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日本人男性と結婚した、統合失調症の中国人女性が起こした園児殺害事件のルポ。
統合失調症は、100人に1人の割合で発症するといわれている非常に一般的な精神疾患の一つである。
にもかかわらず、統合失調症に対する世間の偏見や差別は根強く、家族に病歴者がいるとそれは隠されがちであり、社会の正しい理解もサポート体制もほとんど整っていないというのが実情だ。
いま日本で統合失調症に罹患している人物が犯罪を犯した場合、責任能力が問題になり、犯行が明らかであったとしても、場合によっては無罪になることもある。
どの程度の刑を科すことができるのか、被害者家族の心情を考えた時、刑が軽減されることは果たして許されるのか、決して簡単な問題ではない。
たとえ精神疾患があろうと罪の償いはするべきだ。
但し、それにはその疾患をしっかり治療し、自分の犯した罪の重さに正面から向き合って心から被害者とその家族への償いの気持ちをもってこそ、初めて意味があるものになると思うのだ。
その仕組みが今の日本にはない。
この中国人女性は、犯した罪を理解することもできないまま、治療も受けられず支えてくれる家族も仕組みもないまま、刑に服している。
これが償いだと言えるのだろうか。
もし、犯した罪に死刑が妥当だったとしても、加害者が自分の罪を正しく理解し心からの償いの気持ちをもったうえでなければ、本当の意味での償いにはならないのではないかと思うのである。
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≪県立図書館≫
一概に言えない。
当然、被害者の痛みや悲しみは想像を絶する。
でも、それだけではない哀しみを、痛烈に感じる。
人間は、愚かで悲しい。
本当に、みんな、愚かだ。
なんの救いもない。
誰も助けてはくれないし、誰にも助けられない。
簡単に決めつけられることなんて、ないのだろう。
簡単に決めつけて、分かったつもりになりがちな自分を戒めていきたい、と改めて思った。
見えているものよりも、見えないもの、語られないもののほうが、はるかに多いのだろう。
人間は、愚かで悲しくて、切ない。
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滋賀・長浜で起きた幼児殺害事件の犯人である鄭永善。彼女は統合失調症を患い、いわば"二つの"顔を持つ。そんな"もう一人"の彼女が犯した、罪のない二人の幼児を殺害するというこのどうしようもなく重い罪、そしてそれによってもたらされた悲劇を、それを取り巻く人々、そして何より鄭永善と彼女の病を描くことであぶり出していく。
中村うさぎの書評を読んだことがきっかけで手にした本。統合失調症とはどんな病気か、薬で症状をどの程度抑えられるのか、そういった記述はこの本では特になく、鄭のありのままの姿が淡々と記される。病が進行した彼女は、もはや"元の"自分をほぼ完全に失ってしまったかのよう。もう一つの世界を生きる彼女に現実世界の罪と向き合わせるというこの矛盾、遺族のやり切れない思いはどこにどうやってぶつけたらいいのだろうか。法はなんの解決にもならない、それでも法はなんらかの判断を下し、裁かなければならないのだ。
罪を犯した時点で既に永遠に癒されることのない悲しみが、彼女の病によって増幅される。出口のない迷路のようなこの悲劇、そのありのままの姿をこの本は描き出している。
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2日間で読了。
かなりやるせない読後感。
「触法精神障害者」の狂気。恐ろしい。
裁判の様子や面会や手紙で接する加害者の病状が生々しく伝わった。
姉の音善さんの苦労が心に沁みる。
焦点の定まらない目のまま、刑務所にいるなんて!治療しないのだろうか?
表紙の写真が怖い!図書館で借りてよかった。
※本棚からこの表紙だけ消したい。