい、『結果として別々に生きる道を選んだ』という結果論。しかし、『ずっと前にもう両親とは離れてしまった』こともあって、すでに『あまり記憶に残っていない』という現在の『僕』。『グランマがいつもそばにいてくれたおかげで、僕は人が想像するよりも幸せ』だと感じる生活を送っています。『僕とグランマとの間に、血のつながりはない』という不思議な関係。『ひとり家に取り残されジグソーパズルで遊んでいた僕を』連れて帰ってくれたグランマ。そして、そんなグランマのアパートの一階に住む大家を『おじさん』と呼び『僕にとって家族とは、グランマとおじさん、このふたり』と思って生きてきました。そして『十三歳には決して見えない。見た目は多分、十歳くらいだ』という『僕の身長は、ある時期を境にほとんど変わらなくなった』という『病気』が発覚します。そんな『僕』はおじさんからもらった黒砂糖の包み紙の広告に『RAINBOW CIRCUS』の文字を見つけました。『両親に連れられ、最後に家族そろって一緒に見に行った』あの日のことを思い出す『僕』。そして、十三歳の誕生日のお祝いの場で『僕、���ーカスに入ろうと思ってるんだ』と二人に告げます。『私は断じて反対だよ』と言うグランマ。『僕は、小さいからサーカスに入りたいんだ。こんな体でも、ちゃんと生きていきたい。だから、自分にできる仕事がしたいんだ』と『泣きじゃくる僕』。そして、そんな『僕』はグランマの家を後にし、自転車に乗って目的地を目指します。『その時、遠くにゲートのようなものを見つけた。「レインボーサーカスへ、ようこそ!」僕は最後の力をふりしぼり、全速力でゲートの下をくぐり抜けた』という『僕』。そんな『僕』が”サーカス”の檜舞台に立つ、そんな未来のその日までが描かれていきます。
両親から捨てられ、『僕の身長は、ある時期を境にほとんど変わらなくなった』という十三歳の少年が自らの人生を、その両親との最後の想い出となる”サーカス”の舞台に見出していくこの作品。”サーカス”というと、『一輪車を自在に乗り回したり、火のついた棒をぐるぐるとバトンのように回したり、自転車の上で逆立ちをしたり、軟体人間が登場したり、いろんな芸が披露』されるとても華やかな場です。一方で、そんな華やかな舞台を支える人たちには、観客からは見えないとても地味な舞台裏が対として存在します。そんな舞台裏を描いたこの作品。読んでいてとても不思議に感じたのはこの物語の舞台・時代設定のことでした。勝手に日本の話だと思ってしまった私は『ナットー?それって、どんな食べ物なの?』、『僕は再び、マイナス三十度の世界へ飛び出した』という記述に、あっ、そうかと日本が舞台と勝手に理解していた感覚を修正しました。また、時代設定も一見かなり昔の話のように感じていたところ『便器からシャワーみたいなのが出て、おしりを洗ってくれた』という異物感を感じる記述に”?”が5個くらい並びそうになって、えっ?そうなの、と感じたり、とにかくその舞台・時代がぼんやりとしたとても不思議な作品だと思います。そんな不思議感が独特な雰囲気を醸し出すこの作品では、小川さんらしく、世界中のいろんな”食”が”サーカス”の舞台裏を支える人たちの胃袋を満たしていく光景が全面に渡って描かれます。それは、オニオングラタンスープであり、サムゲタンであり、ウィンナーシュニッツェルでありと多岐に渡ります。そんな中でも『ミソシル』の登場は印象的でした。『海でとってきたムール貝』を具にしたという『ミソシル』。『東洋の外れにある、ちっぽけな島国に、昔から伝わる伝統食だ。母乳の出を良くするっていうからな』とコックが説明する『ミソシル』は、『母乳』が重要な意味を持つ場面にさりげなく登場します。『大きなカフェオレボウルに熱々のミソシルをたっぷりよそって、僕に手渡す』という、たったこれだけでマイナス三十度の世界を一瞬にして、あったかく幸せな食事風景に変えてしまう、とても小川さんらしさを感じる好シーンでした。
そんな主人公の『僕』は、団長から『得意なことは何だ』と面接で聞かれます。『小さいことです。僕は、もうこれ以上大きくはなりません』という自らの病気を入団のバネとしていく『僕』。そんな『僕』は当初、『まるで、不思議な住人達の暮らす夢の世界に迷い込んでしまった気分だ』と感じます。両親との想い出の舞台で夢を見せてくれた人たちに囲まれ���日々。そんな人たちの生活を間近に見て、その息遣いを感じる中で『僕』の心も日々揺れ動きます。それぞれの人に役割があり、みんなが力を合わせて作り上げていく、それがあの華やかな舞台だということに気づいていく『僕』。そんな『僕』に『少年、あなたが想像できることは、実現できることよ。道は、自分で切り開くものなんだから!』と声をかけてくれるローズ。小川さんの描く作品世界には決定的な悪い人が登場しません。それは、この作品も同様です。いろんな形で『僕』を見守り、応援してくれる人たちに囲まれる日々。もちろん現実世界はそんなに甘くないとは思います。しかし、これは小説です。その与えられた前提の中で、その作品世界に入っていく、現実がどうのなどとはいちいち考えない、いつも小説を読むときに大切にしている私の中でのルールですが、そんな悪い人が出てこない作品が見せてくれたものは、『サーカスはすべてが呼吸であり、リズムである』という世界の中で生きる人たちの相手への思いやりの気持ちでした。『サーカス人間が一番恐れることは、なんだと思う?』という質問への答えが示すその気持ち。『もちろん、怪我をしたり、命を落とすことは、怖いわ。サーカスは、命がけだもの』というその世界の厳しい現実。そこには『もっともっと怖いことがあるの。それは、自分のミスで、誰かの命を奪うこと。相手を、殺してしまうことなのよ』という仲間たちをまず思いやる、そんな気持ちでした。『だから、毎日毎日、必死に練習を重ねるの』というその頑張りを目にした『僕』。そんな『僕』は『消去法の選択肢ではなくて、僕は自分で積極的に人生を開拓したい。自分の生きる道は、たくさんの選択肢の中から自分で決めたい』と思い至ります。そして、迷いの消えたそんな『僕』はいよいよ結末の舞台へと向けて突き進んでいきます。
『人生の哀しみを知らなくちゃ、相手を笑わせることなんてできない』という言葉の通り、”サーカス”の華やかな舞台の裏には、深い孤独や悲しみを乗り越えて生きる人々の暮らしがありました。そんな思いを幼い頃から人一倍経験してきた『僕』。そんな『僕』がこれから生きていく未来は、きっと人々の笑顔に囲まれる、そんな舞台に生きる人生になっていくんだろうな、そう思いました。
『悲しみを忘れて笑っていられるようにするための、ちょっとしたかわいい魔法なのかもしれない』という”サーカス”の舞台裏を描いたこの作品。小川さんらしさに満ち溢れたとても優しい、そしてあたたかい物語でした。
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2020年最後の読書は、温かい雰囲気の小川糸さんの小説で締めました。(レビューだけ年を跨ぎました)
両親を離婚がきっかけでグランマと2人貧しい暮らしをしていた13歳の少年。幼い頃にした病気の治療の影響で成長が止まり、10歳ほどの容姿にしか見えない彼は、ある日これまでの暮らしに決別し憧れのサーカス団・レインボーサーカスに飛び込んだ。
個性豊かな団員たちに囲まれて、体の小さな少年は自分の居場所を見つけていく。
10歳で体の成長が止まり、将来の苦難が見えた少年の「サーカス団に入って自分の道を見つける」という切ない決意から始まる物語。
いわゆる移動式のサーカスを私も昔何度か観に行ったことがあるけれど、サーカスというのは華やかな影にとても物悲しいものが見え隠れするのを感じる。
純粋に芸を志し、心から楽しんで演じる団員も中にはいるだろうけど、マイノリティ的な事情からそれを志すしかなかった団員もいる。
物語に登場するレインボーサーカスは貧しいサーカス団で、華やかで大きなサーカス団であるスーパーサーカスとの対比も何だか寂しい。
だけどその中で働く者たちはとても温かく、少年はそこで働くことで居場所を見つけていく。
ナットー、キャビア、トロなど、団員たちは食べ物の名前をサーカスネームにしている。
その中でも少年に最も影響を与えたのはナットーで、元男性の美人綱渡り師である彼女は天才型の演者だ。
そして少年をいつも近くで見守る、姉御肌のダンサーのローズの存在がとても優しい。
死ぬ覚悟ではなく絶対に死なないと決意することが極意だと少年に教える、プロフェッショナルを育て、そしてたくさんの事故も見てきた団長の厳しさと優しさ。
何でも物事を極めるのは一朝一夕にはいかないということ。
少年は最初は毎日トイレを綺麗にするという仕事を命じられたのだけど、それを必死にやって極めることで団員たちの意識が変わっていく(なるべく汚さないようにしようと)ところにもそれは表されていた。
小さなことでも極めるというのは素晴らしい。
優しくファンタジックな世界観で、緊張感や哀しさがありながらもやはり温かな雰囲気が漂っていた。
がんばれ少年!なんて自然と思ってしまう。(最後に少年についたサーカスネームがまた良いのだ)
移動式サーカス、最近見なくなった。最後に見たの、10年くらい前かもしれない。
だけど一度でも観たことがある人ならば、この刹那的な華やかさを湛えた世界が、目の前に見えるはず。
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両親の離婚でひとりぼっちになった少年は、13歳の誕生日を迎え、憧れのサーカス団・レインボーサーカスに飛び込んだ。ハイヒールで綱の上を歩く元男性の美人綱渡り師、残り物をとびきり美味しい料理に変える名コック、空中ブランコで空を飛ぶ古参ペンギンと、個性豊かな団員達に囲まれて、体の小さな少年は自分の居場所を見つけていく。不自由な世界で自由に生きるための、道標となる物語。
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大病を治した薬の影響で10歳から身長が伸びなくなった少年が、場末のサーカスで生きていく物語。
時代(タブレットがあるのにタンク式トイレ)、地域(日本ではないどこかだとはわかる)…物語の背景となる設定が読者からは良く見えず、モヤッとした世界観が独特。それは決して欠点ではなく、霧がかかったような世界で、舞台のサーカスだけに目線が集中できる効果を生んでいるのは作者の計算の上?だとしたら、興味深い演出だと思う、こういうの好きだなぁ。
世界観は独特だが、物語の根幹は少年の自立独立の物語、主人公は身長や風体こそ子供の用だが、学年で言ったら中学生。思春期(中二病にかかる時代)の彼がまっすぐに取り組み、悩み、生きていく姿を直球勝負で描く。
ストーリーが直球でも世界観が独特なので、安直感はない。その感覚も仕組んだものだとしたら…。小川糸、油断ならない小説家だなぁと思う。
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幼い頃の鮮明な記憶をもとにサーカス団へ入団を目指す障害をもつ男の子のストーリー。
想いを大切に勇気を出して一歩踏み出すこと、価値観とか行動規範を持つこと、信念を持って活動を続けていると味方が増え、道が開けるとういことを教えてくれる。
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主人公の少年はひとりぼっちでサーカスの世界に飛び込んだのに、不思議と不安を感じさせない。自分が手に入れられないものを分かっていて、だからこそできることを探して自分の居場所を作っている。
小川さんの著書「とわの庭」は目が見えないハンディキャップを持った少女が主人公ですが、作品の雰囲気は似ているかも。主人公が絶望したりしていない。それは自分の中で不自由さが当たり前だから。
サーカスの起源を辿ると、生きていくために道を切り拓いていく人々の姿が見えます。
どうせ自分なんかとか、他人と比べて羨んだりしてしまうことがあるかもしれないけど、自分にしかできないこと(これはフィジカル、ロジカル、メンタルの面で)ってどこかにあるんだよな、と思いました。
主人公が冷静なので、話としてはあまり緩急がなく、読み終わった直後は「ふーん」という感じでしたが、1ヶ月くらい経ってじわじわと感想が生まれました。
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凄くすっごくワクワクして楽しかった!
サーカスの輝きや観客の熱気、演者の息づかい
近くに感じる、音が聞こえてくる
楽しさの余韻から抜け出せなくて、読み終わったあとも幸せな気分に浸っている
世界観がとても不思議
スマホがあるなら現代なのかな?と思うのだけれど、不思議と随分と昔の時代なのかなとも感じられる
そして最初は日本かと思いきや、読み進めるうちに日本では無さそうだと気がつく!
ではどこ?ってなるけれど、そんなの大した問題ではないのだろう
だってサーカスは自由気ままに、そして赴くままに楽しいを見てもらうのだから!
だからこそ、読み手次第でいつの時代へ行っても良いのかなって
私は少し古い時代、古い街並みを思い浮かべる
ローズやキャビア、トロ、ナットー…皆名前可愛すぎか!
そして少年、名前とても似合っているよ
楽しいと美味しいと素敵と幸せと…沢山ありすぎて私は凄くこの物語を気に入ったのです!!
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異国の童話を読んでいるような感覚になった。
少年がサーカス団に入って、何の技を習得するのか最後の最後まで分からなくて気になりながら読んだ。
料理の描写がとてもうまい作家さんですね。
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両親の離婚で13歳までグランマに育てられた少年が両親と最後に見に行ったキラキラした思い出のサーカスの世界に飛び込み、自分の生きる道を探していく。
どこの国のいつの時代の話し…?よくわからないまま童話のような世界観で読み進めていく中で、生と死、食べる事の大切さ、心の傷や生きづらさを抱えた人たちが、どんなに願っても否定しても変える事が出来ない事実と向き合いながら強く優しく生きていく。
「人を笑わせるって事は、人を傷つけたり哀しませたりすることより、百倍も千倍も難しいわ。人生の哀しみを知らなきちゃ、相手を笑わせることなんてできないもの。孤独を知っているからこそ、みんなでバカ笑いできる幸せをありがたく思えるのよ。」
ローズの言葉が印象的
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自分探しの冒険
夢への第一歩ってものすごく勇気がいるし、誰も知らないところに飛び込む覚悟、地道に練習を積む熱
今の自分には、その全てが欠けていて。
なんだか、新しいこと、今取り組んでいること、諦めたこと、なにかをひたむきに続けたいって前向きな気持ちになれた