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いわずと知れた広島原爆の話。
その当日から終戦、そして数年後の暮らしまでを淡々とした描写で語られています。
題名として使われている黒い雨についての描写は少なく、ただただなんでもないように語られているのが印象的です。
私自身が原爆の持つイメージとして大きいのが、写真でもよく見るきのこ雲でしたが、それが落とされたとき、人々は晴天の早朝
の中、ただただ毎日を過ごしていたに過ぎないと思うと、息苦しくなります。
確かに写真や映像によって私たちは原爆というものを学び、その恐ろしさについて知った気持ちでいますが、それはただのつもりであるんだな、と感じずにはいられません。
しかし、現実に原爆の恐ろしさを身をもって体験するなんてことは出来ないし、絶対に起こってはいけないことなので、だからこそこういった文学の存在があるんだなと感じました。
文学が与える衝撃は、脳の奥深くにそっと根付いて、じくじく痛む気がします。
そういうのって、やっぱ凄い。
ちなみに一番響いたくだりは、2人の兵隊さんが原爆投下後の広島の街から多くの焼け爛れた死体を運ぶときに、思わず
「わしらは国家のない国に生まれたかったのう」という台詞。
国家のない国という場合の国家とは何を指しているのか。
政府?主権者である天皇?軍部?
その言葉の指す意味は彼らにしかわかりませんが、この2人の切実な願いのようなものは痛いほど伝わってきます。
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主人公・閑間重松、妻シゲ子、姪の矢須子の三人家族の物語。舞台は広島への原爆投下の数年後、年頃の矢須子に縁談話が持ち上っても、「原爆症があるのでは」という飛語のお陰で悉くだめになってしまう。それが単なる噂であると証明するため、重松とシゲ子は原爆投下当時の「原爆日記」を清書し振り返る。
ごくありふれた一市民の視点から、広島原爆の惨劇が克明に綴られる点で、『黒い雨』は読者にこの事実をどう捉えるかを託していると思う。
歴史的出来事として広島、長崎の被爆の事実を知っていても、その詳細を知る者は時代を追うごとに少なくなる。60年前にこの惨劇が確かに起こり、平凡な一般市民が巻き込まれ長い間苦しみぬいた事実を決して忘れず、学び続けなければならない、と私は考える。
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井伏鱒二の代表作。主人公「閑間重松」のモデルは、旧三和町に生まれ育った実在の人物。生家のあったほど近く、つつじが丘公園に文学碑が建てられている。
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学校の広島研修前に渡された本。
大作なのですが途中で挫折してしまったので再度チャレンジしてみます。
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広島に生まれた者として、読まなくてはならない作品だと思い購入した。これを読んで初めて知ったこともあった。それは直接被爆していなくても黒い雨に当たることや、被爆地に長い時間滞在することで原爆症を発するという事実だ。この作品は原爆に対して特別なにかを主張するというよりも、それによって人々がどのような生活・人生を虐げられることになったかを詳細に記すことで原爆がもたらした悲惨さを鮮明に物語るものである。以下抜粋―「頑固な耳鳴りのほかは何等の後遺症もない。ただ耳鳴りは日夜ひっきりなしに遠寺の鐘のように鳴りつづけ、私自身にはそれが原爆禁止を訴える警鐘に聞きとれる。」2008-2-13
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主人公や周囲の人の日記や手記を読んでゆく形式で進行してゆく話。
日記や手記という形式だからなのかもしれないが事実を淡々と記してゆくだけで、専門的な注釈を加えないのが現実味を帯びさせるとともに物足りなくもある。
主人公重松の「正義の戦争よりも不正義の平和のほうが良い」という言葉はありがちな言葉だが焼け野原の広島を前に出た言葉は重みが違う。
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・高校の頃読んだ山椒魚以来の井伏鱒二。
・被爆した広島の描写が圧倒的。入市被爆の恐ろしさ。
・主人公の日記と言う形を取り現時点と回想が入り交じる巧い構成。
・主人公達は被爆したことを受け入れ淡々と生きていて力強くも儚くせつない。
・原爆がヒステリックでもなく、極端に反戦的だったりするわけでもなく描かれている名著。
・原爆症の発症を隠す矢須子の姿に心打たれた。
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原爆が落とされる数日前から終戦までの物語。
ずらずらと、ただずらずらとその様子が描かれており、どこか退屈な感じを覚えているかもしれない。
だが、リアルにその様子を描くのはどうやらそれしかないようだ。
文学作品として見るのではなく、何か違うものとしてみないといけない作品である。
名作といわれる所以は読んでからないとわからない。
また最後の方に物語らしい展開があり、何かを期待させる。
だが、その期待が無情なものであるか、希望であるのか、はたまた違う何かであるか。
それは読者の感性によってくるのではないだろうか。
なにはともあれ、人生に一度は読んでおきたい本。
また、原爆が何かということ、また何をもたらしたのかということを知る上で読むべき本。
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BSで観た、今村昌平監督の『黒い雨』に衝撃を受けて(と同時に今村昌平監督の作品に魅了。。)原作を読む。
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広島に原爆が投下され、終戦を迎えるまでの日記を清書するという形で進められていく小説。とても淡々と書かれているが途中には目を背けたくなるような描写が挟まれている。戦争をしていることに疑いを持たなかった人たちが現実味を帯びて表現されている。
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この作品は、一度は手にとってみるべき作品だと思います。
事実が書かれているので、内容はとても重いです。
描写もグロテスクな部分もあるが、
そんな描写だからこそ、広島の状況が良くわかる。
広島に行ったことがあるので、今の広島市と比べると
本当にここに原爆が落ちたのかと思ってしまいます。
今は、路面電車が待ちの中を走り、
大通りにはデパートやビルが立ち並び
人が行き交っていました。
そんな街にある、平和記念公園や原爆ドーム。
忘れてはならない、原爆投下の日。
今では、原爆によってできた
壁にできた人の影も、だんだん薄くなってきています。
原爆ドームも、風化していっています。
だからと言って、広島、そして長崎で起きた
原子爆弾の脅威も忘れてしまってはいけないと思わされました。
体験したわけではないの、客観的な考えや
分からないことだらけだが、
この作品を読んで、
戦争が何をもたらすのか、
原爆が人類に初めて落とされた広島はどうだったのかを、
後世に伝えるための1つの作品だと思いました。
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広島に投下された原爆。それに付随して降りそそぐ黒い雨。雨には放射性物質がたっぷりと含まれていた。原爆の恐ろしさを実写的に物語る歴史小説であるとともに、原爆前後に繰り広げられる主人公を取り巻く家族や近所の人たちとのやり取りなどはほのぼのしており(日常のなかの異状事態)、それが妙に怖さをかもし出している。余韻の残る作品。
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忘備録。
3年前くらいに読了。
広島の原爆の小説。
祖母が実際に被爆者っていうこともあって
それについては関心が高かったので。
いやーやっぱり戦争はいけないです。
でも国を守るにはもはや核兵器を
持つしかないのではと思う。
持たざるものはやはり弱いのでは。
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この本は昭和20年8月6日、広島に原爆が投下され、その時郊外の疎開先にいた高丸矢須子は叔父・閑間重松の元へ行くため瀬戸内海を渡っていたが、途中で黒い雨を浴びてしまったこの時、矢須子は20歳の夏の出来事だった。その5年後矢須子は重松とシゲ子夫妻の家に引き取られ、重松の母・キンと4人で福山市小畠村で暮らした。そこで同じ被爆者で幼なじみの庄吉、好太郎と原爆病に効くという鯉の養殖を始め、毎日釣りしながら過ごしていた。その後さまざまな原爆による後遺症が矢須子を襲う。という話であらためて原爆の恐ろしさを知ることができた。
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広島に落とされた原爆の惨事が書かれている。原爆による被害者は、原爆が落とされたその瞬間だけではない。
後々になって原爆の症状が出て苦しむ者、そして並大抵ではない精神的苦痛が描かれている。
原爆〜終戦までに起きたことを思い出しては記録につけている(回想)という形。
日本人・・・だけでなく、世界中の人に読んでほしい小説!
原爆のむごさというと、ついつい爆弾投下時が浮かぶけど、1年たって原爆の被害に遭う人もいる。
被爆者ということで縁談を断られるなど、悲しいこともたくさん怒っていた。
屍体の様子が鮮明に描かれていて、思わず目をそむけたくなるくらい。(臓器がはみ出ている様子など。)
それでもこういう事実があったんだー、と知っておきたい。
バスの中のお婆さんに席を譲った少年のエピソードが印象的だったな。
それと被爆者のやけどの傷を、キュウリの汁を塗った治療しかしていないとか(!)
あ、あと登場人物が皆けなげで一生懸命。だからなおさら「なぜ一般市民がこんな悲惨な目にあわなきゃいけないの?」と思えてしまうんだろうなー。