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「私をずっと惹きつけてやまないものは何なのか、ようなくわかったような気がする。見知らぬ他人への、他人からの、基本的な信頼感。言葉を交わし、微笑みあって、そば近くにいることの楽しさ。人生に吹き入れる風。」
それらに惹かれるのは貴方だけではありません。でも、物語として大事にしまっておいて、共有してくれる。思い出させてくれる。それは誰にも出来ることじゃない。そう思います。
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作者の言葉への興味や熱意が伝わってくるエッセイ。亡くなった妻の最期の言葉を知りたいと日本語を学び始めたおじいさんの話が印象的だった。
21歳、友人との中国旅行。初日に腹痛で昏睡したにも関わらず、友人と別れてまでも奥地を目指す作者の強さには驚いたが
「新たな言語やその言語が使われている文化と、いちど本式に関係を結んでしまったら、もうその後の人生は、無関係では過ぎていかない。」
という言葉はよくわかる。人や本に置き換えたらよりよくわかる。三章で出てきたソリダーノッシュや秘密警察の意味がきちんと理解できなかったから、私はいつかふとした時にドイツの本を手に取ると思う。日本語で言えば「縁がある」だ。
作者は、言葉の縁がたくさんあるんだろうな。
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言語の本と言うよりも、副題の通り、海外での滞在記として面白い。文章は情緒的過ぎるが、行動は冒険的だ。今からでも知らない言葉を勉強してみようかな、なんて思えてしまう素敵な本だった。
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日本語教師とあるけど、日本語に関するものは少ない。心が痛んだのはとある幼稚園での「はな」の記憶。幼児は使えることばが少なく、意味が分からず使ってしまう言葉で時にはこちら側が残酷と感じることがある。旅の部分はきれいな旅でなく、埃っぽい、むせかえるような雰囲気が感じられるような記憶だった。
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「言葉を学ぶことで、広がる世界がある」言葉を使わなくても通じる…限界はある。世界を広げる、広がると思うのはそれぞれの価値観。言葉が出来なくても関わりたいと思うとき、同じ言葉を持っているのに関わりたくないと思うとき…がある。不思議だ。
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副題的に添えられた「日本語教師の旅と記憶」に惹かれて読んでみたもの。
前半、日本語教師として接してきた外国人とのやりとりが面白おかしく描かれている。10年以上前だが、漫画であった『日本人の知らない日本語』(2009)を彷彿させる。
「ニコラ」という自分の名前に「笑良」と当て字をしたり、勝手に「眠気覚ました」と動詞化するなど、
「ちょっと日本語母語話者(ネイティブスピーカー)には考えられないルール破り」
と著者も記すように、まさに、”日本人の知らない日本語“のオンパレードだ。
本書は、「ぜんぶ英語でいいじゃない」という乱暴な意見への積年の反論であり、複言語能力の意義を訴え続けてきた著者の思いに溢れている。多様性と、昨今、はやりの言葉で片づけることも、それこそ、多様性を欠く気がしてはばかられる。もっと、いろんな言語、その言語を生み出したバラエティに富む思考で、考えたくなる。
意中の相手に思いを告げることばが、中国では「おまえは俺の髄液だ」と言い、日本語ではと訊かれた著者が「おなじ墓に入ってくれないか」と答え、まわりの外国人から、「それはないだろう」と非難を浴びるクダリも実に面白い。
漫画で日本語に親しんできたフランス人が、「待っておれ!」(マンガ「NARUTO」のセリフ)と発するなど、こうした逸話は、おそらく枚挙に暇ないことだろう。
やはり、文化や言語は、多様性に富んでいるほうが面白いし、それを知ることで人生が豊かになる。