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藤九郎と魚之助ふたたび。前作ではふたりの関係性に大きな変化があったので、今作ではどうなるのかと思いながら読み進める。中盤までなんとなく緩い空気感というか、人の感情よりも芝居に焦点が当てられているような話の進行にやや物足りなく感じていた。前作ではふたりの関係以外にも役者同士のひりつくような空気感が全編通して漂っていて刺激的だったため。だが、後半に進むにつれて合点がいく。芝居の筋だけでなく芝居に関わる色々な人とその感情を合わせて、最後の一行まで楽しめた。
文政時代、江戸随一の芝居小屋中村座にて『仮名手本忠臣蔵』の演目を終えた客席から屍体が見つかる。その屍体は、首の骨を折られて両耳に棒が突き立てられていた。中村座座元は、鳥屋の藤九郎と元女形の魚之助に真相解明の依頼をする。話を聞くと、その屍体は実は2人目であった。
藤九郎と魚之助以外にも、めるや蜥蜴は要所に登場する。だから、前作を読んでからのほうが人物の関係性は理解しやすい。読んでいなくても充分に楽しめるとは思うが、また別の葛藤が描かれているため、今までのことを分かっているほうがより良い。ヤキモキしながら読み進めた。
そして、物語の結末ではなんともやり切れない気持ちを少し感じつつ、ある感情を貫くことで生まれる欲望や葛藤を強く意識した。魚之助が約束によって引き受けた心と、藤九郎が決意によって繋いだ心、やっぱり極上上吉なふたりだった。また次の物語が読めることを期待しておこう。
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藤九郎と魚之助の物語がまた読めるとは…ありがてえ…。
今回も紗久楽さわ先生手掛ける装丁画のあまりの美し恐ろしさから、憎からず思い合う二人の行く末を案じておりましたが、あらあら極楽ではなくとも、今のところは地獄の一本道ばかりではなさそうでほっと一息。
魚之助には幸せになってほしいじゃないですか……できればその隣には鳥屋のご主人にいてほしいじゃないですか……ねえ……。
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「化け者」としたところに作者の想いが込められてるいるのだろう
「死ぬほど好き」よく使われる表現だが、いったいどれだけの量を大きさをあるいは覚悟を指すのだろう
そしてその大きさを示すために他人の命を秤に乗せてしまった時に化け者は化け物になってしまうのかもしれない
それにしても魚之助と藤九郎のコンビは非常にバランスが悪い気がする
もちろんあえてそうしているのだと思う
とくに藤九郎は読者をも上回る勘の悪さを度々披露してるにも関わらず、さも当然、真っ当な行動だと思っていてもどかしい
つまりは目が離せない
うまいなぁと思う
作中「化け者」は己全てを芸に捧げる役者のことを指しているが、なんだか小説家ってのも「化け者」のひとりなんかなぁと思ったり
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『化け者心中』の続編、ってことになるのかな。
恋する乙女は怖いってことで。
「大磯の虎」を知らない人…は、そもそもこの本を読まないだろうからいいのか。
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『化け者心中』の続編
鳥屋の藤九郎と、稀代の女形だった魚之助のコンビ再び。
人の命さえも手段にしてまでも芸道を突き詰めたいと思ってしまう「化け物」たち。
芸に生きる人たちも怖いが、恋に目がくらんだ娘たちが一番怖かった。
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とてもリズムがあって心地良かった。演者の名前やら役名やら実名やら屋号やらがややこしかったけど後半迫力を感じて引き込まれました
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江戸中期〜後期に素敵という言葉は使われていたのか?
まあそんなことより面白いし、白魚の意匠が大流行していたことを「群れを成して泳いでいた」と表現するのが上手いと思う。
表紙イラストもよく見たら不気味。赤い房の付いた簪みたいなのはどこに刺さっているのか?
魚之助の左手から垂れ下がる髪の毛は背景の枝から繋がっているし、いすかはやたらリアル。
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前作『化け者心中』から3年ぶりの続編。
紗久楽さわの装画も艶やかに、魚之助と藤九郎のコンビにまた会えて嬉しい。
と、この二人、それぞれの胸中に微妙な変化が。
魚之助にもっと近づこうと、己の頭の中に芝居の箪笥を拵え、自らも芝居者になろうとする藤九郎。
年を取ること女形でなくなっていくこと、藤九郎の優しさが自分を変えてしまうことに怯える魚之助。
二人がお互いをかけがえのない存在と思っているのは明らかなのに、そのために反って二人が傷ついていく姿が切ない。
「わかり合えねぇのは良いことなんですか。俺はあなたとわかり合いたい」p219
他者とわかり合えることの喜び、
わかり合えてしまうことの悲しみ。
何も知らない純真無垢さは確かに鋭い切れ味に違いないけれど、「相容れない」ものを知った後の綯い交ぜの強さというのは、より深みを増すのではないだろうか。
「化け者」に見事戻った魚之助を、藤九郎と一緒に見届けたい。そこから、また二人の新たな関係が始まると信じたい。
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今回もどっぷり歌舞伎の世界へ。忠臣蔵をこの前見たので、解説してもらってるようでよかった。
文脈が流れるように詩吟のようで、ちょっと戸惑うというか、鼻につくというか…。
まだまだこれからも続くだろうから、どうなるか楽しみ。
藤九郎の魚之助への想いが、男女だったらすごくドキドキして実を結んでほしい!って感じだけど、いかんせん同性同士。昨今だとそんなのは問題視しちゃいけないんだろうけど、どうなるのかなぁ。
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見返し?本扉?というのか、表紙を開いたら色鮮やかできれいな絵が目に飛び込んで、そこからもう虜。
第二弾なので、さすがに第一弾のときの衝撃は薄らいでしまったが、それでも変わらず二人の心情に切ない気持ちにさせられる。
「変わることって、とっても恐ろしいことでござんすねえ」
ひとつ道を究めようと思ったら、全てを注ぎ込んで、人間らしさも失くして、化け物に近づいていくくらいでなければならない。
大事に思うひとができ、自分を少しでも赦せるようになってしまったら、以前の研ぎ澄まされた自分ではなくなってしまうのではないか。
魚之助のことをわかりたい、あるいは化け者になっても構わないと近づく藤九郎と。
藤九郎を自分のように化け物にしたくない、わかりあえない者同士だと強調することで藤九郎を遠ざけようとする魚之助と。
同じような悩み、テーマはたくさんあって、「3月のライオン」でも多くのページが割かれている。スポーツの世界でもそうだし、芝居に近いところでは、作家もそうなんだろう。
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魚之助・藤九郎コンビシリーズ第二作。
続編が出たのは嬉しいが、今作は少し切なく苦かった。
前作同様、芝居に現れる妖し探しが本筋だが、役者の業、恋に溺れる者の業が描かれる。
魚之助は最初こそ前作同様の高飛車人間だが、途中から変化が出てくる。
中村座のライバル市村座で立女形を務める円蝶の痛烈な皮肉、藤九郎との交流のなかで変わっていく自分、老いていくことへの不安…様々な葛藤が魚之助を襲う。
一方の藤九郎はより魚之助を知ろう、寄り添おうと芝居の世界に浸かり魚之助の友人・花魁の蜥蜴に会いに吉原にも向かう。
化け者になる恐ろしさ、化け者でなくなる怖さ、化け者に取り込まれる恐ろしさ、化け者にすらなろうとする怖さ。
『好きという気持ちは、こんなにもおぞましく、煌びやかで、恐ろしい。
そして役者というものは、その好きを一身に負っている』
藤九郎の純粋さ優しさは、魚之助らにとってはある種の残酷さも感じるものなのかも知れない。
だからこそ『相容れへん』『わかり合えねえ』ことに少し安心感を抱くのかも知れない。
魚之助と藤九郎の関係性の面白さが分かってきた気がする。
※シリーズ作品
①「化け者心中」
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『化け者心中』の続編。
江戸時代。鳥屋の藤九郎と、元女形花形役者の魚之助が、演目「仮名手本忠臣蔵」を上演中の中村屋で起きた鬼が下手人の殺人を解決するお話。
好きだわ、この世界観が。
藤九郎と魚之助の距離が縮まった。
で、その距離感と関係性に二人が悩むという、素晴らしい展開。
寝言が男か女か、という件は 非常によかったです。
元遊女の人虎、という正体はなんとなくわかった。
殺されちゃった新吾くんとか、男の姿の魚之助の救出劇とか、随所に見所があり、話もテンポよく進んで面白かったー。
好きなシリーズだ。
前回の『化け物心中』を読み直したくなった。
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好きも過ぎると恐ろしい。芝居熱とともに魚之助と藤九郎の気持ちの揺れや距離の縮まる様が描かれ、この世界観にハマる。とと様の人間っぽいところが垣間見れ、もっと知りたいと思う藤九郎の気分。
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まず、引き続き、紗久楽さわ氏の絵。本当に本の世界感を丁度良く表してるし、引き込まれる。読む前に10分以上見てた。
相変わらず女形な世界観は素晴らしい。
OBが現役フルボッコ。
ただ、やはり廓詞っていうか、文体が2作目でも慣れてないのか、恋愛物が苦手だから全編それが漂ってる事に拒否反応あるのかわからないけど自分には…
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誰も彼も、芝居に恋愛に執念が凄まじい。文体は正直言って読みづらく感じるのだが、読み進めるうちに段々と引き込まれる。