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私が常には「奢られる側」でいたくなかったのは、「守られるべき対象」として見られることに対して、強烈な違和感があったからかなと思いました。主体性を返してくれよ、みたいな。
そして、常に「奢る側」として見られる人たちも、それはそれで、主体性が奪われているような…。
社会規範でもって、相手が喜びそうなことを推し量るって、本当に良くないなぁと感じます。それが、する側の勘違いやエゴであっても、された側は喜んでいるふりをしなきゃいけない気がしちゃうもの…。
人間関係において、「対等」とか「尊重」って、互いに簡単にはできない場合の方が多いのかもしれないですね。目指したいところですが。
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7人の哲学者が語る恋愛論は多角的で興味深い。
まるで学問のよう。
正解が無いからこそ、どの人の考えも受け入れられる。
それぞれ異なる部分はあるけれど、“恋愛とは何か”という問いが最終的に“人間とは何か”という問いに行き着くのは同じか。
幻想を抱きがちな恋愛も、あくまで『社会に組み込まれたシステムの1つ』と思っておくぐらいが今の自分にはちょうど良いのかもしれないな。
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恋愛・結婚と聞いて思い浮かぶのは、白馬の王子とお姫様の物語のように見目麗しくエレガントな異性とドキドキするような恋愛をして結婚するという、いわゆるロマンティックラブ。
しかしながら現実世界ではむしろそのような「完璧」な人はごく少数で(見目麗しき人も人格まで優れている事は多くない)、ロマティックラブが出来ない人も多い。
また恋愛初期にはロマンティックラブでうまくいってもすぐに別れるような事はいくらでもある。
と、現実基準で恋愛を考えるとロマンティックラブだけを切り口に語る事は限界がある。では他にどんな見方があるだろうか?
恋愛を欲求による熱情と捉えるのでなく、人と人との関りであると捉えなおして、過去の偉大な哲学者に聞いてみた。
というお話。
思ったより様々な視点が平易な言葉で語られ、わかりやすく面白かった。
登場した哲学者
・プラトン
決して相手を道具扱いせず、互いを大切なパートナーとして尊重する
・デカルト
恋人を第二の自己として理解する
・ヘーゲル
相互承認の帰結として愛を捉えた
・キルケゴール
愛は選択の連続である
・サルトル
愛は必ず挫折する
・ボーヴォワール
女性は客体である
・レヴィナス
理解しつくせない他者を求めることが愛である
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恋愛を考えることは人について考えることと同義。有名な哲学者らが恋愛をどう捉えていたのか、具体的でとても面白かった。
恋愛から結婚し子供を育てて幸せな家庭を育むという現代のイメージはロマンティックラブ。古代から語られた恋愛はロマンティックラブだけでなくいろんな形があったとのことで、7種類の恋愛のあり方が紹介されている。
1番印象的だったのは、ヘーゲルの「なぜ人は愛されたいのか」の章で、互いの自己意識が衝突し承認を巡る戦いが勃発した時、一方が自身のアイデンティティを失うことを恐れて敗北を認めてやっと戦いが終わるというところ。「恋人を失いたくないから負けてあげる」という感情をどちらかが持てば、主従関係つまり負けた側が尻に敷かれる形で恋愛関係が存続していく。歪だが、こういうカップルが世の中には多いし、俗に美女と野獣と言われるカップルは大体このパターンなんだろうな、と。
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愛について考えたいのに普通に哲学者多すぎて何から読めばいいかわからない!ときに出会いました。助かるー
めちゃくちゃ最近の本なので(2024年)、古い本特有の読みにくさもないし、例も容易く頭に入る。
解説している哲学者の引用文(翻訳文)は全然理解できないんだけど、そのあとちゃんとわかりやすく言い直してくれるので有難きことこの上なし
前にフロムの「愛するということ」を読んで自省したりしてたけど、なんかこれは哲学者を比較するという点で、本から自分へダイレクトに矢が刺さってギク!痛い!みたいなことがなかった。愛は一体化するものだし相互的なものだと思っていたのに、レヴィナスは反対だったのでレヴィナスの入門書でも読もうかなと思います。
恋愛を炎に例え、その炎を操る術が哲学だというのも素敵です。炎使いになりたい
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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1787310444690166109?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw