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シジュウカラとゴリラ。それぞれの専門家が対話の中で披露する実例が面白い。
シジュウカラの言語を調べるために行う工夫、例えば「警告+集合」を別の個体の鳴き声で聞かせてみる。すると、反応しない。または、「ヘビだ」という鳴き声に小枝を動かしてみる。すると、確認しに来る。つまり、ヘビをイメージしたということ。
まだ幼かった頃に交流のあったゴリラに十数年後、出会い挨拶をすると無視される。翌日、なんと挨拶を返し、成人ゴリラではあり得ない幼いゴリラの仕草を見せたなど。
そして、歌う踊るという体を同期させることが言語の本質ではないか。視覚優位ではなくそれが制限された環境が音声言語を発展させたのでは。と、話は広がっていく。そこも読んでいて楽しい。
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すごい。全ページ面白いし、人に言いたくなるような話が満載の、鳥類研究者と霊長類研究者の対談。
シジュウカラのさえずりには文法があって、相当複雑な状況を遠くの仲間に伝えることができる。ものの色や数などもかなり正しく認識し、伝え合っている。ゴリラは身体言語も含めてコミュニティのための親密な対話を行っている。ゴリラの喧嘩に勝敗はなく、弱い方に加勢が入り仲裁され、群れの和が保たれる。一方サルの喧嘩は強い方に加勢が入ることで明確な勝敗がつき、ときに群れのボスが交代する。とか!
とかくコミュニケーションは人間の得意分野と思いがちだけど、色々な動物がその身体的特徴に合わせた独自のコミュニケーションを行っており、ある部分では人間より遥かに高度な情報を、瞬時に伝える術を持っていたりする。
渡り鳥は地図もなく何万キロを正確に移動できるし、犬は人間の一万倍もの嗅覚で世界を認識しているわけで。彼らの間でどんなコミュニケーションが行われているか、考えるとワクワクする。僕らが伝えられないものも伝えている可能性があるし。少なくとも優劣で語るべきものではないんだな。
後半にはそんな人間の特性についても言及してくれていてありがたい。これがまためちゃくちゃ面白いんだけど。
恐竜が絶滅してから、恐竜の生き残りは鳥類となり木の上を住処とした。そして同じく木の上に住み始め、生活環境を共にした霊長類、サル。後者は人間となり、前者はならなかった。なぜか。
その仮説。鳥類は飛ぶことができるので、敵が近づいたときに大きな鳴き声で警告し、逃げることができる。だがサルは、大声を出してしまうと敵に見つかり、逃げるすべがない。だから小声とジェスチャーでコミュニケーションを取ったのではないか。これが今日の言語の起源かもしれなくて―・・・という。
いや、おもしろ!!
ぜんぜん違う種類の研究者同士の対談かと思っていたら、最後にこの対比がやってくる構成の妙もある。これまで読んできた内容の解像度が、人間を照らすことで最後にぐっと上がる感じがする。
さすが、いまをときめく「ゆる言語学ラジオ」出演編集者の仕事よ。
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面白かった。鳥の世界とゴリラの世界を少し覗かせてもらった。人間はあまりにも人間以外の世界に無頓着だなぁって改めて思った。
人間は言わずもがなピラミッドの頂点にいる、と人間は思ってる。「人間にできて動物にできないこと」を考えることはあっても、「動物にできて人間にできないこと」を考える機会なんてそうそうない。でも、聴覚嗅覚視覚どれをとっても人間より動物の方が優れているし、超音波を発する動物もいれば、紫外線が見える動物もいる。相手は人間が見てる世界とは違う世界で生きてることを理解しないといけないな。
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以下、引用
山極 たしかに、興奮や喜びを共有しているのかもしれないね。ヒトに限らないけれど、集団で興奮を共有しているからこそ可能な行為ってありますよね。敵の集団に打ち勝つとか。強い感情の共有がなければできないことです。しかし、興奮しているだけでは集団としての行動はできません。そこで必要になるのが、言葉ではないか。「あそこを攻撃せよ」とか、一定の目標を与える。つまり、言葉は、感情のエネルギーを制御して方向性を与える役割を持っているんじゃないか。
鈴木 なるほど、言葉の意味というのは、そういうところから生まれてきたのかもしれないですね。
山極 逆に、感情を伴わない言葉が力を発揮できないのも同じ理由だと思います。いくら言葉で明確な指示をしても、集団を動かす共感や感情のエネルギーがなければ実行できません。そのエネルギーを生むためには音楽的な言葉が必要で、それは母子間の対話に一つの由来を持っているかもしれない。
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気鋭の動物学者による言語をめぐる対談。
話題は、言語を中心にして、人間と動物、社会、現代と縦横無尽に広がっていく。
本来、人間という動物はどういう存在なのかが伺えて面白い。
山極さんの歌と踊りが大事という主張もステキだな。
ただし、最終章でAIは合理的というのは、素直には頷けない。AIはなにも考えていないからだ。データを取り入れて、蓋然性の高い選択を行っているだけ。それに対して人間は本書でも協調されているとおり「物語る」性質がある。物語れる規準は実は合理性だ。身も蓋もない言い方をすれば、辻褄合わせだ。AIなんかより人間の方が何倍も怖いし、また、可能性もある。
抜き書きをたくさんした。
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ただの鳥とゴリラの対談ではなかった!
お互いに研究することに誇りを持ち、シジュウカラを、ゴリラを、愛していることが伝わってくる対談だった。だってすごい熱いんだもの2人とも。
そして2人の対談から、我々人間がどのように進化し、どのような未来になるのか考えさせられる本だった。
ハッとするワードがたくさんあって誰かにお勧めしたい一冊でした。
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ゴリラの研究で有名な山極寿一さんと、シジュウカラの研究で有名な鈴木俊貴さんの対談。動物のコミュニケーション研究から、人の言語と動物のコミュニケーションの共通点や相違点を語り合っている。お話として面白いポイントがたくさんあるが、言語についての前提知識があるとより楽しめる。
また、言語を持ったがゆえに、人が失いつつあるもの、についての考察は面白い。ただし、あくまで考察なので、研究から得られた知見ではないことに注意。
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面白かった!研究者同士が自分の研究を語り、相手の研究を聞き、相互理解を深めつつ新しい展望をひらいていく。
論文のような構成ながら、対談本としても説明が丁寧で読みやすい!
シジュウカラの研究は年の半分以上森に篭らないといけないし、ゴリラの研究では人から離れてたった1人ゴリラの集団と暮らさないと行けない。
これは生半可な覚悟ではできないし、それをさらっと述べた上で研究成果のみ聞いてると、華々しく見えてしまう。
言語を学ぶには人、動物、環境、文化など一つのカテゴリだけでなくお互いの干渉度合いなども理解しないといけない。奥が深いなぁ。
最後はAIまで話が進んで、新分野への示唆も含めて楽しく読めた。山極さんや、鈴木さんの今後の研究を応援したい。
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鳥になった研究者とゴリラになった研究者の、動物の世界から見た人間の言語と文化、未来の対談。
所々難しいと感じるところはあったものの、対談であるので大きく引っかかることなく最後まで楽しく読めました。
人間と比べて動物はどう見えているのか、感じているのか、ではなく、動物の世界の見え方を優劣つけることなく語り、そこから見える人間の特異性、急激に発達した現代社会についてもそれぞれの考えを述べています。
興味深かったのは、言語で明確なコミュニケーションを取れない動物たちの思考や言語を、どのようにして実験で解明していくのか、といった現場の実験方法。
シジュウカラの言語を調べている鈴木さんは、森の中でシジュウカラたちと共に過ごし、鳴き声の特徴を紐解いています。
言語とは何か?当たり前に使っている言葉はどのようにして形作られたのか?
動物はどのようにしてコミュニケーションを取っているのか?
人間よりは知能が劣ると考えている動物たちのほうがずっと優れた感覚を持っていたり、争いを避ける術を持っていたりする。
凝り固まった世界観に風穴を開けてくれるような、大人にこそ読んでほしい一冊です。
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著者、山極寿一さん、鈴木俊貴さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
---引用開始
山極 壽一(やまぎわ じゅいち、1952年〈昭和27年〉2月21日 - )は、日本の人類学者(人類学・生態環境生物学)、霊長類学者。学位は、理学博士(京都大学・1987年)。京都大学名誉教授、総合地球環境学研究所所長。
---引用終了
---引用開始
鈴木 俊貴(すずき としたか、1983年10月- )は、日本の生物学者。専門は動物言語学、動物行動学。東京大学先端科学技術研究センター准教授。世界で初めて動物が言葉を話すことを突き止め、動物言語学を開拓した第一人者。
---引用終了
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
動物たちは何を考え、どんなおしゃべりをしているのか?
シジュウカラになりたくてシジュウカラの言葉を解明した気鋭の研究者・鈴木俊貴と、ゴリラになりたくて群れの中で過ごした霊長類学者にして京大前総長の山極寿一が、最新の知見をこれでもかと語り合う。
---引用終了
私が興味をもっているのは、シジュウカラの様々な鳴き声。
身近な野鳥ですからね。
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第113回アワヒニビブリオバトル テーマ「音楽」で紹介された本です。ハイブリッド開催。チャンプ本。
2024.4.2
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中学国語の教科書に鈴木さんのジジュウカラが載ってい以来、学校関係者、図書館関係者の間では早く鈴木さんの本がでないかと期待は高まるばかりだった。
で、やっとこの本が出た。
山極さんも国語の教科書に載っているし、しばしばテストや入試問題にも取り上げられるし、知名度抜群の人なので、良い組み合わせだと思う。
内容も、動物の言語からヒトの言語や社会を考えるもので、良かった。
しかし。お二人とも学者なので、科学だけでなく、言語学、人類学など様々な基礎知識が高いので、注釈や説明イラストはあるものの、内容は駆け足なこともあり、中学生には難しいかな、という印象。
山極さんとは別に単著で、シジュウカラ周辺をまとめた、中学生も読める一般書あたりが期待されてた本だったと思うけど。
しかし、研究もお忙しいだろうし、性格的にテキトーに人任せにできる方でもなさそうなので、なかなか難しいかもしれない。
気長に待つ間に研究が進んだり方向性が変わったりする可能性もあるし。しかしその商売っ気のなさが鈴木さんのいいところって感じもする。
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鳥類(シジュウカラ)、霊長類の「言語」について、それぞれの第一人者の対談を通して、ヒトのコミュニケーションのあり方や生末まで思いを馳せられる本
ヒトとは異なる動物たちの視点を提示されることで、否が応でも世界を見る角度が少し変わるような気がする
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各章にまとめのページがあってわかりやすい。
ヒトは視覚的コミュニケーション、鳥は音声コミュニケーション。それを分けるのは飛べるかそうでないか。、、、なるほど!
シジュウカラの鳴き声が文節を持ち、文法に従ってコミュニケーションをとってるなんてびっくり!
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まず一読了。
動物たちがそれぞれの感じ方で世界を認識している、というお話が、以前読んだ『メタゾアの心身問題(ピーター・ゴドフリー・スミス)』とも通じる気がしてとてもワクワクした。また『人間は、いちばん変な動物である(日髙敏隆)』で論じられていたところから研究がさらき一歩出ているように感じられて、これからの動物言語学の可能性に期待したくなってしまう!
人間の言語については、歌と踊りについての論に感動したし、言葉が文脈や感情から離れ/離されてひとり歩きをはじめている、という点に深く頷いた。脳が縮んでいるというのはショックな話だがーー口承物語が廃れつつあることも関連するだろうかーー現状を踏まえるとやむなしという気がする。樹々のコミュニケーションについて語られなかったのが少しだけ残念。