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道長の権力への道程と、紫式部の年譜および源氏物語の見立てを並置しながら、摂関政治と、天皇、関係殿上人の関係を説明。豊富な内容。
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”藤原道長の権力と欲望「御堂関白記」を読む”以来
倉本先生のファンなので。
「光る君へ」怖い物見たさでw見るつもりです♪
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本書は同著者の『増補版 藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む』(文春新書、2023)と内容もかぶっている部分が多いのだが、より紫式部と道長の関係性に焦点を当てたものである。
帯の惹句には『源氏物語』なくして道長の栄華もなかったとあるが、逆もまた然りであり、道長のサポートがなけらば『源氏物語』もなかった。
たとえば本書で述べられているように『源氏物語』に必要と思われる紙の量を確保できたのは最高権力者であった道長あってこそのことであった。こうした著者の歴史実証主義にこだわったアプローチは実に面白い。逆にところどころで国文学系の先生たちの説を「理解しがたい」と退けているが、この新書でも歌の解釈などはそうした国文学系の研究を参考にもしているのだろうから、あまり敵に回さない方が良いんじゃないかな〜といらぬ心配をしてしまった。歌の解釈を通じて紫式部と夫の宣孝とのやり取りを分析してもいるのだし。
個人的には貴族間での権力闘争に対しても紫式部が天性の感性+後宮での経験から鋭く理解をしていたとの話が興味深かった。『源氏物語』もそうした観点から読むことができたら一層楽しいだろうと思う。著者は漫画(ただし良質のもの)でも良いから『源氏物語』は読んで欲しいと述べられている。
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平安時代初心者の方向けかな、という感じ。
平安時代モノが好きで、色々読まれてる方には知ってる情報ばかりかもしれないが、倉本先生の一次資料で確認できる事柄のみ!というプライドが感じられる。
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先日読んだ同著者の『増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』に続き、今年の大河ドラマの「副読本」として読んだ。『御堂関白記』『小右記』などの古記録や『紫式部日記』をもとに、事実関係を年代順に解説している。不明な点の多い紫式部の生涯や『源氏物語』の成立についても、説得力のある主張を展開している。
余談だが、著者の独特な言い回し(〜であるが。)を見るにつけ、クスッと笑ってしまう。
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紫式部と道長の生涯が確実な一次資料のみによって書かれている。著者の別の本で既に読んでいた内容も含まれるが、二人に絞っているので分かりやすい。
ところどころ、これまでの国文学の世界での学説を「どうしたらこのような発想になるのかまったく理解できない」などと否定しているのも新鮮。
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紫式部と藤原道長がこんなにも互いの力を必要とする関係にあったというのは、初めて知った。他の方の感想を読むと、「だいたい知っていることが多い」と書かれているので、この時代にくわしい方にはほぼ常識なんだろう。自分はなんも知らないのねとあらためて思った(^_^;)
大弐三位が紫式部の娘だということも知らなかったし。
こまかいことは読むそばから忘れていってしまったけど、三男の道長が思いがけず藤原家の筆頭になる過程や、そのあともろもろの駆け引きでのぼりつめていく過程など、淡々と描かれているにもかかわらず生々しかった。
あ、あと、病気をするたびに「調伏」して、だれかの怨霊が出たことになっていて、そういう時代ってけっこうしんどいなとなった。……もっとも、現代でもそういう文化の中で生きている人たちもいるみたいだから、人間はあまり進歩してないのかも。
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紫式部と藤原氏の関係を知りたくて読みました
非常にわかりやすく
紫式部がどういう立ち位置だったのか
藤原氏はなぜ紫式部を必要としていたのか
謎が解けてスッキリしました
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大河ドラマはフィクションなので、真実が知りたくて読みました。官職はさっぱりでしたが、道長のことと、当時の紫式部のことが知れて良かったです。
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著者は大河ドラマの時代考証を担当しているが、脚本に対して、いったいどんな気持ちでみているのだろう。
それにしても、中学校の国語の授業で清少納言を、「清」少納言と発音した私のことを教師は嘲笑したが、大河ドラマでは名付けの由来などに言及していて、少しばかり溜飲が下がった思いである。
本書では道長への権力の遷移と、紫式部のサロンでの立ち位置など伺えて興味深かった。
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倉本一宏先生は言う「紫式部なくして藤原道長なし」
「藤原道長なくして紫式部なし」定子LOVEの一条天皇
が彰子の処へ足を運ぶためには源氏物語の愛読者故と
言えるのであるし、紫式部に依頼、ふんだんに原稿料
(料紙という現物給付)を与えるスポンサー藤原道長
あっての執筆活動と言えるからである
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著者は「光る君へ」の時代考証を担当されている方。ドラマを意識して、紫式部と道長の人生を並行して記述しているが、あくまで一次資料を基にした史実の記述だけあって、「前半生で2人が交流していた可能性は低い」とつれない。一方で、源氏物語の著作活動は初期から道長の庇護によるものという説を唱えられていて、そのあたりがドラマのベースとなっているんだろうね。
あくまで史実ベースであるが、道長はもちろん紫式部の人間臭さも垣間見れてなかなか面白い。
それにもまして、超有能で代々の支配者に重宝されつつも、やたらと愚痴をこぼす藤原実資がキャラ立ちしている。読んでいると、ロバート秋山の顔が浮かんできて、どうしてもニヤニヤしてしまう。
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前に読んだ「千年の読書」にもあった「史料が千年後まで大量に残っているこの国に生まれた幸せ」の一文が320ページにあって 「こういうことか〜」と納得できました。御堂関白記や紫式部日記を 読んでみたくなりました(もちろん現代語訳で…笑)忘れちゃいけない 小右記も。平安時代の皆さん、結構 クセが強く嫌いじゃない!
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著者は、10年程前に「藤原道長の権力と欲望」という本を著しているが、2024年の大河ドラマ「光る君へ」の放映を機に、上記の本の増補版を作るのと同時に、新たに紫式部と藤原道長を絡めて書き下ろしたのが本書である。
全体の流れは、タイトルの通り、歴史的な流れに沿って書かれているので、ここでは省略し、歴史的事実という定義について、面白かったので、以下に書いてゆきます。
平安時代の藤原道長の時代でいえば、「紫式部」「泉式部」と称される女性は、確実に存在したが、「清少納言」は100%存在したとは言えないと・・・
何故かというと、歴史学者は、歴史的な一次資料しか信用していないということなので、そういう結論になるそうです。
この時代の一次資料というのは、藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の「小右記」、藤原行成の「権紀」を指します。
紫式部は、実資の「小右記」に「藤原為時の女(むすめ)」と、記載されているので問題なし。和泉式部は、道長の「御堂関白記」に「紅(こう)式部」として登場している。
清少納言については、交流があったとされる行成の「権紀」にはまったく記載がなく、他の一次資料にも名前が全くないので、100%確実とは言えないという。
本人が書いたと称する「枕草子」に登場するから、実在したなどというのは、歴史学では通用しないそうだ。
但し、確実に実在した紫式部が書いた「紫式部日記」に“散々悪口を”書かれているから、恐らく実在したであろうという程度のものだそうだ。
歴史学というのも因果な仕事のように思えます。
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今年の大河ドラマ『光る君へ』のおかげで紫式部と藤原道長、平安文学や平安時代に注目が集まっていて、今、書店では関連書籍が沢山平積みされています。
源氏物語や平安時代が大好きなのでこのチャンスを逃す手はない!と書店巡りが特に楽しい今日この頃です。
さて、本書はそんなドラマの時代考証を担当されている方が書かれた研究本です。
いろいろ勉強になって、フセンを貼った箇所が多すぎてこちらには書ききれないほどですが、特に印象に残ったところだけでも書いときます。。
式部の父である為時の話。
10年ぶりに官位を得、淡路守に任命されるも、それを嘆いた為時の詩を読んだ一条天皇が涙を流し、その姿を見た道長が最上国の越前守に変更したという有名な説話に対しての解説が面白かったです。
変更があったのは事実だけど、実際には、前年から宋の国の人が交易を求めていて、漢詩文に堪能な為時を折衝に当たらせるために淡路守から越前守に変更されたものだそう。
こちらは、一条天皇が詩文を好んだこと、文人を出世させるという聖代感から後世に作られた説話だということです。
「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思へば」
この有名な望月の和歌は、一般的には驕り高ぶった道長の心情をあらわしていると言われているがそうではなく、たんなる座興の歌であって、深い意味はなかったんじゃないかって。
道長みずから栄華の陰り(十六夜の月夜だったから)を予測したという説も却下されていました。
座興の歌だったのに、私でも暗記してるくらい有名になってしまって、そのせいで後世に生きる私たちは、道長をイヤな奴扱いをしてしまって申し訳ない気持ちに(笑)
なんて思ったりもしたけれど、
道長は、相手の意向が自分の意に沿わない場合に、自分の主催する行事を後からダブルブッキングさせ、それぞれの出席者を確認するという政治手法を何度も使っていたそうで、やっぱりイヤな奴でした。
他人を追い落としたり圧力をかけたりしながら最高権力を手に入れたけど、お陰でほとんどの人に不信感を持ち、常に怨霊におびえてる彼は、現代の私の感覚からすると全然楽しそうじゃなさそうでした。
怨霊って結局は後ろめたさに呪われていたってことでしょう。
そんな道長ですが、彼がずっと信用して好きだったのは身内の他は意外にも実資でした(笑)。
小右記(実資の日記)には陰口もあるけど、御堂関白記(道長の日記)には実資への信頼感で溢れていた。。とても意外でした。
あとは、倫子は90歳まで生きたというのにも驚きました!
そして最後に。。
(引退した)無位無官の臣下が退位後も政治に関与しつづけるなんて今まではありえなかったのに、道長‐頼道、道長-彰子、道長-後一条の関係を通じて、それが無理なく世の中に浸透し、この前例がのちの院政につながったというのは、なんだかとても複雑な気持ちになると同時に得心しました。いやー面白かった!
あ。倉本先生、本書では道長と紫式部の恋愛関係は否定していたのに、大河ではそれ前提ですからね。。複雑な心境をお察しします���