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本やスマホ、土地や家屋、雇用や資産。第一線の研究者6人が、所有(権)の謎をひもとき、人間の本性や社会の成立過程を捉えなおす。
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岸政彦さんのファンなので(文章も好きだし、Twitterのぼやきも好きだし、声も好きだし、顔も大好き)、岸さんが書いたもの、関わった書籍は全部読むと決めている。でもこの本は専門性が高くて、特に岸さん以外の方の論文は、門外漢の私にはどれも難しすぎた。何回か中断と再開を繰り返してなんとか読破したけれど、ここに書けるような感想は得られず、「読み終わった」という事実だけが残った。しょぼん。
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面白かったけどなかなか難しかった。
3〜5章は特に。
5章は、世界システム論から所有を語っているということで大変関心を持って読んだ。
世界システム論と所有の接続ポイント(「外部の内部化」=収奪)まではよく理解できたが、その後、リオリエントのくだり以降は議論を追えなくなってしまった。
1章は、新聞記事を並べるだけじゃなくてもう少し論じてほしかった。
あの新聞記事と所有権の解体には飛躍があるのに、そこを埋める議論が抜けている。
戦後沖縄の空気感はよく伝わった。
圧倒的にわかりやすく面白かったのは2章。
さすが小川さやかさん。
どうしたら私は所有の欲望まみれのこの私から解放されるだろう?という問いのヒントをタンザニア商人から教えてもらうつもりで読み進めた。
まず所有しないことのメリットは、『チョンキンマンションのボスは知っている』で論じられていた通り、リスクヘッジであることはよくわかった。
ひとまず私は銀行口座をもう一つ開設しないとタンザニア人に卒倒されてしまう。
一方でいま我々は、いろんなものを所有することで自分を打ち立てている。
私もそうで、服やアクセサリーが好きだしどういうものを身につけているかで自分を規定している部分は大きい。
でもタンザニアの人は、「手放すことで自己を打ち立てる」のだという。
手放すこと(贈与したり売ったり貸したり)は自己を打ち立てることと反対のように思えるが、手放したものにも自己は宿っていて、手放した先の新たな所有者が自己の存在をそこに感じてくれる。
そうして手放すことでも自己の唯一無二性を他者から承認してもらうことができる=自己を打ち立てることができる。
このような理屈だった。
とても納得できるものだったし、凝り固まった所有欲に支配されている自分に新しい風を吹き込んでくれると思う。
ただ、一つ気になったのが、「上記のような自己の打ち立て方は、人との関わりが煩わしくないだろうか?」ということ。
所有なら、他人が単に外から見るだけである程度自己ブランディングに成功するわけだけれど、手放すことによる自己の打ち立て方は他人との濃密な(?)コミュニケーションなしには成立しない。
それを煩わしいのでは?とか思ってしまう私は、さめざめとした現代人なのだろうか…
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2章、3章は秀逸。4章も経済学説の整理としてわかりやすい。タンザニアでの観察研究の結果や中国の歴史的経緯を経済学で整理していただければ更に良かったと思う。欲を言えば、法学者による論考も。