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2019.8.24市立図書館 (→2019.9.13購入)
『鬼の橋』がよかったので、同じ著者による作品をもう一冊。
タイトルは平安宮内にあったという地所の名。いまは空き地で「宴松原」と当てているが物語の中では怨霊の棲みそうな松林で「えん」も「怨」でありうると当時の人々も恐れていたということになっている。内裏のすぐ隣のこの空間については諸説あるらしいが、そのことや藤原元方の祟りで奇行が目立ったという冷泉帝の伝記をうまくいかしたファンタジーだった。
わけあって、女の童姿で内裏の下働きにはいることになった伴氏の少年音羽(丸)が同じ年頃の東宮憲平親王とひょんな出会いをするが、その東宮は怨霊にとりつかれているという噂があって…音羽が鷹匠だった父親の手解きで雀を飼いならしているという設定が効果的で、途中ははらはらしどおしだったけれど、最後は少年たちが一回りも二回りも成長をとげ、さわやかで希望を感じるおわりかただった。河合隼雄さんが読んだらさぞ気に入ったろうと思う。すぐにも映像化ができそうなほど人物や場面描写も細やかかつ迫真のものだったが、高畑勲さんがご存命だったらなぁ…と思わずにいられない。
おもしろいが内裏の仕組みがわからないとついていきにくく、岡野玲子『陰陽師』巻末の内裏や大内裏の図(国語便覧などでもいいと思うが)を参照しながら読み進めた。
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http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2008/03/post_50d1.html
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「鬼の橋」に続いてこちらも平安時代を舞台にした作品。
両親を怨霊に殺されずっと憎んでいた音羽丸が、怨霊のいない世の中というのは、ほんとうにいい世の中なんだろうか、と思うようになる。
「うまくやるやつがいて、そのあおりを食う者がいる。そのしくみが変わらない限り、この世から怨霊がいなくなるとは思えない。それなのに、怨霊がいなくなったとしたら…、それはいないのではなくて、だれにも見えなくなっただけじゃないか、という気がするんだ。だれも怨霊のことなんか思い出しもしないし、いるとさえ思わない…。忘れてしまうんだ、悲しい思いをしたまま死んでしまった人間のことなんか。それはもしかすると、今よりもずっと恐ろしい世の中かもしれないぞ」
悲しい過去も、私たちは忘れてはいけない、それを今一度考えさせてもらった気がします。
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平安時代の空気を、怨霊がウヨウヨいた時代を感じてもらいたいです。
中川なをみさんの 龍の腹。 水底の棺。
も読んで欲しいです。
教科書で歴史を知る前に、是非。
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児童文学!というお話しの形がそこにありました。
だけども時代は平安、ほんとにおもろしろい。
太田大八さんのめくるめく素晴らしい挿絵が、福音館のハードカバーとなんともしっくりくるんです。
しかしこの堅気な児童文学を今の子どもが、いやどんな子どもが手にするというのか。。
おはなしは、
怨霊に取り憑かれた東宮 憲平と、怨霊によって両親を亡くし、叔母の主から追い出され、内裏に女の童としてはたらく少年 音羽との友情物語。
東宮のなんだかジェンダーレスな雰囲気と、男の子ということを隠して女としてはたらくしかない音羽、という対比にワクワク。病気がちでおとなしい少年とやんちゃ坊主、彼らを見守り手を差し伸べる良き大人と、ほんとに児童文学のど真ん中を行くスタイルですが平安の世というところが面白くさせる。
いろんな意味で裏切られたお話でした。
怨霊がなぜこの世にはびこるのかを音羽を預かる内侍様が語るところが良いので引用しますと
_だれかが栄華を極めれば、その陰にたくさんの嘆きが生まれるものだ。
その嘆きをわすれた結果だろう。いや、忘れてはならぬといういましめのために、怨霊は現れるのかもしれない。秋になれば木にはたくさんの実がなるが、みなで取りあうとなれば多い数ではないそれをすべて己が腹へおさめ、吐き出す種らも自分の領地の内というのでは、恨みも買おうと言うものさ。烏ですら、まだ熟れぬ実くらいは残すだろうに、人は一度にぎったものをなかなか手放せぬものらしい_
まったく、人間というものは…
怨霊だなんて物騒なお話かと思えど、児童文学ゆえに怖くはなく、私にも読めました笑笑。