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ブレイディみかこの「私小説」。著者の経験をもとにしたフィクションということで、とても臨場感があり、リアル。
すべての短編に通底しているのは、ままならない状況に置かれている人たちへのエンパシーだ。
水商売は、失礼をお金に変えていること。
「失礼を売り、失礼を買う。失礼は金になるのだ。」
「自分のソウルによくない仕事はやめるべき」とアドバイスしてくれる下宿のお母さんに背中を押され、脱出をはかる第五話の主人公。
でもそれを選択するしかない場合もある。
シットジョブ(クソみたいな仕事)しか残されていない人たちだ。
リスペクトされ、尊厳を持って暮らせる社会。誰もが美味しいパンを食べられる社会。当たり前だったことが、今や当たり前でなくなりつつある。
作者は常に、その蔑まれた側の人たちの側に寄り添っている。
あからさまに差別され蔑まされ、いないことにされる人たちへの共感に満ちている。
大人ってそうでなくては。
ブレイディみかこはぶれないねー。
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どこまで実話でどこまでフィクションなのか…でも最後の保育士エピソードはきっと真実だ。
とてもとても忠実に描かれている気がする。エッセンシャルワーカーがこの世界にはたくさんいて、彼らの大切な仕事がシットジョブと言われているのがすごくつらい。
p.96 いえば、アリ・スミスの「春』という小説に出て来た少女が、「私たちは回転する」と言っていたのを思い出す。人間は進化する(evolve)のではなく、あくまでも回転する
(revolve)のだと。人間はそれぞれ違う形で革命(revolution)のように回す、と彼女は言った。
あの本を読むまで、revolution が revolve の派生語であることに気づかなかった。revolu-tion には、革命だけでなく、回転という意味もある。革命と回転を意味する言葉が同じというのは、ちょっとディープだ。
革命ってのは、ほんとうのところ、転覆ではなく回転させることなんだろうか。
p.119 ここにいると、よく考えてしまうのがハンナ・アーレントの本のことだ。
彼女は、人間のいわゆる活動を「労働」、「仕事」、「活動」の三つに分類した。
「労働」は生命の維持に不可久な行為だという。たとえば、空腹に応じて食事の準備をしは、人間のかわかる活動を一動」「出事」、「形の分類した。
もしいのをすくなきだという。たとえば、空腹に応じて食事の準備をして、あと片づけをする。こうした生きるための多くの単純作業を、むかしは使用人にやらせて、一部の人たちだけが自由を得ていた。いまなら、お金に余裕のある人は、専門の業者に委託する。クリーニングもそうした委託作業の一つなので、工場での仕事は生粋の「労働」だったと言えるだろう。とは言え、現代社会のほとんどの人々は、生計を立てるために働いているので、そうした仕事もすべて「労働」と呼ぶことが可能だ。だとすれば、服を売る仕事も立派な「労働」である。
アーレントによれば、二つ目の「仕事」は何かを作り出すことだ。特定の目的を達成するために働くことである。たとえば芸術家が作品を作り出すような行為であり、「仕事」によってできあがる生産物には耐久性があるらしい。
だが、三つ目の「活動」は、前の二つとはちょっと異なる。これは人間の自発性に由来しているそうで、自発的に開始される行為・行動によって、他者と接触し関係を築く。つまり、他者との交流を可能にする領域だ。人間は「活動」を通して自分の人格を他者に示すのだという。
この三つについて考えたとき、この慈善センターに来ている人たちがしている仕事は、ピュアな「活動」としか言いようがない。そもそもvolunteer を動詞として使えば、「自発的に行う」という意味なのだから、人間の自発性に由来し、自発的に始める行為で他者と触れ合う。アーレントの言うとおりだ。
生活保護や年金や失業保険で生活している人たちが集まっているのだから、食べるために働いているわけでもない。一部の有給の幹部の仕事を除けば、ここに来ている人たちがやっているのは「労働」とは呼べないし、耐久性のある作品を制作する「仕事」をしているわけでもない。私たちはただ「活動」するためにここに集い、知り合い、いい人だなあとか、めっ��ゃ嫌なやつだなとか互いに思いながら交流し、一緒に働いている。
そしてその「活動」の一部が、古着のリサイクルだった。さしあたり、いま私がしている「活動」とは、このコーナーにぼさっと立っていることだ。この行為にいったいどういう意味があるのだろう。
服を大きなビニール袋に詰めて寄付しに来る人たちがいるから、それを受け取るためにここに立っているのだろうか。いや、そんなものは適当に床の上に置いて行ってくれればいいのだし、それを誰かが取って行ったとして、どうせ無料で提供されている服なのだからまったくかまわないのだ。
たまに、これと同じようなセーターで大きめのサイズはないですかとか質問してくる人がいるからここに立つのだろうか。いや、それにしても、自らストックルームに入って服を物色する人たちもいるから、自分で勝手に探してもらえば済むのである。つまり、私がここに立っている理由は…・・・・。
実は、何なのか私にもわからないのだ。考えてみれば、このように誰にもわからない謎の仕事がとこにはたくさんある。いてもいなくても別にかまわないのだが、それでも私たちは自発的にここにいる。このはっきり言ってしまえば不要で、何ひとつ達成しようとしていない「活動」の場の存在意義とは何なのだろう。
トムがカフェでわはわはと笑いながら数人の男性たちと雑談している声が聞こえてきた。
偉そうに人に指図するのが楽しくてここに来ているサッドな老人、と思っていたが、ああやって笑っている声を聞けば、やっぱりあっちのほうが楽しそうだ。そんなに嫌なやつでもないのかもしれない、などというおおらかな心持ちになれるのは、私がやっているのは「労働」じゃないからだろう。
この場所は、来たい人たちがいるからここにある。「活動」の場の存在意義はそれしかない。ほんとうにそれだけなのだ。
でも、そもそも存在することに意義なんているのだろうか。
そんなことを考えてぼんやり立っている間にも、チェックのシャツを手に取ってリュックに入れて帰る人、パンパンに膨れたスーパーの袋いっぱいのベビー服を寄付して行く人、鏡の前でジャケットを着てみて、そのまま着て去って行く人などが、私の前を行ったり来たりする。
古着が人の間を回っている。必要とされるものが必要な人のところに、お金がまったく介在しない形で、高いも安いも払えるも払えないもなく、どんどん回っていく。
これは服だけである必要はないのではないか。
いろんなものがただ回っていたとして問題ないのではとさえ思えてくる。
革命とはやっぱり回すことなのかもしれない。
それも、これまでと同じ向きではなく、逆方向に回転させること。
思索している私の前を、ぽたぽたとバケツから水をこぼしながら歩いている人がいて、私は急いでモップを持って来て床の水を拭いた。彼は常に何かをしていないと不安になる人で、暇になるとバケツを提げて施設内をうろうろし始めるのだが、彼が通った後はいつ
も水浸しだ。
私たちの「活動」はまったくシステムとして機能していない。だが、それだからこそ、ここにCしかない物語を紡ぎ続ける。その物語をいつか文章にしたいと私はぼんやり思い始めていた。
p.193 、人間が���くなるには、こつあるんだ。一つ目は、他人に低く見なされるから自分が低い者になったように思えるとき。これは闘うべきだし、どちらかといえば簡単な闘い。もう一つは、本当に自分自身が低くなっていくように思えるとき。こういうときは、その場からできるだけ早く離れるべき」
あたしはスプーンを置いてチャカの母親の話を聞いていた。毎週、家賃を払う日の前の晩には父かさずリマインドしてくるしっかりした彼女が、できるだけ早く職場を離れろなんて言うのは意外だった。
「どうしてだと思う?」「…・・・・・?」
「あたしたちみたいな仕事をしているとね、いつも人から下に見られる。だけど、自分自身を愛していれば、それに抵抗できるし、自分を低くさせているものと闘うことができる。
でも、自分自身が人間としてどんどん低い者になっていく感覚があると、自分が愛せなくなる。あなたは自分を愛してる?」そう聞かれて、あたしは答えた。
「・・・・・・いいえ」
「それが仕事のせいなら、やめたほうがいい。自分を愛するってことは、絶えざる闘いなんだよ」
闘い。なんて、そんな大げさな言葉でまかないの仕事を語るのは滑稽だし、自分のことを愛したからと言ってーポンドの足しにもならない。ファイト(闘う)という言葉の連発も、日本語の感覚でいえばベタで困惑した。
そんなことを考えながら黙っていたあたしの気持ちを見透かすように、チャカの母親はダメ押しするように言った。
「自分のソウルによくない仕事はやめるべき」
あたしは彼女の大きな丸い瞳に射貫かれていた。
彼女の口から出た「ソウル」という言葉は、「魂」というひ弱な言葉に訳したくないぐらいどっしりと肉体感があった。
「家賃は少しばかり滞納しても大丈夫。うちは利子をつけたり、そんなことはしないか
ら」
急にサバサバと現実的なことを言い残し、彼女は居間のほうに消えて行った。
p.236 「でも、弁護士だって、人間にしかできない仕事でしょう?」
「いや、そのうちテクノロジーが進歩すれば、僕たちが企業にアドバイスしているようなことは、コンピューターがもっと正確にアドバイスできるようになる。そうなったら弁護
土なんてお払い箱だ」
「なんかSFみたいですね」
「いまはそう思えるかもしれないけど、近い将来、間違いなくそうなる。投資家や企業経営者だって、コンピューターに取って代わられる。リスク評価は計算機のほうが上手だからね。そうなると、何が残ると思う?まさに僕たちが週末にやっているような仕事だよ。
あれはコンピューターにはできない」
「ロボットならできるんじゃないですか」
「ロボットは人間じゃないだろう。人間をケアする行為は、人間でない者にはできないん
だ」
「どうしてですか?」
「ケアというのには双方の人間が必要だからだ。ケアをする方とされる方、双方の人間がいてポジティヴな精神的電波が生まれる。この電波こそが、人間が今日まで生き延びてきた原動力になったという人もいる」
精神的電波なんて言葉を使うので、パブロはわりとスピリチュアル系の人なのかなと思っていると、彼がこう聞いてきた。
「病室を回るとき、僕たちはそこ��いる人々に言葉をかけるよね。相手から答えが返ってきたら、嬉しくなるときがない?」
確かに、すでに死んでいるような顔をして横になっていた人が急に優しい笑顔で「ありがとう」と声をかけてくれたときとか、見舞い客の人から「あなたは本当に素晴らしい仕事をしています」と言われたときなんかは、ぱっと頭の中が晴れたみたいになって、自分でも能天気なんじゃないかと思うほど気分がアップビートになり、知らず顔がにやついていることがある。
「あります。・・・・・確かに、あります」
「ああいう媒しい気持ちは、僕がしている仕事では味わうことができない。あれがポジテイヴな電波だよ」
パブロはしみじみとそう言った。さっきまで私の左脇に座っていたボランティアたちと談笑していたエドワードもなぜか真面目な顔をしてじっとこちらを見ていた。斜め前に座っている私の大家夫妻も喋るのをやめてパブロの顔を見ている。
「本当に人間がすべき仕事というのは、こういう仕事じゃないかと思うときがある」
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・生臭い、リアルな既視感のある「労働」の「小説」。
・読んでスカッとする類の物とは正極な小説。
・同じ怒りや諦めや醜さ…も自分の中で再確認した。必要な小説。
・自意識に(余り)結びつけず、「労働」そのものに眼差す、という小説は結構貴重なのでは。
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「人間が低くなるには、二つあるんだ。一つ目は、他人に低く見なされるから自分が低い者になったように思える時。これは闘うべきだし、どちらかといえば簡単な闘い。もう一つは、本当に自分自身が低くなっていくように思えるとき。こういうときは、その場からできるだけ早く離れるべき」
「自分を愛するってことは、絶えざる闘いなんだよ」
「自分のソウルによくない仕事はやめるべき」
ケアする仕事=賃金が安い=シットジョブ
働いている当人がクソみたいな仕事と思っているということ。
人種や職種で他者を上だの下だのと決めるのは、なんとも愚かな行いかと思うのだけれど、自分でも気づかないくらい心の奥底にそれは確実に存在している。
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ブレイディみかこの自伝的小説。
あとがきにはフィクションとあったので、どこまで彼女の自伝かはわからないが、日本でもイギリスでも労働者階級にあった(現在もある)彼女の痛切な叫びを感じた。
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労働で得られるものとは、結局何なのか。
何かを始めるために一時的に必要な金銭を稼ぐことなのか、ポッシュに搾取されても自分の物理的な居場所が守られることなのか、ただ数をこなしている裏側で実は誰かの大切な想い出を紡でいたりすることなのか、個人が成長しようと頑張っても組織に強制的に阻まれるものなのか、相手のためより自分のためにするほうが結局みんなハッピーになるのか…
ダイレクトにポジティヴな電波を受け取るような仕事が、もっと価値のある仕事として世の中の共通認識になるといいと思う。
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「会社勤めのホワイトカラー。客に直接接する業務でなくて、コロナ禍ではリモートワーク」。そんな人が本書を読みとくのは、シンパシーかエンパシーか…「自分の仕事もなくては困るかけがえのないもの」、そう思いたいもの。たとえ事実でなかったとしても。「自分だけなにか違った属性に見られている」、時々感じる職場での疎外感。”薔薇よりパン”。生活のためには稼がねばならぬ。賄ってくれる人に媚びへつらい失礼されることを売る。そして誰もが”シット・ジョブ”。だが、気づかねばならない。誰かを軽くみていないか?身近にいる誰かを。
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面白い。僕はイエローでももちろん面白かったけどこれはブレイディさんの視点で世界を見ているから全く別物。
ブレイディさんの強さと弱さのバランスとパンクさと繊細さが見ていて共感もできるし心が温かくなる。
短絡的だけどアルバイトの最低賃金が1500円になれば日本ももう少し生きやすくなる気がするけどな。
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搾取する側、される側。
ブレイディみかこさんの本を読むと日頃意識していない現状を突きつけられます。
気づかない方が幸せなのか。
知ってしまったら戦わないといけないのか。
ニュースでは知り得ない現実を教えて貰ってます。
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短編かつ私小説、読みやすかったしリアルなイギリスを見ることができた気がして良かったです。なんだかんだ階級で区別される世界、華やかに見えるイギリス社会も生きづらそうだなあと感じた。
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今までのノンフィクション作品の、キモみたいなものを集めてフィクションの短編集にしました、みたいなものだった。
自身の経験に裏付けられているだろう内容。
イギリスでは労働者階級なるものがあって、ヒエラルキーが形成されているようだが、現代にも根深く残っているんだろうか。
日本でも介護や保育系の職種は薄給のイメージがあるが、もっと高級でもいいと常々思っている。
一番印象的だったのは、「失礼は金になる」というワード。真理をついてるなと思った。
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この本の、なんだか上手く表現できない、もやもや感、憤り、残酷さ、悲しさ…、こういうのは、正直好きじゃない。
でも、こうでしか表現できない事があるし、現実がある。自分の中にも存在する黒い部分、それを嫌悪する気持ちが、語られているような小説だった。
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図書館で借りた。久しぶりに小説。
ブレイディみかこさんの作品は読むのは2作目。「きみはイエローでホワイトで〜」を1作品目に読んだ。
私には「私労働小説」の方が合っているようだ。面白く読んだ。
私もろくな仕事をしてきてないので、「ザ・シット・ジョブ」というものについては色々考えるところがあり、4年前に働きに出ることを止めてしまった身としては「それでも私は働く」という意思が眩しく見えた。
「フィクションを交えて書いた」と後書きにあるので、まぁそれはそうなんだろうけどちょっとガッカリしたところもある。が、読後感は良かった。
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普段小説を読まない自分にとって、読みやすいと感じた一冊。
ストーリー自体は1話が個人的には最も惹かれたけれど、フレーズとして印象に残ったのは最後のお話。それと後書きも良かったと感じた。
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本当にあったことも若干混ざっている私小説ということで、様々な職場での出来事が書かれています。そこで見られる社会の歪み。知らなかったことも、「そうだよね」と納得ものもあれば、「それって、そういうことだったんだ」と、漠然と感じていた怒りが整理されることも。
ブレディみかこさんの文章を読むと、「言葉の力って、やっぱりすごい‼️」と感じます。