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去年とってた講義の教授のおすすめ本…というか1回生のときの夏休みの宿題の選択課題図書のうちの1冊かな?読まなかったけど気になる本。
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「敗北は自己変革のまたとないチャンスである」と言い切るジョン・ダワーの歴史観はとてもポジティブだ。このことはおそらく、私たちが「あの戦争」を教室の中で否定的にしか捉えることを教えられなかったことに対するアンチテーゼなのかもしれない。リアリティをもって歴史を語るにはどうすべきか、考えるのにお薦めの1冊
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下巻もあります。戦後日本の、つまり現代日本の出発点を描いた力作。いろいろな可能性があった中から、必然偶然によって今のような日本社会になった。ということは…。
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政治のトップからではなく、一般の日本人の視線から、敗戦をどう受け止めてきたかを豊富な資料を基に書いた、戦後史のベーシック。
戦争責任・天皇制存続・憲法改正・メディア検閲など現代の問題も、この時代を抜いて語ることはできない。
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卒論用に読んでます。戦後史を知る入門書としてはお勧めです。網羅的に書いてあるから、読みやすいのでは。
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卒論関係で読み進めている一冊。戦後、日本でいったい何があったのか――鋭い観察眼と綿密なデータのもとに、入門者でも分かりやすい語り口で描かれています。とりあえず目標は下巻までたどり着くこと。
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そうか、戦後は米軍による検閲があったために空白部分がなかなか埋まらなかったんだ。
自民党と米の関係があくまで強固な理由が分かってきた。
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ピューリッツァー賞を含む10以上の賞をさらった本書は、第二次大戦で敗北した日本のその後について、政治、経済、文化、そして人々の生活の根底に至るまで、豊富な資料に基づいて驚くほど深く研究した傑作である。
英語版が1999年、日本語版も2001年に出版されて以来あまりにも多くの人が絶賛しているため、これ以上言葉を連ねるのはもはや無意味かもしれない。従って個人的な印象だけを述べると、この本がアメリカ人によって書かれたことが悔しい。
財産も価値観も消失した、混乱の極みとも言える焼け野原から一斉にスタートした“戦後”。庶民のたくましさ、政治家の無節操さ、経済人の奮闘、GHQの欺瞞。その結果として生まれたものが“ハイブリッド国家”だったことが指摘される。
著者は、日本の戦後が本当に終わったのは1989年だと言う。この年に裕仁が崩御して昭和が終わり、ベルリンの壁が崩れて冷戦が終わり、日本経済のバブルもはじけた。戦後の枠組みが失われ、文字通りひとつの時代が終わったのだ。
そこから先、平成の日本はどこへ向かおうとしているのか、20年経った今も不透明だ。そもそも、誰が舵取りしているのかすら覚束ない。背景となる世界の情勢すらしっかり把握できていないようで、日本人自身によって「あるべき日本の姿」を描く試みはまったく見当たらない。
もうしばらくは「戦後後」の混乱期が続くのかもしれない。いつか歴史家がこの時代を振り返るとき、私たちはどんな風に評価されるだろうか。
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日本の占領期における政治経済から大衆文化までの幅広い分野が、昭和天皇やマッカーサーはもちろん、高級官僚、文豪、一般大衆、パンパンと呼ばれる娼婦といったこれまた幅広い人々の視点を通して描き出されている。
よくぞここまで調べ、まとめあげたなぁと言う感じ。東京裁判や占領時の政策における言及では、占領を正当化というか言い訳じみた台詞も見てとれるが、草の根レベルで起こっていたことまで細かく触れられていて、非常に勉強になる本だった。
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『敗北を抱きしめて』1945年の終戦以降数年間の日本について書かれた本です。非常にソソられる、いいタイトルだと思うのですが、どうでしょう。意訳気味の邦題なのかと思ったら、原題も"Embracing Defeat"。センスのよさが感じられます。
そのタイトルだけではなく、内容も非常に質の高いものです。すでにピューリツァ賞受賞含めて、内外で高い評価を受けていますが、傑作という前に大変な労作といえます。デリケートなテーマを扱うこともあり、バランスを取るために学者として多大な努力をしていることが随所に伺えます。
また筆致は時に詩的であり、一方適切な抑制も利いていて、扱うテーマに相応しいものです。例えば、第一章は「相原ゆう」という無名の農家の妻の玉音放送の経験のエピソードで始まりますが、その入り最初の文は「1945年8月15日、正午前。このあとに起こったことは、けっして忘れられることはなかった」となっています。無名のエピソードから始めることで、名もなき人々にも焦点を当てることを示唆されていますが、最初の文はその1つのエピソードに掛かるとともに全体にも掛けられている(誰にとっても/その日のことだけではなく/忘れられることはなかった)という仕掛けがあります(たぶん)。
上巻は、主に戦後の生活および文化的な様相が取り上げられていて、風俗(パンパン、RAA)、闇市、カストリ文化などが描写されています。ぼんやりとは知っていると思っていたことですが、あえて目を向けることはしてこなかったんだな、と思います。1945年といえば、自分が生まれた年を起点にすると、現在よりもずっと近い年であったりするのですが。
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ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて』(上巻)
(三浦陽一・高杉忠明訳)(2004)を読む。
1999年に原著が発行され、2001年に邦訳版を出版。
筆者が収集した写真資料を豊富に取り入れた増補版が本書である。
歴史を学んでいるといつも思うことがある。
僕たちが生きている現在は過去とつながっているという事実だ。
当たり前ではないかと思われるかもしれないが、どうだろう。
普段は目の前にあること、いまの暮らしがあることを
当たり前のように受けとめている。
しかし、過去のある時点まで時間を遡ってみると、
まるで異なる未来に進む可能性があった分岐点に行き当たる。
1945年8月の敗戦はそんな分岐点のひとつである。
連合国、とりわけアメリカの日本占領に関する戦略、戦術。
マッカーサー将軍の野心。
天皇制の存続と上からの民主主義。
憲法。参政権。
普段はそうした歴史的事実が
現在の自分の暮らしに直結している実感はない。
しかし、気づかぬからと言って、
あるいは目をつぶっているからと言って、
現在につながる歴史をなかったことにはできない。
時間と人間と社会が織りなす歴史の重みを
ひとたび実感してしまうと、
いまの暮らしが当たり前には思えなくなる。
そして、現在の政治や経済の混乱ぶりにも
原因と結果があることを知る。
ピュリッツァー賞受賞作。
本の目利き151人が選んだ「ゼロ年代(2000-2009)の50冊」
(朝日新聞社企画)にもリストアップされている。
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急変していく社会のなかで、人々は連続性を保ちつつ折衷的に思想や概念を獲得していったように、少なくともこの本からはみえる。その後の発展に大きな影響を与えた一方で、精神的な支柱を模索し、生計を立てる切実な努力と密接に絡んだこうした価値観の転換の過程に、無自覚の変質や破綻が潜んでいるのかもしれない。そうした価値観に根ざす思想の行く末は、主観的、利己主義的に歪曲されたものになるのでは。自国の思想の獲得過程を知ることなしに批判的に考えることはできないと痛切に感じた。
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戦争直後をアメリカ人が書いた。これは写真など増えている増補版。
いろんな人から見た歴史を知りたい。歴史は、視点が違えば、まったく別物になるから。
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今年から設定、8月の自主課題図書。
でも今年から時代は「震災後」で、もう「戦争」や「戦後」は流行らないってさ。
常に時代遅れの女、な私。
それでも、「震災後」を考えるにしても、あの戦争で何が起こって、日本人がどう行動し、何を考え、何を考えなかったか知ることは、大事だと思うんだけど。
この本読んでものすっごいいろんなコトを考えましたが。
正直、まとまり切らんかった。
要継続検討、的な。
引き続き考えるにあたっての、個人的メモ。
・敗戦・占領・上からの革命を「抱きしめる」
・戦争責任
・戦犯裁判
・日本国憲法
・アジアの視点の欠如
・日本人の二面性
知らないこと、忘れてることが多過ぎる。
そんなに昔のことじゃない。
知らないで済むことじゃない。
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歴史認識とはつまり、記憶の集積である。その記憶というのは、実際に体験したことよりも、書物や映像、また教室などで間接的に体験したことの方が、はるかに多い。
本書は私に、新たな、そして画期的な視点を加えてくれた。占領期における民衆の歴史である。大きな流れで歴史を眺めようとすると、政治的なものや個人の出来事を追ってしまうことが多くなってしまう。残される資料も、そのような側からのものが多いため、尚更である。
本書は、そうではない。名もなき民衆が、どのように社会の上層に振り回され、踏みつけられ、それでも尚しなやかに切り抜けていったかが書かれている。対照的に、権力にしがみつこうとする上層階級には、嫌悪感さえ覚える書きっぷりである。
平易な記述でとても読みやすい一作。下巻も読破するつもりである。