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他者をどれくらい慮れるか、
それが人間であろうと動物であろうと、
つまり利他性こそが人間という生体の成熟を意味するんじゃないだろうか
ヤマザキマリさんの
夫、ベッピーノさんの言葉だ。
シリアでロバの死骸が路上に放置されていたのを見て、呟いたそうだ。
荷物を運べなくなったから
捨てる。人間の役にたたなくなったから。
そんなの、間違った考えなのは明白なんだけど、
そこで猫と自分の関係について
思いを馳せるのが
ヤマザキマリさんだ。
自分の心が満たされるから猫と暮らしてきたんじゃないのか、と。
猫と暮らすことは、
古くから世界中の人々が
してきたことだ。
暮らしてみると、
猫が与えてくれる
愛情を
誰もが感じるはずだ。
それは
愛らしい目で見つめてくるとか、
ゴロゴロすり寄ってくるとか、
膝に乗ってくるとか、
わかりやすい形ばかりではなくて、
人の心を見透かしたような
鋭い目線だったり、
本能のままに必死に獲物を追ってる姿だったり、
たかが猫じゃらしに、
真剣にとっかかってきたり、
様々な表情や動きで
愛さずにはいられない対象となる。
存在そのものが
愛に溢れている。
世界中どの場所でも
どの猫でも
猫がいれば、そこが我が家。
そこに愛が生まれるからに違いない。
有無を言わせずに。
無条件に。
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猫ちゃんはじめ、動物愛護家の方、不快に感じたらごめんなさい。
先に謝っておきます。
私はペットを飼ったことがない。
子供の頃に友達の家の柴犬に激しく吠えられ飛びかかられたことがあり、動物は怖いという気持ちがどこかにある。
さらに、動物園も水族館も、考え出すと悶々としてしまうくらいひねくれている。
同僚などとペットの話になると、同調しないと人でなしのような気がして、可愛いとか、おりこうとか無理して言うことがある。時々自分の嘘臭さにゾワゾワするし、なかなかしんどい。
先日も、犬猫ちゃんをレンタルして散歩するサービス店の前を通りかかったので、見知らぬ人と散歩をしなくてはならない犬猫の気持ちになって気の毒に感じてしまった。
それに我が子(犬猫ちゃん)がよくわからない他人に預けられるなんて、ゾッとしてしまう。そしてうっかり声に出してしまったのだった!
しかし、動物好きの同僚は、そういうサービス利用してみたい!と言っていたので、私の人間性が疑われたのではないかと、心配になった。大丈夫か、私。
マリさんの夫、ベッピーノの言葉にうなった。
「他者をどれくらい慮れるか、それが人間であろうと動物であろうと、つまり利他性こそが人間という生体の成熟を意味するんじゃないだろうか」
そしてマリさんが自分の寂しさや孤独をのために猫と暮らす自分を省みるところに、またうなった。
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いつも傍らにペット(今はベンガル猫のベレン)がいる人生なんだね。うらやましい。
もちろんそれだけ別れがあったわけだけど。
とにかく著者の母上が破天荒こうすぎてこの母親あってこの娘(著者)ありって感じ。
14歳のまだ子どもを本物を見てきなさいと1年間、イタリアに単身で留学させるってすごい勇気と覚悟だよ。
貧乏暮らしもしたみたいだけど、とにかくいろんな体験と経験をして結婚、離婚、結婚して(今はイタリア(夫)と別居婚)最初の夫との息子(デルス、著者の近所にひとり暮らし)ももうけて著者が今、ベレンとふたり?暮らし。
写真も豊富に載っていて(ベレンの)どれもみんな可愛い。
カメラマンは息子さんのデルス氏。センスいいわぁ。