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AIが主人公という本作、壮大なSFかと思いきや、心に迫り来るストーリー。
死とは、生とは、人をその人として形作っているものはなんなのか、感情なのか情報なのか、心とはどこにあるのか?考えさせられました。
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人間の子供の成長を手助けするAFという、人工親友と呼ばれるクララが主人公。一人称のみの語りの本は、太宰治の人間失格を読んでから、トラウマ級に苦手になりあまり好んで読まなくなったけど、今回はロボットが主人公という点と、話題のカズオ・イシグロの本を読んでみたいという好奇心で読むことにした。
読めばわかるけど色々な構造上の問題、闇は出てくるが、語り手である、人工親友のクララが、終始冷静かつ客観的でいながら、優しく従順なところが、どこまで人間側がプログラミングした機械であるのだろうかと疑ってしまう。買い手である人間に、いつも気を遣いながらも、必要とされる時にいつでも頼ってもらえるように、ただそこにいるという、心構えが切ない。一人称がクララ視点であるだけに、どうしても感情移入してしまう、、
ロボットが心を持つのか?といった、巷であふれる問いについても筆者から完全な答えを出してないところもまた良いなと思った。
クララの人間に対する、慈悲的で思いやりの行動は、それが心と言わずして、何なのだろうと考えられる一冊です。
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最初は設定を理解するのにやや手間取る感があるが(でもこれもイシグロ作品ならではの楽しみ)、ラスト1割が素晴らしすぎる。語り手としてAIを活用することで人間への様々なメッセージを込めているのがとても巧みだと思った。
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テーマがあまりにも大きく どう捉えていいのかわからない部分がありながらも 圧倒感が拭えないストーリーだった
内容を端的に言えば AFという人工親友ロボットが介在する世界の話
その世界は『遺伝子編集の恩恵』を受けた者と受けなかった者との格差と差別感があり その二極化こそが息苦しさを伴う人間社会の日常を創りあげている
近い将来起こらないとも言えないこの倫理観が問われる
ロボットとの共存社会を 人の生命の有りようを深く問う物語だった
一文一文は ひらがなも多く平易でありながら 比喩するもの 訴えかけるもの 問いかけるもの 推測を求められるもの…など 読者に投げられるものが多く 難解な読書となった
読み進めるうちに 少しずつ出てくるワードから物語の舞台背景を読み解く構成なため 味わい深い作品である
まずAF!
タイトルの『クララ』がまさにAFなのだが 読めば想像で分かるものの決定的なワードはすぐには出てこない
◯『人工親友って、どれも独自の個性をもっているのよね?』 (本文より)
この一文で決定打が下される
最後まで どうして人工親友をAFって言うのだろう なんの略語?と思っていたが 解説の鴻巣友季子さんが
文中に『AF (アーティフィシャル・フレンド/人工親友)』と表記されていたため おお、そうかそうか!と納得した
人と人との関係が希薄になったり 懐疑心持たざる得ない世になったりで 人工親友を求める風潮が生まれるのは 分からなくはない
現に 今の実社会でSNSでの出会いが重宝されるのは 自分の全てを知らないからこそ…という安心感が背景にある場合も少なからずあろうと思う
人工親友なんかいらない 生身の友達がいる!
こう思う人もあろうが ロボットもクララのように感情を持つまでの進歩を遂げているのだから もはや既存の概念で捉えるロボットではない
ぬいぐるみや車に愛情を寄せたり ペットに愛情を寄せたり 植物に愛情を寄せたりするのとなんら変わりはない
しかも AFは感情を有するとなれば 相性が合えば親友になれるに違いないし そんな親友はいらないとは思えない
むしろ 人工親友もいてほしいぐらいだ
近い将来 どの家庭にもクララのようなAFがいる時代が来れば 私は彼らの尊厳を大切にしたいし 仲良く楽しく暮らしたい
作中 クララは『B2型』で 最新の『B3型』を求める顧客の期待に添えない場面があったが ジョジーはクララを選んだ
別れの場面で クララが『ありがとうございます。選んでくれたこと、感謝します』と言った時 ジョジーは『簡単な選択だった』と返している
このやりとりには涙が出た
人と人の出会いにも運命的ってあるけれど ジョジーとクララが人とロボットであっても やはり出会いは運命的であったのだと思わせる
『簡単な選択』という言葉が ジョジーのクララへの愛情を思わせてならない
そして 物語には『向上処置』を受けた者とそうでない者の差別も描かれる
ジョジーは『向上措置���を受けた者 恋人のリックは『向上措置』を受けなかった者
この2人が恋人であることの難しさは 周囲の偏見によるものだ
今の世でも何かしらの偏見で二極化され そうである者とそうでない者 それを持つ者とそれを持たない者が隔てられることは日常だ
それぞれはそれぞれの場所でしか生きられないのではなく 混ざり合って生きる部分が必要なのだと改めて考えさせられた
そういう意味では 若い人の溢れる恋人との関係は周囲が見えず 無茶苦茶なところもあって がれきを崩すのに最適だと思う
この物語は AFであるクララの語り口調で綴られているのも興味深い
クララ視点では 人の社会はこう映るのか 人の感情はこのような振る舞いから読み取れるのか…という発見の面白味があった
『〜略〜
そして今回もう一つわかったことがあります。それは、人間はさびしさや孤独を嫌い、それを逃れるためなら、思いもよらない複雑な行動をとるということです。』
(本文より)
また AFであるクララが たとえそのように計算されたプログラムが組み込まれているにせよ 主人となるジョジーのためなら 全てを投げ打っても良いという思いでいることに心を動かされた
『わたしの能力がB3型に比べて限られたものであることが、今回どこかで露呈したという可能性はないでしょうか。ジョジーも母親もそれを身近に見て、お店での選択を誤ったと後悔したということは?もしそれが理由なら、わたしにできることは一つです。二人の心からその後悔が消えるまで、いっそう努力して、よいAFになること以外にありません。』(本文より)
クララが体調が悪化するジョジーを心配し 自分の能力が減ったとしても…と自分の体からP-E-G9溶液をいくらか取り出すことに即決したシーンや 自らが太陽光で活性化されることからもおひさまを神のように崇めて祈りあげるシーンにも心を動かされた
人も 大切な人や苦しんでいる人を助けようと血液や臓器を提供するし 各々がなんらかを神格化して苦しい時にすがって生きもするし
クララと私達人間とは共通点が多く 逆に何が違うのだろうと思わざるを得ない
そこに思考の優劣は存在しないのだ
ひょっとしたら ジョジーは死んでしまうかもしれないという不安に駆られた時 クララにジョジーとなり変貌を遂げてほしいと願ったり
コピーできないものはないから ジョジーが死してもなおジョジーを別個体で存続させられようと思ったりする人のエゴが悲しいと思った
ラストは圧巻
クララがもともといた店の店長さんが クララを『廃品置場』で見つけて声をかける
店長さんが足を引きずるように歩くさまを背後で見守るクララ
このシーンでは 時の流れを感じさせた
店長さんは人間だから老化をし 歩行にも変化が生じた
クララは 十分に使命を果たしたため不要になり廃棄された
この違いは大きい
店長さんの老化は 人間誰しもが通る生物の現象
クララの廃棄は 人間のエゴによるもの
私達は 何を大切にし 何を問題だと考えなければならないのかを問われる作品だった
ただ あまりにも内容が深く ���度の読書では著者のメッセージを受け取れきれなかった感もあり 星は4つ
また 自分の人生がもう少し進んでから再読したいと思う
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一人の少女に仕えるAF artificia friendの物語
細かい背景の説明をせずに読み手に世界観を伝える力は「わたしを離さないで」に通ずる。
周りの環境や感情の変化を敏感に読むことのできるAFは主人である少女の治療のためにも自らを危険にさらす。
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初めてカズオ・イシグロさんの本を読みました。
AF(アンドロイド)目線でストーリーは進んでいきます。クララはAFだけど、人間をよく理解していて、でも本質的に理解しきれてない部分もあると気づいていたり、人間の身勝手さも受け入れて、AFとして何ができるのか、行動で示します。
翻訳ものに慣れてなくて少し難しく、ストーリーを理解するのにも時間がかかりました。
もし本当にクララがジョジーのAFとして生きるという選択肢を取っていたら、クララはジョジーとして適応できたんだろうか…と思います。
人工知能が人間の微細な感情まで理解、再現したり、人間の替えになるような未来になったら恐ろしいです。
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AFロボット少女クララからの視点での世界の見方や解釈が表現されている
クララから見える情景描写はとても精緻で全てを美しくし良い解釈へと変換させるものだった
この物語の細部は読者への解釈に委ねられるところがあったように思える
例えばこの世界において人間はエリートしか生きる道がないとかロボットは何の為に存在しているか
いずれ人間とロボットが共存する日が来ると思うがこんな世界にはなってほしくない
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ノーベル受賞の「私を離さないで」に続くディストピア連作第2話的な今作。しかし臓器移植における本質をダイレクトに突き付け、考えさせられた「私を離さないで」に比べ、まだ未知数のAIが主人公の今作は寓話として読んでも響く部分が少なかったか。
それでも家族、友達、希望、などその言葉の持つ意味をもう一度考えさせられる、そんなところは健在で良かった。
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子どもを寂しがらせず、教育するためのAF(人口親友)。
AIは心を持ちうるか、その場合人間に取って代わる存在になるのではないか、というAIでよく論議されるテーマが垣間見えた。病気のジョジーが亡くなった場合に備えて、AFのクララにジョジーを学習させ、ジョジーを継続させようという計画では、ジョジーに特殊なものは何もないからそれが可能だという立場が提示されるけれど、特殊で代替不可能なものはジョジーの中ではなく、ジョジーを取り巻く人々の心の中にあるのだ、というクララの指摘がとても的を射ていると思う。結局ジョジーの代替品ができても母親は納得しないだろうという父親の指摘も尤も。クララがお日さまと交渉して特別な栄養をジョジーに注いでもらい、ジョジーがそれから回復していくというのも、人工に対する自然の勝利だし、環境破壊に対する警鐘もテーマだと思う。
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文脈からどんどんとフラグが回収されていき、予想外の展開に。ハッピーエンドで終わったことや、クララの言葉の深さなど、満足感が高かった。
普段小説を読むのに時間がかかってしまうのだが2日ほど集中して読み終わりました。
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少女ジョジーを巡った様々な愛が描かれた温かく、そして少し切ない物語。
AIが主人公であることも面白かった。
携帯やPCにももしかすると感情があるのでは無いかと思うと、もっと物を大事に扱おうと思った。
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子どもの親友(と書かれるが、乳母に近いイメージだ)として開発された、AIを搭載した精巧なロボットAF(Artificial Friend)が店先に並んでいるところから物語は始まる。AFであるクララが語る内容から、格差が激しくなった世の中の仕組みを読者が理解していく手法だ。また、AFが太陽光をエネルギー源としていることから、クララには太陽信仰に近い感覚があることも理解できるよう仕掛けられている。
人工物だけれど人格がある、いわば “ニンゲン”をどう扱うのか、同じ著者の『私を離さないで』とよく似たテーマだ。
子供の親友として成長に付き添い、子供が成長した後は廃却されるAFの “人生”を見届けるのは廃却場の職員だ。ただし、クララの場合は親友としてあてがわれた病弱な少女が亡くなった後、その少女の代役として生きていく役割を担っていたため、物語は深みを増している。
結果的に少女は健康を取り戻し成長したため、クララは短い使命を終え廃却される。クララの意識はもうろうとしたような描写になっているが、エネルギー源である太陽がある限りクララの余生は永遠に近いのではないか。クララは少女の親友として生きた短い十数年間を反芻し、永遠に近い余生を生きるのだろう。
クララは他のAFより優秀であるよう描かれている。登場人物の中で、低層の階級に属する優秀な少年も描かれるが、低層階級から抜け出すまで物語は展開しない。AFであれ、人間であれ、属性から逃れることはむつかしい。
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ロボットに感情が芽生える経緯が人々を共感させるのはわかり切っているし、もちろん私も大好物。
作中のクララは初めから一定の感情を持って生み出されていて、どうも期待していた感情の発現は訪れないと諦めていたその時、視界の端々から得る情報を基に太陽を信仰する。
崇める対象とその光景を思うと、論理では説明できないような、経験と直感を根拠に何より自分を信じた古の時代を連想した。神話とかそういう時代のね。
まだ解釈しきれていない部分も多くあるので、
これは何度も読みたいと感じる。
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纏わりつく孤独。
この方の作品わ読むと、いつもそういう感情を覚える。
でも、メッセージは強烈だ。
誰も誰かの代わりなんてできないし、人はみんなそれくらい大切な存在だし、それ故にみんな孤独だ。
いつか使用期限が切れる道具なら、なおさらだろう。
そんな「道具」を主人公にして、語り部にして、物語は進んでいくが、常に孤独が纏わりつく。
それでも、読後にある種の心地よさを感じられるのは、やっぱり素晴らしい作品だからだろうと思う。
良い小説です。
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クララは人工知能を搭載したロボットで、AF(人口親友)という用途を持っている。
学習機能があり、周囲の様子からいろいろなことを学んでいく。
お店に置かれていた時も、窓の外を見て、人間について観察し、行動から気持ちを推察する。
子どもが知識を吸収するように。
そして、ジョジーと出会う。
その頃AFはB3型が新製品として売り出されていて、クララはB2型だったのだが、ジョジーとクララは互いに惹かれ合い、母親を説得してクララはジョジーの家に買われていった。
ジョジーは病弱で、頻繁に体調を崩す。
母親はクララの記憶力のよさと、再現性の高さを気に入ったように思われる。
が、ジョジーと母親との関係は、どことなく危ういものを感じさせる。
子どもたちはAFを持ち、オブロン端末を使って勉強をし、友だちとの交流会でコミュニケーション能力を培う。
子どもたちの多くは「向上処置」を受けているが、ジョジーの親友リックは「向上処置」をしていない。
そこには大きな格差があり、処置を受けていない子どもの未来は大きく制限されている。
しかし、処置を受けた子どもにもリスクはある。
ジョジーの姉はそれにより亡くなり、今はジョジーの健康も損なわれている。
最初から、ジョジーの命は長くないように感じられる。
しかし、クララは全力でジョジーを守ろうとする。
クララが思う全知全能の神は、お日さまだ。
クララが太陽電池で動くということもあり、太陽からの光がジョジーに特別の力を与えると信じている。
それはもう、宗教のように。
カズオ・イシグロの話は切なくて苦い。
今作もそうだった。
でも、それは想像していた切なさ、苦さではなかった。
与えるだけの愛。
見返りを求めない愛。
そして成長した子どもは、それを忘れて前へ進んでいくものなのだ。