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大江先生はとにかくパワーが違います。文が迫ってくる。頭が毒される。パワーある文章。
本作は特にパワー溢れている作品じゃないでしょうか。グイグイ来る。
何といっても一行目がすごい。読めば分かるけど、何か日本語としての違和感がある。これが良い違和感なのだ。「ん、どういうこと? いや、意味は分かるけど、一体どういうこと?」そういう一行目で、ぐいっと作品の中に僕らは頭を突っ込まざるを得なくなる。
あとは、パワーある文章がどどどっと流れ込んでくる。
ただ、まあ、読み終わった後は結構疲れる。純文学特有の良い疲れなんだろくが、まあ、疲れる。
そういう本だよ。
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ノーベル文学賞作家、大江健三郎氏の処女長編作。
主人公の僕は父親から感化院(現在の児童自立支援施設)に入れられ、そこで生活している。男娼をしている南やその他の仲間、そして唯一感化院の部外者である弟とともに、戦時下の疎開先として山奥の閉ざされた山村へ向う。彼らはその行程で農民たちの排他的な閉ざされた壁を感じとる。
疎開先では疫病が流行りだし、唯一の通行路を封鎖さした村人たちは彼らを残し隣村へ逃げ出す。身体的にも閉ざされたしまった彼らは、母親が疫病の為に死に村人に取り残された女の子、消極的な反戦思想の予科練の脱走兵、自ら村に残った朝鮮人部落の逞しい少年と連帯し、自分たちだけの楽園を作りあげるが...。
少年たちの連帯や閉塞、無垢なもの、部外者(大人)からの侵食。そして仲間の裏切り。初期大江作品を貫くテーマがこれでもかと詰まっている。豊饒な死のイメージで彩られ、牧歌的で神話的な魅力を湛えた小説空間はあっというまに最後まで読者を読み進みさせていく。
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世界で一番好きな作品。何度読んでも自分が経験したことのない時代、場所、興奮に出会うことができる。完璧に世界をパッキングした作品。ぜひ読むべき。
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大江氏の作品の中では読みやすい作品。戦争中、集団疎開した少年たちを描いてあり、物語の序盤から中盤にかけては貧困、疫病などの戦争中の状況の厳しさが伝わってくる文章である。、濁ったような空間の中に登場人物たちが写しだされ、何もかもが汚染されたようである。中盤から終盤手前には、少年たちのヒューマニティーあふれる結束により廃れた空間を雪のなかの祭へと変貌させることで戦争が創りだした醜さと少年たちの友情の美しさが見事に対比されている。
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いまだに「芽むしり仔撃ち」という言葉が自分の中で消化しきれてない感じがある。ちょっとまた読んでみたい。
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これも高校生のころ挑戦して挫折した本。やっと読めた。
金閣寺を読んでから、重厚な文体を欲していたので読めるかと思い、手に取ってみた。結構すらすら読めた。
圧倒的な心理描写をするには圧倒的な観察力による客観的事実を描写する能力が必要であり、三島由紀夫と大江健三郎の二者にはそれがあるなぁ。
ただ三島さんは詩で大江さんはストーリーなんだなぁと。
二人の他の作品も気になるなぁ。
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衝撃、何なのだこの新鮮な感動は。第2次大戦末期の寒村を舞台にしたこの小説は、昭和33年に書かれている。なのに、過去の話というよりは近未来を舞台にした話に思えてくる。高校生のときに読みそのときも始めて触れるタイプの小説と言う印象で、大事な一冊として何度にしまってあったのを昨夜なんか退屈とふと目にとまって読み返した。最初文章がこんなにキレイだったかと思うのだ。何がキレイか。風景の描写だろうか。感情や様子の表現だろうか。そうだ、文のリズムと言うか読みやすさだ。そう思い声に出して読んでみた。朗読しやすい文章なのだ。句読点や接続詞の区切りが息継ぎしやすいのだ。戦争末期、感化院の少年たち15人が山奥の寒村に疎開するが、疫病に村人たちは村の出口を封鎖し少年たちを置き去りにして逃げてしまう。閉じ込められた村の中で、自由なのだと感じたとき新たな発病者と村人の帰村により少年たちは屈辱的な結末を迎える。最初から、無邪気な弟の存在は結末の悲劇を予想させるのだか、この弟の存在が全体の中で妙に精神的に大人びた諦めや絶望感を感じさせる主人公の希望や少年たちの本来の好奇心あふれる素直な姿の象徴のように思え、いっそう結末が胸に迫る。愛する犬が殺されたとき、守ってくれなかった主人公やすべて犬のせいにするほかの少年に対する弟の絶望感、それは村人たちが少年たちを見捨てたことの縮図のようにも思える。自由と思っていた世界の中で少年たちも大人になっていく。この小説の中で、大人たちは強い存在として書かれている。確かに武器を持っていたりはするが、頑強で狡猾な存在、いま大人の男たちにそんなイメージはないように思う。近未来的に感じたのはそれだけ戦争がはるかむかしの出来事になってしまい、実感がなくなったというか社会から忘れられ、それよりも新たな戦争を予感させるような出来事が続いているせいだろうか。決して古臭い過去の作品ではないし、古典と言うような堅苦しいものでもない。ぜひ若い人に読んでもらいたい一冊だと思う。2005・9・27
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ノーベル文学賞作家、大江健三郎氏の処女長編作。 ということを知らずに読みました。題名が秀逸すぎる。
最初から最後まで「不条理」な世界です。外国文学でいえば蝿の王+かっこうの巣の上で+ペストといった印象。日本文学では、比べたくない。印象深すぎて。
時代は世界大戦末期、主人公は感化院の少年たち。山中の村に集団疎開をするも、疫病の流行とともに村人たちに置き去りにされた挙句、強制監禁状態に。絶望的な“閉ざされた”状況にあって、疎外された少年たちが築き上げる奇妙な連帯感と、その終焉・・・といった話。
非行暦のある主人公と、無垢な弟。男娼の少年、朝鮮人部落に生きる少年、親を亡くした唯一の少女、その他大勢の意志弱き少年たち、彼らと世界を共にすることを拒むかのような、予科練の脱走兵・・それぞれが、大人のいない世界で一定の役割を果たしています。
純文学とかの分類はよくわからないけれど、私的日本人作家の本ベスト5には殿堂入り。
薫る文体というのはあるもんだよなぁ、と実感しました。五感が言葉に乗せられていきます。
読み始めてまもなく、ぶわっと見えない世界の風呂敷に覆われて、気付くと外の音が聞こえなくなっている。
個人的には自然の描き方が豊かでうっとりしました。決して綺麗な風景ばかりではないんだけれど。
また主人公の感情が赤裸々で、気付くと彼が歯を食いしばるときは歯軋りの音が聞こえ、彼が涙を流せばそれがうつす月明かりが見える・・という風に、「体感」を超えたシンクロ度合いが成立してました。
なんだこの本。すごいよこの本こわいよこの本。
最後は安い救いも希望もなく、少年たちは絶望と諦めと屈辱に身を浸すので、ああ・・・と嘆息が漏れそうになるんですが、
世界の終わりは来ず、主人公の全力の疾走を持って幕が切れます。
涙が乾く間もないその疾走、足の指先で土を蹴った時に奥歯に感じたであろう力、腿の緊張に、なんでか戦後の日本を感じました。舞台は戦時中だし、主人公たちにとっては戦争なんて遠い言葉なんだけれど。
この話はフィクションであって、戦時中にこんなことが実際に起こりました、戦争ってこわいよね、といった類のものではない。
ただ、実際に存在したであろう空気、言葉、眼差しを、作者が抽出してこねくりまわすことにより、「そのときの現実」を知らない私たちにその残り香が伝わる。その残り香と似たものを、「いま」の隙間隙間に感じるようになる。
過去を世界の中に溶け込ませる、それも完璧な世界に・・・という、力のあるフィクション作品の一つだと思います。私は、読了後手を叩きたくなった。
ちなみに、
「nip the buds shoot the kids」という題名で翻訳されているそうで、アメリカでは課題図書にする高校もあるんだそう。
英語でこの感覚は伝わるのか、興味あります。映画化したら面白いんじゃないかしらん。今のこの日本だからこそ。
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大戦末期に疎開した少年達が、疫病の危惧で村に閉じ込められる。
そこでの生活を描写した作品。
陰鬱で凄惨な状況下ながら少年達は希望を見出しながら生活をするが・・・。
タイトルは、「出来損ないは、若い内から芽をむしり取ってしまう」という、絶望下での大人の言葉です。
それでも主人公は屈服せず、村から阻害され、追放されながらも生きようとする。
最後の描写は十人十色の感想はあると思いますが、主人公はそれを正しいと思ったのか・・・。少年の葛藤を考えさせられる作品です
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蝿の王を連想させる舞台設定だが、ゴールディングよりこっちのほうが個人的には好き。ハイポトニック飲料のようにすーっと非現実的な世界の描写にも関わらず入り込んでくる。
戦中の日本という時代なのか、感化院の子供たちという主人公のせいなのか、山奥の僻村という舞台なのか、終わりまでどこか暗い、救われない作品。
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戦時中、感化院の少年たちが、疫病の流行とともに集団疎開先の山村に閉じこめられる。村を占有した少年たちは、感情豊かに、生き生きとした生活を送る。猟で捕った鳥を焼いて食べながら歌をうたう場面が印象的だった。焼鳥がすごくおいしそう。
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読了した直後の第一印象は「決して報われない、ぼくらの七日間戦争」。少年たちが大人たちのいない閉ざされた環境での共同体を築こうとするのは両者とも同じテーマなのだが、宗田理はそれを現代的明るさと胸のすくようなラストで閉めたのに対して、大江健三郎は戦間期のムードを反映させた過剰に対比させられる性と死の風景、そして苦々しい結末で描こうとする。とはいえ、それは決して悲劇的というわけでもなく、むしろ読了後時間が立てば立つ程肯定的に思えてくる。解決なんて何一つ存在しなくても、最後まで自らの誇りのために足掻き続けるんだ。
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戦時下で抑圧された生活を強いられる非行少年たちが、自らの意志で理想郷を創造し、挫折する姿を描く。主人公の少年の払った犠牲、他の登場人物が選んだ生き方に、考えさせられる。
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太平洋戦争時、感化院に入っていた子供たちを集団疎開させるため山奥の寒村へと歩いていく。冒頭、脱走者がふたり出たために足止めをくらっている場面から話ははじまり、ふたりは予定調和のように半殺しの目にあい戻ってくる。憲兵から逃れても幾重にも重なる輪のように広がった「村」の目からは逃れることができない。
彼らが着く頃には寒村では疫病が流行しはじめ、村人たちは隣村へ避難してしまう。取り残された感化院の子供たち、取り残された村人の娘、朝鮮人の子、そして山狩りを逃れた逃亡兵……彼らはバリケードに閉ざされた村に、広まる疫病という得体のしれない脅威におびやかされながら、彼らだけの生活をはじめる。
どこまでも排他的で広範にまたがる「農民」という透明な壁――そういう見えざる閉塞感が設定によってよく表されてると思う。なんとなく「蠅の王」を彷彿とさせるような。
あと「バガボンド」の山狩りの場面を読んで戦慄したのを思い出した。農民の容赦なさが怖ろしい。
解説では感化院の集団疎開や村人の一斉避難などありえないと書いているが、観念からこのような「ありえない」状況を措定してこれだけの物語にしてしまう構成力ってのはやはりすごいよな。
わりかし面白く読んだけど、凝り過ぎって感じがしなくもないんだなあ。
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生まれて初めて読んだ大江氏の小説。思っていたよりは、わりと読みやすかった。
太平洋戦争末期、感化院の少年たちが集団疎開の長い移動の末にたどり着いたのは山中の村。そこで疫病が発生し、少年たちは村人に見捨てられ村に閉じ込められる。今とかけ離れた大戦中という状況下のことだからか、それとも設定自体がそうなのか、どこか遠い文化圏の出来事のような印象を受ける。どうしようもない絶望と怒りを抱えた少年たちを取り巻く陰鬱さがなんともいえない。