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客観性であることは公平性はあるが、一人一人の経験の中で生み出されたドラマを見落としがちになる。
数字や統計よりも人を見ろ、ですね。
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かねてからなんとなくモヤモヤと問題意識を持っていた論点で、とても興味深く読ませていただきました。
「数字やデータだけが真実を示すものではない」「個別具体で一回限りの経験を丁寧に聞き取り書き起こすことの大事さ」というのは、書いてしまえば、なんてことのないようにも思ってしまいがちです。
社会がどんどん複雑化している中で、マクロでものごとを捉える視点と分析する道具立ても必要です。ただ、うまく言えませんが、本書は、他者と交わるときに、その時の相手の語りをできる限り等身大で受け止めるという倫理的な態度を求めているように感じました。
ただ、途中で示されていた、現象学を通じたアプローチの部分が、前後とどう繋がっているのか少し読み解けなかったです。
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ちょっと頭に入ってこなかった。著者が悪いのではなく、私の理解の問題。現在色々テンパっているので、もう少し落ち着いて余裕が出てから再読したい。
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p48 1957年に東京都港区の中学校教員だった桑田昭三が、学力偏差値を考案した
p50 EBM 1991年に体の医師 ゴードンガイアットが提唱した考え方である
p53 エビデンスに基づくリスク計算に追われてしまうと、人生の残りの時間が確率と不安に支配されるものになってしまうだろう
p56 リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ。
p134 数字による束縛から脱出する道筋を本書は探してきたが、それは数字や客観性を捨てるということではない。繰り返すが、問題は、客観性だけを真理として侵攻するときに、経験の価値が切り詰められること、さらには経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素である偶然性やダイナミズムが失われてしまうことだ。「客体化と数値化だけが真理の場ではない」ことを理解する方法が問われている
p136 経験の内側に視点を取る思考法 現象学
1900 オーストリアの哲学者エトムント・フッサールが現象学が創始 その後 メルロポンティ
p167 地域社会でSOSをキャッチし、声を聴き取っていくためには、アウトリーチと居場所という2つの基本的な活動が必要になる
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エビデンスが重視される現代社会であるが、その流れが人文系にも広がっている。確かにデータを取り客観化することは大事であるが、それをどのような立場で使うかが臨床現場では重要になる。エビデンスもナラティブも相互補完的なものなのが現実である。著者はケアの分野でその重要性をあらためて本書で述べる。最後に著者の経験から、方法論として、「重層的なアウトリーチでケアしケアされること、複数の居場所が利用可能であること、このような場が熟成したときに一人一人の声が聞き取られる」と提起されている。そのような活動を目指したい。
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前半はタイトルに沿った内容で、"客観"とは何なのか、ということを教えてくれる。数値や法則に依る客観性こそが真理であるという考え方は、ここ200年ほどのものらしい。そもそも客観性が重要視されるようになったのはいつからか、なんて考えたこともなかった。それほどに、何かにつけデータを求めるのは今や当たり前のことになっている。
そして、数値、法則を第一とすればそれは統計(確率)が社会を支配することにつながる。グラフの両極端なところは切り落とされ、中央の平均や最多値が「事実に近い近似値ではなく事実そのもの」となってしまう。数字に置き換えられない、計れないものは意味をなくし、それが「生産性がある人間かどうか」といった優生思想にもつながってしまうという。個々の経験も顧みられなくなり、データの背景やグラフの両端にある具体的な事例は"主観"として退けられる。
「エビデンスはあるんですか?」に答えられない経験談を、不要なものとしていいのだろうか?そこに、"落とし穴"がある。
後半は、この「経験談」をどう読み解くか、という論になっており、正直タイトルに直接は沿っていない。著者の経歴を見ればそこへ向かうことはおかしくはないけれども、"交わらないリズム"という独自用語が急に出てきて「??」となった。カタカナ用語も多く、少々置いてきぼりにされた感がある。
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「客観性」と「個別性」の違いについての理解が深まりました。
また、個別性について取り扱うときに気をつけておくことについても紹介されていて、自分自身の持つ偏りについての理解もまた大切であると感じました。
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最初の方で、タイトル通り「客観性を求めて数値に頼ることの危険性」が語られる。「そりゃそうだね。それでそれで?」と思っていると、「個々の生々しい経験をきちんと見ることが大事」という話がずっと続く。「そんなことわかってるよ」という感想しか持てなかった。客観性と個々の事物の両方を活かしつついかに物事を理解するか、という議論を期待していたのだが、それらが別々に書かれているだけなので、新たな知見を得られたという感触がない。一方を悪者にするだけでは考察が深まらないのでは。
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集団の平均から集団の傾向を掴もうとする営みが行き過ぎると、そこに含まれるマイノリティが塗り潰される。このマイノリティを掬い上げる意味を、前半は研究の歴史を振り返りつつ、後半は筆者の専門に寄せて語っている。いわゆる、質的研究の意図や意味を教えてくれる。
前半と後半で話題の方向性がかなり違うので、違和感があるかもしれない。
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題名からは論理や数学に準じたそれを想定していたが
筆者の専門は医療福祉などということで、特に後半部では現場の霧消しがちな声を拾い上げることの実践と意義を取り上げていて、我々の考える客観性とその陥穽という概念とは一味もふた味も違う切実が宿っているのだろうと思う。
本著の白眉としてはそのような不可視化されがちな精神的困窮の最前線の描写にあると思われ、それに比べると導入部の主張は軽く首肯するような一般論的な風体にも思えるが、総じて読書の経験値としては秀でたものになっていると思われる。
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学力判定に偏差値が取り入れられたのが1957年(私の生まれた年)、evidence-based-medicineという考え方が出てきたのが1994年、なのでまあ数値化・客観化の流れの中で人生の大半を過ごしてきたことになる。
この本は、客観化→数値化→序列化・効率化といういわばevidence-baseの方法論が自然科学から社会科学にまで拡大してきて、個々の少数者・弱者が切り捨てられる状況を憂い、「現場目線の個別性の側から考えよう」という立場の本・・・だと思う。
しかし、現代社会が最大多数の最大幸福を目指し、そのゴールを客観的に設定して(数値化・統計化 etc)そこに向けて社会をドライブしていくのは理にかなっていると思う。そうなると当然ながら少数派・例外的な弱者・病者は置き去りになる。その置き去りをどこまで・どうやって救済していくか。そこにもまた客観的な条件・ゴールを設定して救済していく。そんなことの繰り返しが現代の民主主義のルーチンなのではないか。
政策的な客観主義と、そこからこぼれ落ちる弱者をどうケアしていくかという議論は対立軸ではなく、補完的なテーマととらえるべきではないか。制度設計とその制度で生じる弱者の救済、これは対立軸ではなく車の両輪。個別的な弱者救済に客観論・功利主義を持ち込むこと自体がナンセンスなのだから。
著者の目線は理解できるが、現場に近いところに身を置きすぎたが故のセンチメンタリズムという感想が否めない。まあ、思考訓練の入口にはなる。一方、「客観化が平均化につながり普遍性が失われる」という考えは面白い。普遍性と平均性(=一般性)は異なる。多くの場合、平均的なものは普遍的理念からみればあまりにも凡庸で退屈。平均性の生を生きざるをえないとしても生きざまには普遍性を求めたい。
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「客観的、統計的事実以外にも、真実はある」ということが要旨。
元々統計学自体も、「あくまで大多数がこの結論に当てはまる」ことが前提にあるものだと思うので、当たり前と言えば当たり前のことだとは感じた。
恐らく著者は、その当たり前のことが理解できていない人が増えていると体感しているので、改めて問題提起したのではないか。
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本書の問題意識は「客観性だけを真理として信仰するときに、経験の価値が切り詰められること、さらには経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素である偶然性やダイナミズムが失われてしまうこと」(p.134)であり、改めて数値をベースとした「科学」の発展経緯を概観した上で、失われた視点である「経験」に焦点をあてた投げかけを行っている。
個人的には比較的慣れ親しんだ思想/思考であり、(漠とするが)定性研究の価値を再確認した次第。一方で、現代社会が数値をベース(生産性など。個人が数値に落とし込まれて管理される)に回っている側面もまた真であり、視点の投げ込みとしては意義があるものの、この思想/思考が社会のベースになるかと言われると、ここは疑問(モノは易きに流れることの定め?数値管理の方が個々人の声に耳を傾けるよりも簡易)。
印象に残った箇所は以下の通り
・社会の実質が変化して「不確実でリスクに満ちた社会」になったというよりも、数値化されたことで社会や未来がリスクとして認識されるようになった(p.57)
・私が特に大事にしているのは、個人の「経験」を語りだす即興の「語り」である、それは聞き手に、生き生きとしたものとして迫ってくる(p.83)
・一人ひとりの個別の経験は、客観的学問にとっては切り捨てられるべきものとみなされた。一人ひとりの偶然的でうつろいやすい多様な経験は、まさにそのうつろいやすさゆえに科学において価値を失った。ところが、うつろいやすさや、偶然、個別性のなかにこそ、経験の重さが宿る。客観的な学問によって多くの有益な知が得られるが、だからといって自分の経験の個別性を切り崩す必要はない
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客観性を否定するわけではないが、インタビューで受け止めることがらの、その人個人の体験が言葉にされたときに、相対した著者だけでなく、読者の心にも届く普遍性を持つという、とてもストレートな展開がすとんと胸に落ちる。章ごとにそれまでの内容を繰り返しまとめて提示するのは教える立場の人には当然かもしれないが、要点の確認になっていた。
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帯に書かれたような、いわゆる”論破”に使われがちな発言が嫌いで、それらに触れる度、モヤモヤする。そんな違和感が言語化されていることを期待しつつ手にした本書。しかしこれでは…。まず大前提の理解として、プリマー新書に入るものは、その分野に精通した著者によって、本来理解が困難なものを、中高生レベルに噛み砕いて提示される、という役割が求められる。でも本書を読んで感じるのは、十全に咀嚼されず持て余されたような半端な印象。系統立っていれば、あちこち論旨が飛んでも問題ないんだけど、そもそも何について論じられているのか、道に迷うことが多々あり、一度ならず、題名を見返すことがあった。で、辿り着いた結論も、流行りのSDGをなぞったみたいなもの。いやはや、何とも…。