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あれ?拍子抜けするほど期待外れだった。これは、僕の理解力の問題で、今すぐ2週目を読むけど。
まさか、量と質の二元論的捉え方を、村上先生がするとは到底思えないんだけど、そういう編成になっていて、びびる。
質の客観性の話は、もう、なんていうか、決着がついてるもんだと思ってたんだけど。
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それって個人の感想ですよねという帯に惹かれて読んだ。
論文形式やったので流し読みした。
客観性のあかんところというか、社会的困難な状況の人のインタビューが気になってた本
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タイトルの「客観性の落とし穴」に心奪われた。近年、エビデンスという言葉を多く聞くようになり、果たしてそれだけで物事を語っていいものなのだろうかと考えていたところでの出会いだった。ところが、それ自体が落とし穴で、実際は現象学入門書なるものであり、ちくまプリマーにもかかわらず非常にヘビーな哲学書であった。
客観的データというのは、その個々にダイナミズムがあるので、単純に数字だけで考えてはいけないという視点を得たことは、価値がある本だったと言えよう。
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なんでも数値化して平均をとることで事態を掌握したような気持ちになるのはどこかおかしい。そう思いながらも平均というものを絶対の数値のように考えてしまうのが現実だ。よく考えてみれば、平均とは他人の状態の集まりであり、個々の人の成果とは無関係だ。
本書ではこの数値化の歴史は200年足らずの最近の在り方で、しかも欧州型近代化の成果に過ぎないと断じる。数値で表すことが客観的な行為であり、それこそが正義だとされてきたのは実は不自然なことだったのである。
科学の発展に自然の数値化は欠かせなかったし、それはこれからも変わらない。ただ、すべてを数字で表現すると事実を誤認する。
筆者は現象学的なアプローチと称し、個々人の語りの独自性や、その語られ方に注目する。それらを単純に平均化するのではなく、個々の事象に向き合おうとするのである。これは行き過ぎた数値化やそれを客観的と考えて不思議とは思わない現代の風潮へのアンチテーゼといえる。
本書の出発点は大学で学生が講義の内容に対して「客観性はあるのか」と質問されたことに端を発したという。数値でエビデンスを示さないと「あなたの感想」と見下す現代人は明らかに心が病んでいると私などは思う。証拠はないが。
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社会的弱者と呼ばれる方やマイノリティを語る上では、統計が役に立たないこともあるという話なんだが、表紙でイメージしてたのとは全然違う話だったので、拍子抜け。
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「客観性」「数値的なエビデンス」は現代社会の真理なのか、一人一人の経験から論じる事は出来ないのか、本書は問いかけ事例を示す。
しかし、私は思う。その経験をする人は、日本人の何%?同世代の何%?大阪西成区と東京新宿区で出現率に差があるの?と数値化する事で、貴重な経験であり知る事で考えを深める事が出来るといった判断するが出来るのではないか。数字で事象を理解して論じる方がスッキリする。
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新聞の書評で気になって読みました。ちょっととりとめがないようにも思いましたが、客観性、エビデンスとか言ってるのは自分の意見がないのと同じかな、とは思いましたね。絡め取られないようにはしたいかな。
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「客観性と対置されるのは主観性ではなく、共同的な経験のダイナミズムである」
この本で最も良かった一文。
しかし“客観性”の陰に隠れているものとして、マイノリティや貧困者に偏りすぎて取り上げているのと、ナラティブの限界もあるんじゃないかと思った
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面白かった。 数値や 客観性がどうしても上位の価値観のように感じていたが、必ずしもそうではない場合がある。個人の経験や 内面に秘めていることを丁寧に、また その思いの込められた 言葉通りに受け取り記録し 、分析することによって見えてくるものがあることを知ることができた。
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帯の軽さと、実際に読んだ内容の重さがまったく違っているところは良いのか悪いのか…
客観性や数値によって痛快に相手を論破するという話は、創作にも現実にもあふれていて、その楽しさもあるが、この本にあるように、その落とし穴にも目を向けた上でなければならない。気をつけなければ。
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少し前に「数値化の鬼」を読んで、客観性の視点て大切だよなぁと思ったところだったので、自分自身の視野を広げる意味で逆の視点の話を読んでみた。
本書では客観性が悪い、という視点ではなく極度に客観性を重視することにより個々人の経験の個別性・独自性が失われることに対する危険性を述べている。
例えば、数値化偏重の世の中では、比較と競争が激しくなり、自分の身を守るためにリスク計算を行い世の中全体が「リスクに満ちた世界」となる。
これに対して、一人一人の個々人の経験と語りを重視することにより、社会的な困難な人の声を尊重する世界になると著者は結論付ける。
個人的な感想としては、「数値化の鬼」に対してビジネス面で主観性を大切にする場合にどのような視点での議論となるかが知りたかったので、少し期待していたものとは違っていた。
また、私がどちらかというと数値化の視点が強い人間だからかもしれないが、限られたリソースを使って、社会的に困難な人への対策を行うとしても、個々人の事情を鑑みて個別に対応するだけの地力は現在の国や個人に残っておらず、実現性としては低いのではないかと思ってしまいました。
もちろん、個別の対応できるのがベストだとは思いますが人・モノ・カネのリソースが限られた中では理想論に近くなってしまうのかなぁと。
私の考えていた方向性のビジネス書ではなかったという点と、内容に共感しきれなかったこともあり★2つです
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数値や統計は重要ではあるものの、それらのみを重視する姿勢が社会を生きづらいものにしている。著者は数値や統計の意義を理解しつつも、それらでは把握することのできない個々人の生きた経験やそれについての語りの重要性を強調する。そして個人個人を尊重するそうした姿勢から社会を構築していくことを提起していた。
客観性に囚われ過ぎているなと思ったので、個々の経験を尊重する姿勢を再確認できた。
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「エビデンスはあるんですか?」
「数字で示してもらえますか?」
「その意見って、客観的なものですか?」
こうした考えは、本当に正しいのか。
数値化が当たり前になってきた今、数字で表されることが真実とは限らない。
数値化がはびこる原因を探り、失われたものを明らかにしてくれます。
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客観的なデータや数値的なエビデンスが真理とみなされる現代社会のありように警鐘を鳴らし、それに代わる新たな価値観が提唱されている。
「並立する」価値観ではなく、「とってかわる」価値観である。
本書中において、客観的な物およびそれに類する価値観は、仮想敵として二元論の彼岸に置かれている。
たとえば、客観性を重視する傾向は、数字に支配された世界で人間が序列化されることにつながっていく、と著者は論ずる。そしてそれは、客観性への信仰が広く普及したここ200年程度の歴史しかないことも、本書内にて指摘されている。
科挙が始まったのは隋代と言われているので、今から1400年以上前の事だ。その試験内容は詩作や論文といったもので、その合否は数値化されてなどいない。またそれ以前の九品官人法は、当時の身分や家柄による序列が色濃く反映されていた。
日本においても、近い時期に制定された冠位十二階の上級官位は、それ以前の氏姓制度における有力豪族で占められている。
太古の昔より人間社会には序列が存在したのである。
しかしながら本書では、客観性の獲得による事象の数値化が、ここ200年ほどの間に人間の序列化を生んだ諸悪の根源として書かれているのである。
また、本書内において文頭に提示された一つの仮説を、文末ではそれを事実として断定している箇所が随所に見られる。
そして次のパラグラフ以降、その「事実」に基づいて著者の自説が展開されていく。
恐るべき姑息さである。
単に悪文家ゆえに読み手を当惑させているにすぎない可能性もあるが、私は本書から、事実を糊塗し歪曲せしめ、読者を自説に誘導しようとする著者の意図を感じずにはおれない。
興味深いテーマではあるが、信用のおけない一冊となってしまった。別の著者による同テーマの物があれば読み比べてみたい。
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一通り読みましたがこれは読まなくていい本かな。
もう少し丁寧にそして体系的に客観性のメリット、デメリットを解説して欲しかった。加えて著者がその対極としている個人の語りの何が良いのか論理的な説明が欲しかった。序盤の客観性が真理とされるまでの歴史の解説は簡潔で分かりやすくまとめられていた。第5章から家庭環境に問題のあった子どもたちの生の声が取り上げられる。おそらく、これらの主張を統計してしまうと良くないということで取り上げているのだと思うが、それにしては冗長が過ぎる。内容も主に著者の専門?の複雑な家庭環境の子どもたちのケアにシフトしてしまってまとまりがない。途中から客観性が脇に追いやられてしまっている。著者も著者だが、ちくまプリマー新書は本の帯やタイトルにここまでミスリードなことをしてしまう出版社なのか…残念で仕方ない。