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現代なら炎上案件?
学校で習った、とっても偉いお方々にこういう面もあったのね、となんだかほっこりします。
しかし、もう亡くなっているとはいえ、手紙がこうやってさらされるなんて…。
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電車の中で読んでいて、太宰の川端に対する「刺す」で吹いた。
みなさま「私は正しい。私は許されてしかるべき。だが、あんたは間違っている。断罪されるべきだから謝れ」と客観的視点というものは遥か彼方へうっちゃっておられる。それくらいの神経でなければ、文豪にはなれないのだろう。
端から見ている分には面白いが、身近にはいて欲しくない人々である。
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これもアメトーーク読書芸人で知った本。文豪の本をほとんど読んだことがなく、歴史的なことも知らないので、そういう諸々を知っていれば、もっと面白く読めたかなとは思う。菊池寛と永井荷風のとこは読み飛ばしちゃった。今、目次のとこ、菊池寛の池→地になってるのを発見。あんなに名前の漢字を間違われるのに文句を言ってたのに、ここ間違えるかね。わざとなのか?坂口安吾「不良少年とキリスト(より)」が一番ぐっときた。太宰治が自殺したのを受けて書いたもの。『いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。』ちょうど引きこもりと自殺念慮の本を読んだ後だったし。坂口安吾は読んだことあるし、一番親近感を持っているのもあるだろう。最後の谷崎潤一郎と佐藤春夫の、けんかして和解して、結局佐藤は谷崎の妻のお千代と再婚したんかい!ってのは驚いた。やっぱ人の色恋は分からんものだ。
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昭和初期の文豪と言われた作家たち。みんな怒っていたんだな。文章による喧嘩。文章力があるために、売り言葉も買い言葉もまあ激しく強烈である。今のようにSNSなどない時代、それぞれがホームグラウンドの雑誌に悪口を寄稿して発表するという。書いているうちに怒りが増幅しているのではないかと思える。読んでるこちらは面白いのだが。
太宰治や中原中也はかなり絡むタイプだったのだと思う。悪口が、現代から見てもかなり低俗であるのも笑えてしまった。
文藝春秋を作った菊池寛は、周囲に喧嘩を売りまくっていたようだ。永井荷風、怒ってますね。
谷崎潤一郎と佐藤春夫が女を巡って喧嘩していたのは有名だが、その時に交わされた書簡が公表されていたとは。これも興味深かった。
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文豪版BEEF。昔の作家は本当に仲が悪い。笑
しかも文才があるので、その愚痴、喧嘩をも作品にしてしまう力がある。
個人的には中原中也の悪口がストレートな物言いかつユーモアがあって好きでした。
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文豪なのに悪口はシンプルなものもあって、面白かった。
作品しか知らず、個人的に意外な組み合わせで仲が悪くておどろいた
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有名人で文才もあり、時に社会的地位も金もあるのに他人への恨み辛みに時間と労力と才能を注ぎ込む作家たち。
流石のハイセンスな悪口は日常生活で使ってみたくなるものばかりだが、やはり読み物として図書館や個人の本棚にあるのはちと具合が悪く、かといって歯医者や美容室の待合に置くのは本が可哀想。他人に勧めるのも気が引ける。
星3.5としたいところを3で。
【見習いたい言い回し】
太宰治が若き日の志賀直哉写真を見て「薄化粧のスポーツマン」
檀一雄が太宰治の死に際し坂口安吾を訪ね「貧乏すれば贅沢をし、たんまり金があれば20円の手巻きタバコ」といいつつ高価なタバコを差し出す
坂口安吾「現世的な俳優の仕事とは違い、文学は歴史性のある仕事」「親がなくても、ではなく、あってもだ」「時間は無限ではなく生まれてから死ぬまでだけだ。原爆は学問ではなく制御と平和利用を考える、限度を考えるのが学問だ。学問は限度の発見だ」
菊池寛「13人よれば1人のユダ」
佐藤春夫から谷崎潤一郎
「どんな無情な行人でも、君が僕を打つほど残忍であるかどうか僕には信じられない」
「惚れた女に優しくするのは悪魔でもする」
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毒にも薬にもならないというか、大人の喧嘩を他人が見てもあまり愉快ではないなぁ。(なら、なんで読んだんだよって自分でも思うけど)
現代の、Twitterのリプ欄で言い合いしてるよりは少しは高尚なのかもしれないけど、似たようなことは時代を問わず繰り広げられてるなあと思った。
これらの作家のファンの人なら楽しいのかも。