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まずまず。
芥川賞に相応しい。芸術的、ユニークな感性。
刑務所?を東京中心部の高層ビルに設けると言う先進的なお話。
分りにくいがきれいな文。常人には書けない。
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私にはちょっと早かったかも、
混沌としていて意味があまり分からなかった。
ただ、日本語は嘘を最後まで突き通すための言語
という言葉が刺さった。
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===qte===
九段理江さん 「東京都同情塔」で芥川賞 生成AI時代「言葉を大切に」
2024/1/19付日本経済新聞 夕刊
言葉と建築をテーマにした小説「東京都同情塔」で芥川賞に選ばれた33歳。文章を生成するAIが登場し言葉が氾濫する時代に「言葉を大切にしたい」との思いが強い。受賞決定会見でも質問に対してじっくり考え込み、返答を一つ一つ丁寧に紡ぐ姿勢が見られた。
受賞作の舞台は近未来の東京。現実では白紙撤回されたはずのザハ・ハディド案で新国立競技場が造られている。主人公の女性建築家は、犯罪者が幸せに暮らせる新たな刑務所「シンパシータワートーキョー」のコンペに参加する。
建てられなかった建築を意味する「アンビルト」がテーマの一つだ。「今作も書き上げられず、アンビルトになってしまうのではと不安だったが、そんな不安定さも含めて評価していただいたのがうれしい」
建築的な構造の小説を狙い、様々な文体を用いた。「小説の約5%はAIの文章そのまま」と述べるように、作中ではAIが主人公と対話する。「AIが期待した答えを返してくれない実体験も反映させた」
主人公には「言葉があふれ新たな価値観についていけない自分」も投影する。「言葉」にはずっと関心を持ってきた。小学生の時に書いた作文のタイトルは「美しい日本語を使おう」。初めて文学界新人賞の最終候補に残った作品も言語を扱った。「言葉を使って何ができるのか考えることがライフワーク」と明かす。
小説という手法を選んだのは、純文学が持つ「器の広さ」がやりたいことと合致するから。目指すのは多くの要素を内包して読者に内省を促すような作品だ。「言葉で解決できないことは他のどんな手段でも解決しない」。そう信じて小説を書き続ける。
===unqte===
===qte===
東京都同情塔 九段理江著 近未来ニッポンの思考実験
2024/2/17付日本経済新聞 朝刊
第170回芥川賞受賞作。執筆の一部にChatGPTなどの生成AIが使用されたことが話題になっているが、架空の文章構築AIが生成した(という設定の)文章をそれらしくするために使われたのであって、AIに丸ごと書かせたわけではない。とはいえこの作家は最初の芥川賞候補作「Schoolgirl」にもAIアシスタントを登場させていた。テクノロジーの進化に敏感な書き手なのである。
物語の舞台は、現実世界とは異なった過去を持つ近未来の東京。変更点は大きく2つ。国立競技場がザハ・ハディドの設計案のまま建設されたこと(周知のように実際には世間の批判を浴びて白紙撤回され隈研吾の案に変更された)。2020年に東京オリンピックが予定通り開催されたこと。社会学者で幸福学者のマサキ・セトの提唱によって「犯罪者」「受刑者」を「ホモ・ミゼラビリス=同情されるべき人々」と呼ぶ動きが広がり、新宿御苑にホモ・ミゼラビリスが収容ならぬ入居する高層ビル「シンパシータワートーキョー」が建設される。主要登場人物は3人。横文字による意味の中和を嫌い、タワーを「東京都同情塔」と敢(あ)えて呼ぶ女性建築家の牧名沙羅。不幸な生まれ育ちでありながら、牧名との運命的な出会いによってタワーのスタッフになる青年拓人。トーキョートドージョートーにかんする記事を書くべく来日した三流ジャーナリストのマックス・クライン。物語は最終的にタワー建設後の2030年に至る。
一種の歴史改変SFと言ってよいだろう。だが、この小説が描く「もうひとつの東京」は、リアルなトーキョー、リアルなニッポンを透視している。日本語の特殊性、特にカタカナ英語の使用による奇妙な効果への着目は、シンパシー→同情→ドージョーと変換されることで日本人独特のメンタリティを映し出す。こんにちのポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を踏まえた、他者/弱者への共感と同情の称揚に潜在する矛盾や逆説が思考実験のように提示される、ある種のディスカッション小説として読むこともできる。
なかなか手強(てごわ)い小説である。明確な主張や結論を導き出すよりも、読者に問いを投げかける。むろん、それこそが「文学」の役割なのだ。
《評》批評家 佐々木 敦
(新潮社・1870円)
くだん・りえ 90年埼玉県生まれ。2021年「悪い音楽」で文学界新人賞、23年「しをかくうま」で野間文芸新人賞を受賞。
===unqte===
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例えが難しくて言いたいことがすんなり入って来なかったが、あらゆる方面に配慮する日本語の方向性への不信感は同意。
しかしながらそれは、自分が旧世代の教育と常識にまみれているが故に感じることであって、新しい言葉が標準的になるであろう新世代の人間にとってみればなんの違和感もなく、むしろより良い世界に向かっているのかも知れない。
さらに長い時間軸で言えば、何が良くて何が悪いかは、進化論的な自然淘汰が決定することであるため、世界が向かう先こそが良い未来なのである。
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これだけ多くのテーマを抱えながら物語としてのスピードを維持する筆力。どこから読んでも興味深いと思えるような作品。
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言葉、現実、嘘、機械と生身の脳、道徳などさまざまなテーマがごちゃ混ぜなお話で混沌としていた。が、読みやすさはありのめり込んで読めた。芥川賞作品てわかりにくくて読後にスッキリしないなあ…
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芥川賞受賞作品
題名や帯からは予想もしていなかった内容。建築士が主人公の本は初めてで、建築物が好きな私にとって(まだまだビギナーだが)とても視点が面白かった。
私自身、言葉を概念として捉え、日本語を大切にしていなかったと強く思った。
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感想
良いこととは何か。誰かが決めたわけではない。みんなが同意した基準もない。だけど言葉の良し悪しは判断される。理不尽だが仕方ないこと。
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読み終わるまで時間がかかり、少し難解なところもありました。常時主人公視点で物語が展開するわけではなく、友人の男性であったりインタビューアの外国人であったりとさまざまな人の視点に切り替わり、物語が進んでいきます。そのため、切り替わるときにこれは誰の視点だろうか?と一瞬戸惑うことがありました。
主人公の考えや話し方の傾向が、分析的でかつ客観的。なのに伝えようと言語化すると回りくどく表現されているのが印象的です。
読み終わった最初の感想として、言葉と行き過ぎた配慮がテーマになっているのかな?と感じました。
物語の要所要所でAIと会話をする所があるのですが、内容が現在のAIでも答えそうな配慮がされているが視点がずれている、平等性を突き詰めたような内容となっているのが、今の世相を映しているようでした。
相手に配慮するが故に新しい言葉が生み出され、しっくりこなかったり意味が曖昧となっていたりという事もまた、現実の世界でもよくある内容だなと感じました。そして相手とのコミュニケーションで齟齬が生じていくのも、よくある事です。これは言葉の意味にどれだけ重きを置いているかの違いなのでしょうか。
もっと言葉について学んでから再読してみようと思いました。
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芥川賞受賞作品ときくと、純文学はちょっと、、と手に取らない方もいますが、とても読みやすかった。中学生から読めると思います。九段理江さんの他の作品も読んで見たくなりました。
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祝芥川賞。
生成A Iを駆使して執筆したという今どきの作品。
東京都同情塔は刑務所のような施設だが、収容される人は従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた「ホモ・ミゼラビリス」=同情されるべき人である、といにも今どきありそうな設定で笑ってしまう。
しかも東京都同情塔は、新国立競技場(ザハ・ハディドの設計のやつ)のすぐそばというロケーションで、入ったら出たくなくなるような住み心地の良い「言葉にならないほど幸せ」な施設。
とんでもないですわね。
で、この小説のテーマはおそらく「言葉の存在意義」なんだと思う。
人間が言葉で理解し合えないのなら、何のために言葉は存在するのか?という。
難しいけど、知的で読んで満足できる小説です。
さすが、芥川賞!
♫魔法のコトバ/スピッツ(2006)
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めちゃくちゃ面白かった。同時に、すごいものを読んだ!と感じた。
この小説は建築家・牧名沙羅の人生の一部を切り取った物語というより、思考と気づきの変遷と言った方がいいかもしれない。
建築家が大きな建造物をデザインすることにどれほど悩み、どのように意思決定をしているのかを描いた職業小説と読むこともできる。
———あらすじ(公式より)————
日本人の欺瞞をユーモラスに描いた現代版「バベルの塔」。
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。
犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。
ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。
———あらすじの補足(シンパシータワートーキョーについて)———
この小説は前提条件(設定)が多い。
舞台は近未来(2026年)の東京。
とは言っても、現実世界ではアンビルドになってしまったザハ・ハディド案の国立競技場が建設され、予定通り2020年に東京オリンピックが開催された並行世界の東京である。
その並行世界に建てられる予定なのが「シンパシータワートーキョー」というタワマン型の犯罪者の収容施設(刑務所)。
「シンパシータワートーキョー」のコンセプトは既に決まっている(デザインは決まっていない)。
それは社会学者で幸福学者でもあるマサキ・セトが提唱する思想を反映したもの。
簡単にまとめると
・犯罪者は同情(=シンパシー)されるべき存在である。
・なぜならば犯罪者は加害者である前に被害者である。というのも生まれた環境などによって、犯罪を犯さざるを得なかった人が多いからである。
・むしろ犯罪を犯さずに生きてこられた人は、幸福な特権を持っている。
・ゆえに、犯罪者も幸福を平等に享受するべきである。
というもの。
犯罪者を犯罪者と呼ばず、『ホモ・ミゼラビリス』と呼ぶことさえ提唱している。
このように「シンパシータワートーキョー」のコンセプトはすでに出来上がっており、2030年に完成予定である。
———あらすじへの補足(主人公について)———
主人公は建築家の牧名沙羅。
冒頭は、沙羅が「シンパシータワートーキョー」のデザインコンペに参加を決め、ホテルの一室で頭を悩ませるシーンから始まる。
というのも、既に決定された『シンパシータワートーキョー』という名称が気に入らない。考えるほどに苛立ちが増していく。
『タワープロジェクトの中身にはコミットしない。あくまでデザインのコンペに参加するだけ』と自分を無理やり納得させても、モヤモヤは残ったままだ。
しかしデザインコンペに参加することは、それを肯定していると認識されてしまわないか?
過去の体験から犯罪者に寛容になれない(タワーのコンセプトにそぐわない)自分がいることにも気��つき、仕事と自分の乖離に悩む。
おもしろかったポイント①——建築家の思考回路
沙羅は建築家であるがゆえに言葉に敏感である。
建築家が書いた言葉やドローイング(図面)は、絵画のようにそれそのもので完成となるものではなく、あくまで下書きであり計画書であり、最終的には実現する(してしまう)からだ。
そして、どのような言葉を良しとして、どんな言葉を良しとしないか、それを判断する人(頭の中の検閲者)が存在するという。
沙羅はそれは建築家の職業病だと言い、そのせいで悩むけれど、自分が建築家であることには微塵も後悔などしていない。
むしろ誇らしい職業だと捉えていて、ホテルの一室からライトアップされたザハ・ハディドの国立競技場を目にして次のように感じている。
「最初はただひとりの女の頭の中にしかなかったアイデアが現実化し、現実の人生なり感情なりを個々に抱えた人間たちが物理的に往来する。奇跡としか言いようのないそんな光景を、私はいつまでも飽きることなく眺めていた」
沙羅にとって建築物は作品ではあるが、それと同時にこの世界に実在する建物であり、人々の暮らしに影響や変容を与えるものである。
自分がデザインした建築物に不特定多数の人々が往来することに、興奮と生きがい、建築家冥利のようなものを感じているのである。
そして建築物というのは、その大きさゆえに
未来を指し示すべきものであり、都市の未来を形作るものでなければならない。反対に建築のエラーは、未来のエラーになる。
建築家は未来がわかる。一度建てたら取り返しのつかないものを構想するのに、「未来はわからない」などと悠長なことを言っているようでは話にならない。
とも語る。
僕は今まで、世界が先にあると感じていた。世界が先にあり、それを自分なりの解釈や法則、気づきに基づいて、切り取って小説・漫才・コントを作ってきた。あるあるなど、その最たるものである。
先に言葉がある、そしてそれが未来の都市を作っていく——そんな建築家の思考回路はかなり新鮮で、発見があった。
また美少年・拓人(もう一人の主人公とも言える)に出会ったとき、その美しさを『テクスチャーとフォルムが完璧』という言葉を使って、建築物に例えながら感動しているシーンも最高だった。
おもしろかったポイント②——小説家として楽をしていない、がゆえに最高の小説に仕上がっている
普通ならば「東京都同情塔」の設定が思い浮かんだ時に、その中で暮らす住民、もしくはスタッフなどを主人公にすると思う。
簡単にユートピア、またはディストピアに暮らす人々の物語が書けそうだし、それでも十分面白くなりそうだ。
または「シンパシータワートーキョー」のコンセプトの元になった幸福学者マサキ・セトを主人公にする。
マサキ・セトの思想に行き着くまでに、どのような出会いや考えの変遷があったのかを描けば、読者が犯罪について考えるきっかけになるような小説を完成させることが出来たように思う。
例えばマサキ・セトが殺人事件の遺族で、みたいな設定にすれば、どのように加害者への復讐心を乗り越えたのかを描く社会派の小説になったように思う。
しかし本作は、マサキ・セトの思想は既にこの世に存在している前提で、それに苛立ち悩んでいる主人公を設定したことがすごい。
まだマサキ・セトの唱えるようなことすら議論され尽くされていない状況で、それに対するアンチテーゼともなる主人公に物語を託したのは、かなり度胸と勇気があることだと思う。
読者としては、理解しなければいけない思想が二つになる。大幅に増えてしまう。
それなのにこのボリュームを中編にまとめ、余すところなく主人公の思考の変遷と、それを取り巻く状況を描ききり、読者に考えさせる余地まで残している。
うまく言語化できたのかはわかりませんが、とにかくすごかった。
めちゃくちゃおすすめです。
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帯に「AI時代の予言の書」的なことが書いてあり、世間でもAIを駆使して作った作品だと話題になっていて、とても興味が湧いた。
読んでいて発見だったのは、「AI」について考える時、「言葉」の問題が必ずついてくるということだ。AIは世界に無数に散らばっている言葉を分析して学習して、そこから言葉を生み出す。だからこの作品を読んだときに「日本語」について考えることにつながるのかと思った。
常々カタカナ語には頭を悩まされている。現代文の授業をする際、カタカナで書かれた小難しい言葉を見ると、日本語で書けばいいじゃないかと思う。確かに便利な側面もあるけれど、多くの人が知らない言葉(使っていけばそのうち広まるんだけれども)を、わざわざ使おうという感覚は理解できない。
その先にあるのは、「日本人が日本語を捨てる」という未来なのかもしれないなと、半分くらい作品に共感した。
それから「同情」については、人間の本性に迫るキーワードになっていて、そちらはそちらで興味深かった(これはもう少し自分に落とし込まないと語れない)。
芥川賞に選ばれる作品は、なまものだなぁと思う。理解するのは難しいし、すんなり読めないもどかしさはあるけれど、これからの時代を考えるにあたって、この作品を読めて良かったと毎回思わされる。
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Amazonの紹介より
第170回芥川賞受賞作! 日本人の欺瞞をユーモラスに描いた現代版・バベルの塔
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。
芥川賞を受賞されたということで読んでみました。
芥川賞作品の中では、比較的読みやすい方でした。文章の表現として特徴的だったのが、プツッ、プツッと短い言葉で句点をうっていることでした。
「○○しなければならない。〇〇べきだ。」
といったように時折、句点と句点の間の文章がとても短めに登場します。リズミカルではないのですが、読む時、アクセントとして印象深くさせてくれました。
どこかの記事で読んだのですが、生成AIが一部導入されているということで、どこの部分かはわかりませんが、文章としてどことなく冷たい印象もありました。
登場人物に文章が寄り添っているわけではなく、どこか突き放していて、嫌っている?あるいは無機質といいましょうか、淡々としているのか、登場人物達に文章が冷たくあしらっている感覚がありました。
もしかしたらそれは短めな文章の影響なのか、生成AIが書いたのかわかりませんが、全体的にそれが特徴的なんだなと思いました。
内容を見ていくと、文章の表現について深掘りしていました。特に印象深かったのが、同じ意味なのに漢字表記とカタカナ表記にすることで、違う印象を受けることでした。
漢字だと堅苦しく、どこか突き放している印象でした。ところが、カタカナにすると、表現が柔らかく、親近感が生まれます。
ただ、これを犯罪といった言葉が絡んでいくと、違和感が生まれます。文字の不思議さと気持ち悪さを感じました。
今まで、そういった再発見に注目することがあまりなかったので、「確かになぁ」と新鮮味がありました。
また、一つの出来事によって、様々な解釈をするということが描かれています。そりゃ、全く同じ考えを持っている人はいません。人が多ければ、それだけ考え方も様々です。
小説内では、賛否両論の意見が書かれていましたが、第三者としての読者が読むと、
「なんでそう思う?」
「その意見は同感だな」
といった、また新たな解釈を発見することができました。
ただ、それはなかなか一歩前に進めないことに繋がります。
いくら話をしたところで平行線のままであります。
本編では、様々な意見が飛び交いますが、なんか論点をずらして語っているものもあれば、話をごちゃごちゃにしているものもあって、他人と生きることの難しさを感じました。
言葉の表現によって印象を変える。なんとも魔法のような存在感でしたが、目の前にある印象だけでなく、本質の部分を探らなければいけないなと改めて感じました。
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芥川賞受賞ということでミーハー心に火が着きすぐに書店に向かった。
ただ自分には少し早かった
綺麗事や建前により情報伝達が疎かになり表面上クリーンな世の中になってしまった漂白社会の皮肉。
カタカナを使うことで表現がマイルドになり言葉が刺さらない。
困った時はカタカナを使えばいいという悪いことを思いついたりつかなかったり...