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こわれた魂の著者、水林章氏による日本の政治の腐敗が日本語にあるとするエッセイ。社会が言葉を作り、言葉が社会を作るとすれば両者は相互補完的であるので、単に日本語が、悪いのではなく、日本社会というものに埋没している封建精神あるいは天皇制的なものが、法の下に皆平等という健全な市民社会を成立させる障害になっていると著者はいう。丸山眞男や加藤周一、田中克彦などの先人の文書も引用しつつ、社会的属性を離れて同等の視点で議論できる風土がないと著者は言う。
ここで気になるのは著者は安倍晋三を頂点とする(した)自民党を批判しているが、その対抗馬である民主党や、共産党などについての言及が全くない点である。火事の消し方が悪いと言って懐手で見物している様である。著者はフランス語を50年以上にわたり勉強し、教鞭を取って来たのだから、フランスの言葉や習慣と比較して日本の政治土壌が貧困であると嘆くのはよくわかる。
しかし、私たちはとにかくフランス人ではないのだから一朝一夕にはフランス人の様にはなれないし、ならなくても良いと思う。そう考えると、社会的属性を超えて議論する風土を醸成することが重要なのではないだろうか?
100編以上の引用文献があり、読書案内の効用もあった。
ただし、いろいろ気になる点がある。ルソーの社会契約論はそもそももキリスト教という文化的土壌があることを無視していないかという点、また日本語の特性に天皇制が埋め込まれているというが、現在の日本で接客中の日本語に敬語が利用されるのはサービスをスムーズに行うためではないだろうか?話相手との上下関係を意識することが自由闊達な議論の障害になっているのは認めるが、議論しないでスムーズに事を進めることができるという利点も敬語にあるのではないのかという点である。
そういう意味でこの本は問題があると言って石を投げて終わっている様な印象を受けた。
しかしこの本は色々と今後の日本をよくするために重要な、本であることは間違いない。よく書いてくれたと快哉を叫びたい。