投稿元:
レビューを見る
序章の「結婚の理由を問うのはなぜ愚問なのか」だけを読むだけでも、この本を買った価値はある。これまで見たり聴いたり読んだりしてきた、どんな結婚観よりも説得力がある。著者は結婚は選択ではなくこれまでの過去の経験や選択が積み重なり、それが事態として隆起したものなのだと言う。なるほど、本質をついた鋭い考察だと思う。第2章以降も、ハイデガーの存在と時間や國分功一郎の中動態の世界などを引用しながら関与や事態についての、哲学的な考察が続くのだけど、ちょっと油断すると理解できないような小難しい話のわりに、具体的な例が面白おかしく書いてあるので、ちゃんと最後まで楽しく読ませてしまうところが、著者の文章力とウィットに富んだ人格ならではなのだろう。
投稿元:
レビューを見る
冒険者である筆者による、結婚観や冒険観。
筆者は結婚を「私の過去そのものの現在における隆起」と書いていたが、私の場合は出産がそれに当たるなあと感じた。なぜ子どもをもったか?確かにあれは「産まない選択肢などなかった」に尽きる。子どもをもつということは、自分を中心に考えるならば、自分の時間がなくなり、時には理不尽さに付き合わなくてはいけなくて、結構自分に不利益と思うんだけど、でもこれは自分の合理的選択ではなくて、事態の隆起なんだと考えたら、妙に心が安らいだ。
投稿元:
レビューを見る
結婚も住宅ローンも、犬橇探検も、まったく想定外だった? 人はいつ、そしてなぜ一線を越えるのか。冒険家・角幡唯介の新たな人生論とは。〈解説〉仲野 徹
投稿元:
レビューを見る
内容は”冒険の現象学”。この人の冒険ノンフィクションからの流れで読むと面食らうかも。ハイデガーをちゃんと踏まえて、この人の今まで経験してきた"冒険"を考察している。ちゃんとした哲学書にもなっているので、著者のファンだけでなく、哲学クラスタにもいいと思います。ハイデガーが『存在と時間』で提示した日常の事物から展開する"現象学"のやり方は、好悪はともあれ、これだけ射程/応用範囲の広いものなのだと改めて興味深い。
投稿元:
レビューを見る
人はなぜ冒険をするのか、山に出かけるのかの答えは人はなぜ結婚をするのかの答えと同じということを哲学的に論考している。思いつきと隆起した事態がその答えであるとハイデガーや中動態等を持ち出して論理を展開していく過程は迫力がある。「探検家とペネロペちゃん」も衝撃的だったが本書も別の意味で衝撃的ある。これらの衝撃源である角幡夫人の書いたものを読みたい。
投稿元:
レビューを見る
冒険と結婚を並列して語っている。
それは目の前に立ち現れた事態で、事態に対処する成り行きが結婚であっても、極夜の北極圏を冒険することも、事態に対処することについて、どちらも同じなんだと。
最終盤の冒険論は特に印象的で、40代を迎えた冒険家は体力の衰えを感じながらも、うまく次のステージに移行できたように見える。60代を迎えようとする私も次のステージに移行しようとするが、体力や身体の機能的な劣化が想像以上に大きく、戸惑っている。
50代の頃、60代になった時にやりたいと思い浮かべたことに対し不安がよぎる。冒険家の思索を咀嚼し自身の考え方のベースをつくりたい。
冒険家の思索と冒険行を楽しみに、体力優先のお楽しみを頑張りたいな。