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長州が幕府に勝った。
なぜ勝てたか、「攘夷」という思想がわかりやすく、単純な危機意識から民族主義になっていたこと。長州毛利家が地生えの大名で、藩士団と百姓団の間には同血意識があり、攘夷という民族主義がそのまま圧縮されて反民族主義になり、その意識のもとに民衆が藩防衛に大挙参加したこと。軍資金がふんだんにあったこと。藩政を担当する者が能力主義方針でその位置についたものばかりであったこと。それらの理由を踏まえたうえで、大村益次郎という日本唯一の軍事的天才を作戦の最高立案者にしてことが勝利をもたらしたと言える。
花神とは、花咲爺のことである。
木戸孝允の言葉「維新は無数の有志の屍の上に出できたった。しかしながら、最後に出てきた一人の大村がもし出なかったとすれば、おそらく 成就は難しかったに違いない。」
西郷という同時代の人々すべてを魅了した一大思想的人格に対して、不導体であり、西南戦争を予見していた。その直観力。徹底的なる合理主義。
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「花神」ってそういう意味だったのか。
この人物の功績や歴史における有用性をこんなに熱心に語ろうとした人は司馬遼太郎くらいのものではないだろうかと思う。
維新前後を描いた作品はうんざりするほどあるけど、大村益次郎が話の中心にいたことはまずない。
坂本竜馬や西郷隆盛をダントツの英雄にしたい側から見れば大村益次郎をなるたけ「そんな人もいたね」程度の脇役にしておいた方が都合がいいのはわかるが、この作品を読み終えた今となると、その扱いに釈然としないものを感じる。
描くに足りない人物だったとは思えなくなった。
本人も歴史に名を残すとか政府の要人としてどうこうしたいとかではなかったせいか、今更大村益次郎をこれ以上細かく掘り返す事は難しいだろう。
後の世に伝えたいと周りが思うような言動をしなかった彼自身にも責任の一端はあるが。
ただ、彼がその希有な頭脳に展開していた戦略や国家像のあれこれをもっと見てみたかったと思う。
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何度となく読み返した。
心が疲れ、自分に迷ったときに読む本になっている。
派手ではないが、ブレない人間の確かさを感じるし、静かでも意志の強さや熱い心が彼を英雄にしている。
彼を認める有識者たちは、それでも彼の故郷を想い慕う心根までは気づいてくれなかったのだろう。
彼の心を感じ取るイネさんはそっと華を添えている。
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ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀歓など結果から見れば無きにひとしく、つまり自分自身が機能化して自分がどこかへ失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。
というのは司馬さんによる、あとがき。
『おれの一生は、事務のようなものだった』
いや。俺はけっこうこういう人、好きだよ。
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今までは新選組や竜馬の目線から見た幕末の小説を読んできましたが、今度は長州の大村益次郎の目線で描かれた話です。正直言って、この方の存在自体知りませんでした。ですが読みやすくとても面白かったです。もっと他の作品も読みたいです。
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四国遍路で宇和島に行くのに手にとった一冊。
幕末から明治にかけてこれまでは新選組側から見た時代が描かれたのばかりを読んでましたが、官軍側から見たこの『花神』もおもしろい。
大村益次郎が基礎を作った日本の軍制は、明治になり坂の上の秋山好古や、真之に受け継がれていくのかと思うと感慨深いものがありますな。
昔の大河で、梅之助が彼を演じているらしいけれどあわせて見てみたいなと思っております。
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幕末はどうしてこんなに人材が群がり出てきたのか、本当に不思議の感。適塾の雰囲気にものすごくあこがれる。
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3月中旬から読み始め、約1ヵ月半かけて上中下の3巻を読破。明治維新成立の2年後、主人公:村田蔵六(大村益次郎)は元薩摩藩士:海江田信義の刺客により人生の幕を下ろす。「竜馬がゆく」が幕末の表舞台を陽からに描いたものとすれば、本作品は陰から描いたように思える。事実、「竜馬がゆく」でも昨年の大河「龍馬伝」でも大村益次郎の名前は登場しない。一般的な認知度も低いだろう。
しかし本作品を読了し、日本陸軍の創始者である大村が明治維新の立役者の一人であることは充分に理解できた。出自が良かった訳ではなく、地方農村出身の村医師から様々な人との出会いによりいつのまにか大舞台に上がってきた人生というものも非常に面白かった。自身が「これだ」と見込んだ分野を極めることで、他の分野・畑での応用が可能であるという証明である。大村の場合、医学を極めて医師となり、医学書を読む必要性からオランダ語を極めることとなり、洋書の兵学書を読むことから兵学者となり、幕長戦争と戊辰戦争の実質的指揮者となる。
まさに驚きの転身であるが、私はこんな話が好きである。「この道、苦節○十年」というのも勿論尊敬に値するが、華麗なる転身に成功した話の方が夢が膨らむ。「不毛地帯(山崎豊子)」の主人公、壱岐正も大本営参謀から総合商社のトップに上り詰めた。
私自身、前職は某専門学校の講師をしており、そのコンテンツ(教授内容)を現在の保険実務の仕事に活かしているという経歴があるため、そんな話に共感を覚えるのかも知れない。また、現在の仕事が将来的に別の仕事や人生に活きてくるかもしれないと考えるとワクワクするではないか。(別に、具体的に転職を考えている訳ではないことを申し添える。念のため。)
そんな訳で、大村の数奇な人生を愉しんで読むことが出来た。ちなみに「花神」とは中国で「花咲か爺さん」という意味らしい。「時代に花を咲かせる爺さん」という意味でタイトルがついたとのこと。私はいまいちそのイメージは受け入れがたい気がするが(笑)。ともあれ、本作品は1977年の大河ドラマであり、総集編DVDで観てみたいものである。中村梅之助がどのように大村を演じたかが非常に興味がある。
本書巻末に収められた論評によると、本作品は「世に棲む日日(吉田松陰と高杉晋作が主役)」と姉妹関係にあるという。司馬作品はまだまだたくさん読みたい候補があるが、近いうちに「世に棲む日日」もチャレンジしたいものだ。「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「酔って候」「花神」などとはまた少し違った角度から幕末史を楽しめるだろう。
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長州藩 蔵六が居てこその長州藩であったと思います。
小さな一国があれ程頑張れた原動力の一つを担っていたと思います。
すごく面白かったです。
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日本史上最強のPM(プロジェクトマネージャ)大村益次郎の話である。
つまるところ、
人望はすべて西郷がうけもち、作戦計画は全て大村益次郎がうけもち、裏の黒い部分は全て大久保が受け持ったのだろう(あれ?桂小五郎は?といった感じであろうが)そうして、倒幕は実現したのでしょう。
司馬遼太郎はこういった合理的な人を書くのが好きなんだろう。
遠くは織田信長、近くは坂の上の雲の秋山弟さん。
時代の変節には必ずこういう人は必要なのだ。
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まず以下、簡単なあらすじ。
村田蔵六(大村益次郎)の指揮のもと幕軍に勝った長州。しかし高杉晋作の死が待っていた。高杉は「大村を仰げ」と言い残す。
坂本龍馬による大政奉還によって、政局は安定するかに見えたが、竜馬暗殺によって一転、鳥羽伏見の戦いへと突き進み、薩長が勝利をおさめる。
軍防事務局判事という軍事の最高指揮権を得た蔵六は、江戸における反革命組織である彰義隊を鎮圧し、奥羽から北越にかけての反乱も、江戸から一歩も動かず軍を指揮し鎮圧する。
名実ともに明治維新が確立し、蔵六の役目は終わった。それと呼応するかのように蔵六の命も消えようとしていた。
木戸孝允の言葉「維新は癸丑いらい、無数の有志の屍の上に出できたった。しかしながら、最後に出てきた一人の大村がもし出なかったとすれば、おそらく 成就は難しかったにちがいない。」まぎれもなく、大村益次郎がいなかったら明治維新は成立しなかったと思います。
また「いずれ九州のほうから、足利尊氏のごときものがおこってくる」と西南戦争を予言し大阪に軍事上の重要施設をおいた、合理性と直感力は神がかり的です。
タイトルの「花神」とは中国における花咲爺のことらしいです。まさに革命の花を咲かせて、自らは散っていった蔵六の波瀾の生涯、面白かったです。
しいて注文をつけるとすれば、戊辰戦争の後半がやや駆け足で展開していったことでしょうか。
巻末に収められた解説によると、「花神」は「世に棲む日日」と一対をなすとあります、確かに相関関係にあると思います。まず「世に棲む日日」を読んで「花神」を読むのが望ましいと思います。
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面白かったです。理系的思考で戦略を見ていた数少ない人だそうです。明治維新後に後に西から足利尊氏のごときが攻めてくると西南戦争を予測して防御の準備をしてたというのがすごい
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百姓の出身で蘭学者であり田舎医者であった村田蔵六(大村益次郎)が幕末の動乱のなかで、長州軍、さらには討幕軍の総司令官となり、維新という「革命の仕上げ人」となっていく、その生涯が描かれる。全3巻。
なにより、主人公、村田蔵六の造形が抜群に際立っていると思う。徹底した合理主義。意味のない気配りや空虚な権威、時代遅れの伝統にとらわれた人たちとの対比が小気味よい。合理主義者を軸にするのは、面白い物語の定石の一つと言えるかもしれない。
「あとがき」では、村田蔵六を「仕事をする男」の典型としている。つまり、自分の人格をなくして求められる機能に純化するということか。とはいえ、同じく「あとがき」に記されているように「日本的風土のなかでは存在しがたいほどに強烈」というのがより印象に残る。これは維新期だけでなく、いま現在の日本でも当てはまるかもしれない。
その一方で、合理主義者であると同時に、「故郷主義」であることも描かれている。合理性とは何かという点で興味深く思った。
村田蔵六はもともと医者であり、人を生かすことが求められる役割だったといえる。その村田蔵六が、敵を倒すこと(つまり敵の死)が目的の軍隊を指揮するというのは、自身ではどのように考えていたのだろう。本文中に多少は記述があったかもしれないが、それらの距離を問わないことも合理性の一部であり、その距離をなくしてしまうのが「故郷主義」なのかもしれない。
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学び多き良書でした。
世の中には話してもわからない手合いが多い。理解力がないというより、他人を理解しようという姿勢がまるで取れない連中であり、なにかの我執と病的に強い自尊心だけで生きている。
大村益次郎はこの手の連中をケダモノと考え無視するに限るという姿勢をとっていた。これに対し桂小五郎は、ケダモノにあって話を心から傾聴し、彼らの自尊心を満足させ敵意を抱かせない姿勢をとった。深い。
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「司馬史観」なんて、ちゃんちゃら可笑しくてあれなんですけど。司馬作品の中でも特に面白かった作品。大村益次郎は、俺かというぐらいの偏屈男。さすがに、軍事の戦略は立てられませんがね。