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2024.4.9
これまでのブッダ論に対する批判が大半を占めていて、著者自身の考えの部分が薄いと感じました。著者の批判が正しい部分もあるのでしょうが、中村元の『ブッダの教え』(スッタニパータ)を読んで、ブッダに惹かれたので、残念に思いました。
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仏典から神話的要素を排し歴史的ブッダの実像を確定しようとする試みが、近代的価値観をブッタに被せて新たな神話的ブッダを再生産しただけであるという指摘が主。
個人的には「無記」を否定しているのが気になった。
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あと書きから著者の悲願の一冊であることが感じられた。
たしかに、ゴータマ・ブッダを神格化し、現代の時代状況にも適切な価値観を持った人物だと論じるのは無理がある気がする。
インテグラル理論を学ぶなかで、社会の発達状況が過去と現在では異なり、その時代を生きる人は、その時代の影響を少なからず受けていることは当然なのかもしれない。
何かや誰かに自分の世界観の投影をしてしまう。人間の性。
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初期仏典から
ブッダの実像に迫るという内容ですが、
同じ試みはイエスについてもなされています。
どちらの研究も驚くほどよく似ています。
ブッダやイエスがどういう人であったか、
どういった思想の持ち主で、
なにを説いたかということは、
聖人が生きた時代背景や人々の考え方、
風俗、習慣などを理解いている必要があります。
ただ理解していたところで、
実像を捉えることはできないでしょうが・・・。
結局、それぞれの時代が求めるものが投影されて、
神聖化され、虚像が出来上がっていくのでしょうね。
宗教を必要とするのは人間だけです。
他の動植物のようにあるがままに生き、
死ぬことができません。
人間って余程出来の悪い生き物なのですね。
べそかきアルルカンの詩的日常
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べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
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