投稿元:
レビューを見る
はじめに
- 対話の目的: 意識の究極的な問いを掘り下げ、哲学と神経科学の視点から議論を展開。
- 滋識研究会: 2023年に設立された団体で、意識に関する文化的議論を促進するために活動。
---
第一章: 意識という「究極の問い」
- 意識の定義: 意識とは何かを探求することが本書の主題。
- 対話の形式: お互いの考えに対して賛同し、時には反論しながら進行。
- 創造性と知性: 人間は新たな創造を続け、それが生命らしい活動であると主張。
- 議論の重要性: 意識についての議論は実利的な関心を超えた自由な探求である。
---
第二章: 知識の科学と哲学の意識
- 自然則の導入: 脳の活動に関する自然則を提唱し、意識の科学におけるハードプロブレムを解消する試み。
- マインドアップローディング: 意識を機械に移行する方法を解説し、脳のデジタル化を目指す。
---
第三章: マインドアップローディングの方法
- デジタル化の段階:
- 第一段階: 生身の身体を介して脳に情報を送る。
- 第二段階: 身体そのものをデジタル化し、機械と直接つなぐ。
- 第三段階: 脳のデジタル化と意識の移行に成功するイメージを形成。
- シミュレーション技術: バーチャルリアリティ(VR)技術との関連性を示し、デジタル環境での生き方を考察。
---
第四章: 意識の哲学的ゾンビ
- 哲学的ゾンビの概念: 意識を持たないが、行動は通常の人間と同じである存在を想定。
- 機能主義の立場: 意識はその機能そのものであり、機能が同じであれば意識も同じであるとする。
- 自然則の成立: 自然則が成立する宇宙では、意識は必然的に生じると考えられる。
---
第五章: アップロード後の社会
- 人格の同一性: アップロードによって身体が変わる場合でも、記憶がつながっていれば同一人物とみなされるかの議論。
- 社会的影響: アップロード技術の社会的な受け入れや影響についての考察。
---
結論
- 意識の探求の重要性: 意識の科学と哲学の交差点での議論が、新たな理解を生む可能性がある。
- 未来への期待: マインドアップローディング技術が進むことで、意識に関する新たな可能性が広がることへの期待。
投稿元:
レビューを見る
マインドアップローディングという考えと「意識」の取り扱い方について
人の脳を機械の脳に置き換え、それが「自分自身」だと認識された状態。それがマインドアップローディングの考え方。そこでなされることはなにか、についての言及はあまりなく実現可能性のみを説明している。
正直あまり理解せずに読み進めたので、内容に関してはあまり触れない。
投稿元:
レビューを見る
メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1906622356426240321?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
投稿元:
レビューを見る
2025-04-01
対談本とは思わなかった。
なんか、期せずして連続して「心」とか「意識」に関わる本を連続して読んだ訳だが、いやあ、答えの出ない問いは面白いねえ。
投稿元:
レビューを見る
脳、意識に関する議論は物理学で解析できるものではなく、とても難しい。多くの思考実験を用いる分野で、わかったようなわからないような気にさせる分野だ。
したがって素人には理解が難しい。
それなのに本書は専門家どうしの対談であり、当該分野に詳しい人どうしの会話である。読み手のことはほとんど考慮されていない。
三分の一で本を閉じた。
投稿元:
レビューを見る
好みが分かれる内容。たまたまテッドチャンの息吹を読んだ頃に読み始めたこともあって、個人的には興味深く読めた。SF的な読み方の筋肉がついてるかどうかな気がする。
哲学者VS無邪気な自然科学者という構図の読み方としても面白かった。
投稿元:
レビューを見る
対談本であるおかげで、話題があちこちに飛びつつ晦渋になりがちな部分もとっつきやすくはある。マインドアップロードの具体像なども述べられていて、それに対する哲学的な認識論・人間論のようなものも関心分野であるために対談の流れに乗って楽しめた。
投稿元:
レビューを見る
「肉体的な死」の後に、デジタル空間で「今までと変わらない生活が過ごせる」ことを目指す「マインドアップローディング」という技術を巡り、「哲学者」と「科学者」がそれぞれの立場から語り合う対談本。
哲学的立場、科学的立場から「意識とは何か」「自己同一性とは何か」「デジタル世界における“ウェルビーイング”」といった様々な「“生きる”とは」という問題提起について語られる本書では、なによりも単純に「昨今の恐るべき技術進歩のスピード」に驚いた。
「意識、無意識を含む脳の情報処理の全てを機械に移すことで、その機械に意識が宿り、今生きている世界と同じような形で、デジタル空間で生きていける」という「マインドアップローディング技術」について、その研究を進める渡辺氏が「意識の湧いた機械を作って、視覚的意識を確かめるところまでなら、あと十年くらいでできるのではないか」と話していて、その真偽はともかく、それが荒唐無稽とは言えないレベルまで現代の科学技術が進んでいることにほとんど驚嘆してしまった。
その前提の上で、「そこまでして生き続けたいのか」という、科学領域からはみ出した「生き方」の問題にアプローチし、それぞれが認め合うところ、立場が異なる点などについて深掘りしていく対談となっており、非常に興味深かった。