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大変、読みやすい。
物語として軽い感じで楽しめつつも、仏とは何なのか、という本質的問題を投げかけてきたりもして、まだまだ序章ではあるけれど、この先のお話が気になって仕方がない。
下巻が楽しみ。
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2013年67冊目。(再読)
激動編購入のため、読み直し。
やはり一気に読み通してしまう面白さがある。
「民の目線」を大事にする姿勢をもう一度学ぶ。
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2012年3月23日(初読:27冊目)。
難しい用語はところどころにあるものの、ノンストップで読める読みやすさのある歴史小説。
「仏とはそういうものだ」という暗黙知に、「仏とはなんだ?」と真正面から誠実に迷う親鸞(この時の名は範宴)の姿に共感を覚える。
お山から降りて一般大衆に近づこうとする姿勢が、今の世でも通じるリーダーシップ像を思い描かせる。
続きに期待!
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ずっと書店に並んでいたのが目についていたので何気に手に取った。幼少期、比叡山での修行までは淡々と読んでいたが、六角堂への通い修行あたりから親鸞の煩悩や自己嫌悪、形骸化した仏教体制への不満など熱い思いが次第に膨らんでいく過程では胸を打たれた。底辺とされる人々との交流の中で自らを見出し、仏教を生きた教えとして伝えていくことを決心した親鸞の人生はこれから真骨頂を向かえるというところで終了。熱いストーリーを後編にも期待したい。
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歴史小説を読もうと思って最初に手にとった本。とんだ冒険活劇でした。少しだけ親鸞のことがわかった気になります。
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どこまでが史実なのかはわからないですが、幼少からのエピソードなどから興味深く書かれています。他が認める行をなし、才能を持ちながら、欲や出世を捨てて、あくまで自らの信じる、求める道を進むため、俗世間に身を置く、その覚悟が読んでいて心にしみます。下巻につづく。
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人として生きる上で大事なことは、何なんだろうか?
そんなことをふと考えてしまう一冊、続編を読まねば。
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2012.06.25 上巻読了
2012.06.29 下巻読了
おもしろかった。
ただただ法然の教えを自分の意としいら
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内容(「BOOK」データベースより)
馬糞の辻で行われる競べ牛を見に行った幼き日の親鸞。怪牛に突き殺されそうになった彼は、浄寛と名乗る河原の聖に助けられる。それ以後、彼はツブテの弥七や法螺房弁才などの河原者たちの暮らしに惹かれていく。「わたしには『放埒の血』が流れているのか?」その畏れを秘めながら、少年は比叡山へ向かう。
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念仏とは人生という夜道を照らす灯りである、
親鸞が町人にたいして説法をしている際に町人から「念仏となえると病気が治ったり、暮らしが楽になったりするのか」と問われ、そうではないと答える。
親鸞曰く、修行時代に暗い夜道を重い荷を背負いくたくたになりながら歩いていると、ふと民家の明かりが見えた。それはつまり目的地が近い事を意味し、体が軽くなった気がした。
ゴールが見えたからといって荷物が軽くなった訳でもなく、目的地が近くなった訳でもない。でも体は軽くなった。
念仏とはその灯りのことだ。
僕は以前から自分の心の中にある、もやもやしたなんともいえない不安のような物が何なのかよくわからなかった。ただ、この本を読んでわかった事は、僕の人生には灯りが無かったって事だ。
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とても面白く、興味深く、読めました。
忠範に弥七から託された石ころを渡すとき
「・・われら悪人ばらのためにお山で修行なさるのだ。だから忠範さまに伝えてほしい。もし、運よく物事がはこんで、自分がなにか偉い者でもあるかのように驕りかたぶった気持ちになったときには、この石を見て思いだすことだ。自分は割れた瓦、瓦の小石、つぶてもごとき者たちの一人にすぎないではないか、と。・・・」
忠範が悩み苦しみながら、成長し、自分の信ずるところに妥協せず、もがき、迷いながら進んでゆく姿が
とても身近に人間らしく感じられ、
いとおしく感じました。
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忠範の幼少期から天台の仏門に帰依して範宴となりやがてお山を降りる決心をするまでのエピソードが描かれた上巻。さすがに新たな国民文学というだけのスケールはある。面白い。
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面白い!いつの時代も改革は狙って始めるものではなく、おかしい、おかしい、の連続から生まれるんですね。ポジティブなネガティブ目線、重要です。加えて、いつの世も時代背景は違うけど、根本問題に違いは全くないですね。この後の展開が楽しみ。
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たまたま訪れた西本願寺で親鸞聖人入滅750年の法要をやってたんで…読んでみようかと。小説としてもそれなりに楽しめたけど、エンターテイメントではないな。
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凄く面白いです。
親鸞に対して以前から興味があって、ほんの少しだけその教えも知っていました。
けれど、想像した以上に、親鸞は人間臭い感情と常に向き合っていたのだと思いました。
もちろん史実そのものではないのでしょうが、人にいわれたことを鵜呑みにせず、自ら悩み抜く力があったからこそ、親鸞の教えが今も生きているのだと思います。
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親鸞、どこかのお坊さんということしか知らない状態で読み始めた。平清盛が栄華を極めているときに生まれ、ある程度の身分があるのにもかかわらずやくざもののような人々に魅かれ、ある程度の悪をしなければ生きられない時代に、たとえ悪をしても浄土へ行く道があるのかを探すために比叡山に入り修行をするタダノリ(のちの親鸞?)を描く。
タダノリが修行する時代の比叡山は仏門をはなれ、身分を求め、権力闘争をしている、それに背を向けひたすらに仏を求めるタダノリ。やがてその生真面目さから比叡山を降り、町の聖として生きることになる。
僧として捨てねばならない欲をすてきれず、またその生真面目さゆえに他の僧のように適度に欲と付き合うことができず、ひたすらに自分を責める姿が描かれている。