投稿元:
レビューを見る
練習の対義語は本番という言葉になると思うけど、僕たちの毎日、おおさげに云うと人生には、練習と本番なんていう区別はないのだと思う。
もちろん大切な一日、重要な決定をする局面というのはあると思うけど、何をしても時計の針は戻らないしセーブポイントからリスタートできるわけもなく、僕たちが常に1回きりの時間を過ごしている訳で、そういう意味では、人生という尺度においては練習や本番なんていう区別はなくて、あるのは常に「今」ということになると思う。
この本を読んで思ったのは、練習とは決して本番のため、何かの目的を達成するための単なるプロセスではなくて、もっと純粋な、生きる姿勢であるべきなのかもしれないということ。そして練習の背景にあるのは目的ではなくて、願いなのかもしれないということ。
何かを成すことや何者かになることだけが人生の意味ではなくて、むしろ生きるということは要約できない「今」の積み重ねでしかない。ただ、だからこそ今をより良くするためには練習が必要で、そしてそのためには、目的ではなくもっと漠然とした願いが必要なのだと思う。柳田國男が名もなき庶民の歴史を見出したように、この小説は名もなき練習に生を見出しているのかとしれないと思った。
投稿元:
レビューを見る
亜美の世界を見つめる眼差しや感覚が羨ましいと思ってしまった。わたしもかつてこうであったはずなのだが いつからこんな捻くれてしまったのだろうか...
キラキラしててわたしには少し眩しかった。が、叔父さんの書く風景はあたたかく寄り添ってくれた。
投稿元:
レビューを見る
COVID-19が流行して休校になった中
旅をする2人のストーリー。
姪と叔父という関係の2人が
自然や歴史、人との出会いを通して
様々なことを感じていくのが好き。
そういえばCOVID-19が流行した時
私はまだ看護学生という立場でした。
実習、国家試験、卒業式、入舎式、研修、、、
様々なことが影響を受けて
中止や延期、オンラインで実施に変わっていった。
COVID-19が第五類感染症に移行しても
医療現場では特に変わらない。
未だに行動も制限されることもあるし
陽性患者の看護をするときの装備が減ることもなければ
陽性患者数が減ることもない。
マスクが絶対ではなくなったからか
COVID-19+インフルエンザのWパンチかなぁ。
誰が悪いとか絶対ないから
看護師としてできることをするしかないですね。
投稿元:
レビューを見る
まず何よりタイトルが良い。作家の叔父とサッカー少女の姪は春休みを利用し徒歩で我孫子から鹿嶋への旅路を行く。道中で出会う女子大生との交流は少女に新たな気付きを齎し、各々は旅路の果てに人生の岐路に佇む。叔父が綴る旅の情景と心情、各地に根付く作家の言葉、地域の復興に貢献した名将の逸話といった要素が物語に彩りを添える多層的な作品だが、二人の旅の軌跡を容易く打ち砕くラスト一頁がこの物語の終着地点として本当に相応しいのか否か私は判断しかねる。完全なる余談だが、私が少年サッカー時代に憧れた選手こそ、ジーコその人なのだ。
投稿元:
レビューを見る
コロナ禍でいろいろなことが自粛されたり、緊急事態宣言も東京で4週間後には出されることになるという世間。
中学校入学を控えたサッカー少女の亜美と小説家の叔父は、鹿島まである目的のために歩いて旅をすることを計画する。
亜美はサッカーボールを蹴りながら、叔父は途中で風景を文章にたしなめながら、それぞれの練習の旅が始まる。
旅の道中で成長していくのがわかるサッカー少女の亜美。
教室の中で学ぶこともあるだろうけれど、ただ、歩いて6日間旅をするだけでも、学ぶことが大いにあるということなんだろうなと思える作品です。
旅とは目的地につくことだけではなく、目的地にたどり着くまでの過程が大事ということがそのままわかるわぁと思います。
また、間にジーコの語録みたいなものも適切に出されるので、ジーコ語録読みたいと興味が湧く作品でもあります。
何をやるにしてもまずは願いから。
願いがなければ夢にもならないし、願いがなければ願いを叶えるために動けない。
確かにそうだよなぁと思えるものがこの旅の中にはいっぱい詰まっているなと思いました。
ただ、私は、本作品に対してラストは安直過ぎやしないか?と思ってます。
おそらく、こういうことを伝えたいのかな?と思うところもあるし、作者の意図もあるのはわかっていても、最後だけは私は合わなかったなという作品になってしまいました。
そういう意味では今の私には合っていない作品なのかな?と思いながらも、こんな旅をしたくなる素敵な6日間だなと思えた作品です。
投稿元:
レビューを見る
ジーコの話に惹かれました。スポーツのなかでもサッカーだけはなぜか疎遠だったけれど、ジーコの本でも読んでみたくなった!
誰もが知る日本の名所ではないけれど、地域の特性がよく描かれていて、情景や動物の観察力に長けている著者さんだなと思いました。そして、ちょこちょこ織り交ぜたコロナネタが、「あぁ、あの時そうだったよなぁ」と思い出させてくれて、この本を読んだ2024年のいま、あーわたし生きてるわーって思えました。
投稿元:
レビューを見る
王道の感動もの。
歩いて鹿島まで行くという、夜のピクニックと似た話ではあるものの中身は完全な別物。
小学生の姪の天真爛漫で子供から色々を学ぶ大人の構図や、鳥にまつわる数々のエピソード。
文章が全体としてまとまってつながりがあり、とても読みやすかった。文量もちょうどいい。
途中からシリアス感もあり、気になって読み進めてしまった。
自分の生きざまを仕事に合わせなければならない、はこの本の主旨として秀逸。
投稿元:
レビューを見る
何がどうなっても構わないような妙な気分で、
自分の気持ちがどちらに転んで行くかもよくわからないまま、
という表現が,何となく心に残り何度も読んだ
ラストにさらりと書かれた衝撃は、消化出来るのかまだ分からない
投稿元:
レビューを見る
亜美が唐突最終ページで交通事故で死んでしまうってどうかと思った。実在のモデルがいるのかな?
「テストは3点、笑顔は満点、ドキドキワクワクは年中無休なの」
投稿元:
レビューを見る
乗代雄介『旅する練習』
2024年 講談社文庫
第34回三島由紀夫賞、第37回坪田譲治文学賞のW受賞作品。
コロナが広がり始めた頃の設定で、小説家の叔父と中学に進学する直前の姪のお話。
姪が以前サッカー合宿の際に宿で借りたままとなっている本を返しに鹿島へ、叔父と二人で歩いて向かいます。
コロナの始まりのころの不安や、まだ理解できないからこそ納得できないことなどを重ねながら人生を見つめるきっかけとなる二人。
でもあくまでも個人的主観ですが、僕には文体、文章がどうも読みにくくて。
文学賞受賞作ではありますが。
生と死、命を実直に描いた素敵な作品なのですが、最後の最後のクライマックスは腑に落ちなかったです。もしかしたらとは思っていたのですが(思わせる著者の構成はすごいとは思いますが)、安直というか。。具体的展開が急で、そのあとの余韻もそがれているというか。
あまりネガティブなことは書かないようにしているのですが、設定は興味深かったのに、ちょっと残念でした。
#乗代雄介
#旅する練習
#講談社文庫
#読了
投稿元:
レビューを見る
リフティングも、柳田國男も、ジーコも、花の名前も、鳥の名前も、つまんなすぎて頭に入って来ない。コンビニのおにぎりをうまくとれない小6なんかいなくね?と苛立った。風景描写も自己満にしか思えなくて。たぶんていうか、ほんとにこの本苦手なんだけど、薄いから読み切れた。
最後の1ページで景色をガラッと変えてくる本。それを素晴らしいと評価する人もいるんだろうけど、俺はシンプルにずるいと思う。
作者はおじいちゃんなのかと思って検索かけたら同年代で驚きました。
投稿元:
レビューを見る
最近お名前を見かける作家さん。
わたしにとっては、本作が最初の作品。
姪の亜美(「あび」と読む)は、サッカー少女。
中学受験が終わって、さあ、サッカーだと思ったタイミングで緊急事態宣言が発出され、チームが集まっての練習さえできなくなる。
落胆する亜美を見かねて、叔父で小説家でもある語り手が、鹿島まで練習を兼ねて歩いて旅することを提案する。
以前鹿島の合宿所から亜美が無断で持ち出してしまった本を返す名目で。
条件は、語り手が旅の中で人気のない風景を描写する間、邪魔をしないで待つこと。
こうして二人の「練習の旅」が始まっていく。
途中で同じように鹿島に歩いて旅をしている大学生のみどりさんと出会い、3人の旅になる。
まず、亜美ののびやかさがいい。
彼女は率直で、子どもらしい子どもだ。
最初は自分の能力でサッカーの道に進めるのか、子どもながらに迷っている。
旅をする中で、体力もつき、リフティングの記録も伸びていく中で、彼女は自分の夢を確かなものにしていく。
みどりさんは、自分より人を優先するような人だが、自分に自信が持てないでいる。
サッカーそのものには興味がなかったのに、ジーコがごみを自ら片付けていた姿に惹かれ、アントラーズのファンになったという人物だ。
旅の途中で、緊急時代宣言の影響か、内定していた企業から辞退するよう申し伝えられる。
この人も、人生の岐路で悩んでいるのだが、ジーコの足跡が残る鹿島に亜美たちとたどり着き、自分の人生を選び取ることができるようになる。
成長する人を見るのは、いつだって気持ちがいい。
それから、もう一つは語り手が書き留めている「風景」がすばらしい。
「練習の旅」の記憶をたどりながら、その時々に描写した「人気のない風景」がさしはさまれていく構成になっているのだ。
水辺で魚を捕る水鳥の動き、早春の草木、雨露、川の流れ、日差し。
自分には未知の場所である利根川の水辺の、静謐な風景が浸み込んでくる。
近代文学でおなじみの「写生」が、こんな形で現代にも受け継がれているんだ、と新鮮な驚きがあった。