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大江健三郎がノーベル文学賞の受賞演説で述べたことを纏めたもの。川端康成の受賞演説「美しい日本の私」に対するアイロニカルな視点で捉えているところが面白い
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断定的すぎて意味のわからない所はあるものの、芸術に対する言及は興味深かった。「芸術家は私達が今まで知らなかった新しい世界を見せてくれる仕事」。芸術の意味がやっとわかった気がした。
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大江健三郎の講演集。
ノーベル文学賞受賞時の講演「あいまいな日本の私」をはじめ、国内外での講演を活字としています。
やさしい文体、講演集ということで人に語りかける口調のため、彼の主張がわかりやすく読めると思います。
講演の内容が何本か収められているわけですが、どの講演にも共通した部分があるので少しくどいかなとおもわれる部分もありました。
彼にとって、息子さんの存在(父親としての自分の存在)、原爆というテーマは非常に大きいものであるということを感じずにはいられません。
古本屋で購入。
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ノーベル賞受賞者、大江健三郎によるノーベル賞受賞スピーチを含む講演録。これが!というのはあまり記憶に残っていないが、理系の身としては1つ1つの言葉やセンテンスを重視する姿勢に触れられることが新鮮であった。「文学者」を垣間見るには良い本だったような気がする。
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てるよしさんのページに挙げられていたので。ノーベル賞受賞講演でもあるタイトルが素晴らしい。"の"のあいまいな用法も含めて。なんかこの人のユマニズムへの言及は感覚が先走っている感じがしてあまり好きではないが、感覚を真摯に記述しようとするスタンスは好きだ。
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かなり前から寝る前に読んでいた本。
ノーベル文学賞受賞者の彼が講演で語った内容をまとめた本。
正直、私には少し難しく感じる場面もあったが、じっくりと語られるその内容は大江健三郎氏そのものであるのだろうと思う。
彼の息子「光」君を授かった事も含めて、氏のぐっと奥にある何かが垣間見えるものだった。
読み進んで行くうちに私は例え様の無い何かを感じ始めていて、それは「何か大切な疑問を抱く」というような,あるいは「気付き」みたいな物を感じ始めていた。
このままでは いけない ような気がする。と思った...が、何をどうしたらいいものなのか?
穏やかな語り口と、言葉の深さに感動した。
そして、この本を通して、又多くの作家の事を知り、読んでみたいと思った。
読書した...と思える本だった。
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(2005.11.17読了)(1998.08.10購入)
この本は、大江さんがノーベル文学賞を受賞した時の記念講演「あいまいな日本の私」とノーベル賞受賞が決定した前後に行った講演の記録が収められています。
大江さんの文学作品も随筆もあまりわかりやすいものではありませんが、この本に収められている講演に関しては、実に分かりやすい。
大江さんの作品に関しては、1970年ぐらいまでの作品を読んだけれど、「個人的な体験」は、分かりやすいけれど他は読みにくい。少しずつ、70年代以降の本も読んでゆこうとは思ってます。
●広島(29頁)
広島滞在のあいだに、原爆病院に参りました。そこに重藤文夫という院長がいられました。その先生が私に、「被爆直後にひとりの眼科の先生がいられた。君のように若かった」と話されたのでした。「君のように若い医師が私に、「このように大きい死者がいる、このように大きい負傷者がいる、そして自分たちには原爆症の治療の原理も方法もなにひとつわかっていない。こういう中での自分たちの努力は無意味じゃないか」と訴えてくる。自分は「その議論は昼休みに続けよう」といった。ところが昼休みが来る前にこの医師は自殺してしまった。」そして「自分としては、こういうことをあの医師にいいたかったんだと思う」と続けられたのです。「「目の前に苦しんでいる人たちがいる。その時自分らには彼らを治療するほかないではないか」、自分はそういおうと思っていた」と。
●息子さんのこと(30頁)
光は、最初、鳥の声を聴くことしかしませんでした。彼は鳥とだけコミュニケーションをしていた。そのうち人間の作った音楽を聴くようになった。さらにピアノを習って、音楽によるコミュニケーションということが少しできるようにもなっていたのです。ところがそれが、いったん抗てんかん薬の副作用のために挫折もした。現在そのような様々な難所を通り抜けた子供は作曲をしています。彼の作った音楽がいま申しましたようにCDになって、広く迎えられているのです。それは私どもの媒介なしに、子供が初めて社会とコミュニケーションを開いたということです。私どもは喜びを抱いています。
●大江光の「夢」(40頁)
「夢」という曲をかれ(光)がつくった。このタイトルのある楽譜を見せられた時、私と家内は喜びました。ところが録音のための演奏を聴いた際には、ヴァイオリンとピアノの曲ですけれども、新しい思いに捉えられたように思います。それがどういう音楽かと言葉にするなら、魂が泣き叫んでいるような音楽だという気持ちがします。暗い魂があって、それが泣き叫んでいる。その声が聞こえるといったほうが、もっと正確かもしれません。光がこのような夢を見るのか?あるいは、なお夢を見る事はないけれども、夢とはこのようなものと考えるようになっているのか?そういうことを思わざるを得ないのです。(夢を見たことのない人に、夢とはどんなものかを説明する事は難しいし、さらに、普通のコミュニケーションが取りにくい光君に夢を見てるかどうか確認するのは、困難なようです。)
●子供の名前(53頁)
シモーヌ・ヴェイユというフランス人の紹介している神話が気に入っているので、そこから名前��ろうと思うと、四国から手伝いに来ていた母親に相談した。カラスにするか、光にするか、といってみた。そうすると、私の母は、断固として、カラスにしなさい、といったのでした。それで私は、悄気てしまって、光にする、といいました。
●小説について(108頁)
モーリヤックは神様の視点で書く、神様のように世界を上から見下ろしていて、人物のあらゆることを書くことができるとして小説を作っている。そうじゃなくて、私たちは小説家という一人の人間が見る見方でしか世界を書けないんだと認めて、そういう書き方をしなきゃいけないと主張したのがサルトルです。
●日本文学の分類(208頁)
第一の日本文学は、世界から孤立している。東西ヨーロッパから孤立しているし、アメリカからもラテン・アメリカからも切り離されている。アフリカ、そして特にアジアからはさらに孤立したものです。それを代表するのは、谷崎潤一郎であり、川端康成であり、三島由紀夫でありました。
第二のラインは、世界の文学から学んだ者たちの文学です。フランス文学やドイツ文学や英文学から、あるいはロシア文学から学んだ。その上で、独自の経験に立って日本文学を作った。このラインには、大岡昇平がいました。そして安部公房がいました。そしてこのラインの後尾に私の文学があると思います。
第三のラインは、村上春樹、吉本ばななラインと私はそれを呼んでいるのです。これは、世界全体のサブカルチュアがひとつになった時代の、まことにティピカルな作家たちだと私は思います。
●関連図書(既読)
「死者の奢り・飼育」大江健三郎著、新潮文庫、1959.09.25
「夜よゆるやかに歩め」大江健三郎著、Roman Books、1963.05.10
「われらの時代」大江健三郎著、新潮文庫、1963.06.30
「叫び声」大江健三郎著、Roman Books、1964..
「芽むしり仔撃ち」大江健三郎著、新潮文庫、1965.05.31
「ヒロシマ・ノート」大江健三郎著、岩波新書、1965.06.21
「性的人間」大江健三郎著、新潮文庫、1968.04.25
「沖縄ノート」大江健三郎著、岩波新書、1970.09.21
「遅れてきた青年」大江健三郎著、新潮文庫、1970.11.30
「万延元年のフットボール」大江健三郎著、講談社文庫、1971.07.01
「日常生活の冒険」大江健三郎著、新潮文庫、1971.08.17
「空の怪物アグイー」大江健三郎著、新潮文庫、1972.03.30
「みずから我が涙をぬぐいたまう日」大江健三郎著、講談社文庫、1974.05.15
「見るまえに桃べ」大江健三郎著、新潮文庫、1974.05.25
「青年の汚名」大江健三郎著、文春文庫、1974.07.25
「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」大江健三郎著、新潮文庫、1975.11.25
「個人的な体験」大江健三郎著、新潮文庫、1981.02.25
「新しい人よ眼ざめよ」大江健三郎著、講談社文庫、1986.06.15
「ヒロシマの生命の木」大江健三郎著、日本放送出版協会、1991.12.20
●関連CD
「大江光の音楽」コロムビアミュージックエンタテインメント,1992.10.21
「大江光ふたたび」コロムビアミュージックエンタテインメント,1994.09.10
「静かな生活 オリジナル・サウンドトラック」コロムビアミュージックエンタテインメント,1995.10.21
著者 大江 健三郎
1935年 愛媛県生まれ
1959年 東京大学文学���フランス文学科卒業
1957年 「奇妙な仕事」で東大五月祭賞受賞
1958年 「飼育」で芥川賞受賞
1964年 『個人的な体験』で新潮社文学賞受賞
1967年 『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞受賞
1973年 『洪水はわが魂に及び』で野間文芸賞受賞
1983年 『「雨の木」を聴く女たち』で読売文学賞受賞
1983年 『新しい人よ眼ざめよ』で大仏次郎賞受賞
1984年 「河馬に噛まれる」で川端康成文学賞受賞
1990年 『人生の親戚』で伊藤整文学賞受賞
1994年 ノーベル文学賞受賞
(「BOOK」データベースより)amazon
「私は渡辺一夫のユマニスムの弟子として、小説家である自分の仕事が、言葉によって表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂の傷を癒すものとなることをねがっています。」―一九九四年ノーベル文学賞受賞記念講演ほか、全九篇の講演に語られた、深く暖かい思索の原点と現在。
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人は大人になっても、様々な側面からものをみているつもりで、実は偏狭な視点しか持っていないことに気がつかないものです。それは子供よりオトナに実は顕著で、なにもかも知っているつもりでおり、自分が無いことにしている様々な存在の方が多いことを、全く知りません。大江健三郎氏は私が全く知らない外国の文学のことを、解るように噛み砕くように教えて下さいました。おそらく、この技術は、知的な障害を持つ息子さんと関わって取得されたものなのかもしれません。その世界のことをまったく知らない人に、難しい知的部分ををわかるように伝えるのは至難の業ですが、この本はとてもわかりやすく、日本文学の位置、そして、日本のあるべき位置を書いている本です。
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[ 内容 ]
「私は渡辺一夫のユマニスムの弟子として、小説家である自分の仕事が、言葉によって表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂の傷を癒すものとなることをねがっています。」―一九九四年ノーベル文学賞受賞記念講演ほか、全九篇の講演に語られた、深く暖かい思索の原点と現在。
[ 目次 ]
あいまいな日本の私
癒される者
新しい光の音楽と深まりについて
「家族のきずな」の両義性
井伏さんの祈りとリアリズム
日米の新しい文化関係のために
北欧で日本文化を語る
回路を閉じた日本人でなく
世界文学は日本文学たりうるか?
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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あいまいな日本
という あいまいな状態に 人格を与えた唯一の作家。
あいまいな日本の私、が あいまいだ。
とは 必ずしも言えないよね。
だって あいまいさを自覚した時点でそれは 属性で
あいまいでない人とは 一線を画すから。
そういうことが言いたかったのかどうかは 忘れてしまいました。
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大江健三郎の本は実は読んだことがない。。。
「あいまいな日本の私」は有名なフレーズだが。。。
母親に自慢すべく、大江少年は、図書館の本を全部読んだそうだ。
「図書館の本 全部読んだ!!」とほめてもらえると思って言った、大江少年は
思いもよらない返事を母親からもらう。
「何の目的で読んでるの?」
最近、フォットリーデイングにチャレンジしているが、やはり、「目的を持って読む」
ことを主題に置いている。ただ、だらだら読むことも大事だと思うが、
目的を持って読むことももっと大事かもしれない。
本の中で、次のフレーズがあった。
「少しだけ、勉強をしたい。これまで読まなかった分野。これまで読みかけては
みたが、よくわからなっかた本を読みたい。」
全く同感。
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大江健三郎の本は好きだけど、、難しかった。断片的にしかついていけなかった。
そもそも大江健三郎の代表作を読んでいるだけじゃなくて、歴史や文学の基本的な教養がないといかんなと思った。
ただ、彼が考えていることの喫緊さ、例えば日本を発信していくこと、などはすごく伝わってくるので、もう一度知識を蓄えてからまた読もうと思う。
安部公房 「壁」
川端康成
宮沢賢治
ハックルベリー・フィン
渡辺一夫 ラブレー
クンデラ「小説の精神」
スピノザ
井伏鱒二
三島由紀夫
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読み終えました・・・
スピノザを読んで暮らすことの宣言書だったのだろうか、
歴史を忘れることなかれ、という確認書だったのか。
偶然にも今日は広島でした・・・
満足感はあります。やっぱり本はいい。
井伏鱒二の「山椒魚」が無性に読みたくなった。
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大江健三郎の文学以外の作品は、出たときには読むことがありますが、後から読み返すことはありませんでした。
記事で、
「標題の「あいまいな日本の私」が、ノーベル文学書受賞の際の記念講演の標題だということ。」
「ノーベル文学賞を受賞した川端康成の「美しい日本の私」を引いていること。」
を知って、読み返す気になりました。
「ハックルベリーフィンの冒険」と「ニルスホーゲルソンの不思議な旅」の2冊の書籍を紹介しています。
「裏切り者(トラディトーレ)としての翻訳者(トラデュトーレ)とはいえない」
アイルランドの詩人ウィリアムバトラーイエーツに親近感を感じるとのこと。
上品な(ディーセント)。
渡辺一夫の弟子とのこと。ユマニスム。
鳥の歌から音楽に向けて育った知的な障害を担って生きる息子。
大江健三郎のような大作家の考えることは、私にはよく分かりませんが、一つの立場の表明として尊重すべきものだと理解しました。
この本を読むまでは、川端康成よりも大江健三郎をより好んでいましたが、この本を読んで、川端康成の理解が不十分であったことを知り、川端康成を読み直そうと思いました。
自分がそれに対して、意見を持てるようなところまで、まだ至っていません。
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たいへん良かったです。
文学に対して、このくらい真剣に考えていないと、素晴らしい話は書けないですよね。
「あいまいな日本の私」って、川端康成のスピーチを受けてのことだったんですね。
これを読みながら、ノーベル文学賞の発表を待っていたのですが・・・今年も残念でした。
12.10.14