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本書は、移行期としての明治三十年代の読書文化の変容過程を、活字メディアの流通、ツーリズム、読書装置の普及という3つの視点から分析し、さらに、この変容過程の帰結として、<読書国民>の誕生を提示しようとする試みとされる(まえがきより)。
第1部では、新聞・雑誌・書籍の活字メディアが全国流通網に乗って全国読書圏を形成していく過程が描かれる。新聞では、東京・大阪を2つの<中央>とする楕円的構図が形成されていくが、これには鉄道網の全国拡大に伴うスピードアップ(加えて郵送)が寄与していた。雑誌や書籍についてもおおむね同様のことが言えるが、しかし地方については場所によって大きな格差があった。
第2部では、近代交通機関の発達により読者としてのツーリストが誕生したことが取り上げられる。人力車での新聞を読むことから始まり、鉄道での車中読書。そして鉄道という公共空間での読書により、それまで読書と言えば音読が普通であったのが
黙読となってきた経緯が説明される。
また、こうした「旅中無聊」をビジネスチャンスとして、駅の構内、車中、旅館やホテルにおいて、旅行者に読み物を提供するための社会的装置の発達が促されたとして、具体例が紹介される。
第3部では、第1部と第2部が<民>における自生的な動きだったのに対し、<官>による上からの読書国民創出の試みが描かれる。具体的には新聞縦覧所と図書館が取り上げられる。新聞を読む国民創出については明治の初頭から始まっていたが、図書館については一等国意識が高揚されてきた日清戦争後ということになる。
統計数字のほかにも具体例が多く取り上げられており、この時代に読書に親しむ人が知識人層から一般国民に、また全国的に広がってきたことなどが良く分かって面白かった。
自分の学生時代には、通勤・通学電車の中で、勤め人ならば新聞、学生は文庫本を読む光景を当たり前のように見たものだったが、今や完全な少数派。ほとんどがスマホを見ている。今後果たしてどのようになっていくのだろうか。近い将来、読書に関する新たな歴史が書かれることになるのかもしれない、そんなことを考えた。
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感想
見栄っ張りだが恥ずかしがり屋。そんな人の前に現れた書物。1人でこっそり知識を吸収。自分の知識を見せびらかす手段でもある。手に手を取って。
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出版社(講談社)のページ
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000384080
内容・目次・主なトピック・「試し読み」(まえがき・目次)
2004年 日本エディタースクール出版部から出版
2023年12月 講談社学術文庫版出版
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かつて地方の民は自由な読書ができなかった。
思想的弾圧などではなく、読書メディアが流通してこなかったから。
鉄道や郵便といった、読書メディアを運ぶ機能ができ、読者は自らが移動するようにもなり、そして「読書装置」たる図書館や新聞縦覧所などができた。こうしたことを経て、読書が日常的になる国民が生まれた、というお話。
電子書籍と紙の書籍の大きな違いって、紙はいつでも読めて、電子書籍はリーダーがないと読めない、ということだと思っていたが、かつてはその紙でさえ、流通や読書装置がなければ読む機会が得られなかったのか、というところが、当たり前ではあるが衝撃的だった。
明治からの文化記としても楽しい。
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私はそもそもどのようにして読書が好きになったのだろう?どうして本を読むようになったのだろう?そんなことを考えた。もちろん小学校に行ったから。先生や友達の影響、学校図書室の存在や両親が与えてくれた本、商店街の書店。そんな楽しい読書体験が出発点だ。では日本国民としてはどうか?識字率が割合高く、新聞を読めるということは大したことだったのだ。昔から人々は乗り物の中で文字を読んだらしい。公共の場で音読する人が多かったというから笑った。私も電車内での読書ははかどる。今は新聞も漫画も電子機器で読む人が多いようだが。