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テクニカル分析の迷信 ──行動ファイナンスと統計学を活用した科学的アプローチ
科学的なテクニカル分析こそが未来を保証する
ひとつのリサーチ手法として、テクニカル分析には重大な欠陥がある。それは、規律のない手法であることに原因がある。テクニカル分析をトレーディングに使える有用な知識体系として確立させるためには、厳密な観察科学に進化させる必要がある。この20年にわたって、学術雑誌などに科学的厳密さと客観的率直さを兼ね備えたテクニカル分析手法に関する数々の論文が発表されてきた。本書はこれらの論文の流れをくむものである。本書は2部からなる。第1部では、科学的なテクニカル分析を学ぶうえでの基礎となる方法論、心理学、哲学、統計学について解説し、第2部では、このアプローチを実際に使って、S&P500に対する6402個の買い・売りバイナリールールを25年にわたるヒストリカルデータで検証する。
本書では、科学的手法と近年になって開発された統計的検定を、テクニカルトレーディングシグナルの真の有効性を調べることに適用する方法についても紹介する。伝統的なテクニカル分析とは違って、過去の収益性を定量化・検証できる客観的ルールにのみ限定するこの新しいタイプのテクニカル分析を、その道のプロであるデビッ ド・アロンソンが詳しく解説する。
この新しい手法は特にデータマイニングによって発見されたルールやシグナルのパフォーマンス評価に焦点を当てたものである。優れた洞察力と実践上のアドバイス満載の本書を通じて、読者はこの新しい手法の全貌を理解することができるはずだ。本書の実験結果は、データマイニング(多くのルールをバックテストしてそのなかからパフォーマンスが最高のルールを選び出すプロセス)が価値のあるルールやシグナルの発見に役立つ効果的な手順であることを示しているが、データマイニングによって発見されたルールやシグナルの過去のパフォーマンスは上方にかたよるという特徴を 持つため、将来の収益性について妥当な推論を導き出すためには新しい統計的検定が必要になる。本書ではそういった統計的検定のなかから2つを紹介する。そのうちのひとつは本書ではじめて公表されるものである。
テクニカル分析を使って今日の市場をしっかり見極めたいと思うのならば、まずは これまでテクニカル分析の世界を支配してきた主観的で自己解釈的な伝統的手法を捨て、科学的および統計学的に有効なアプローチを受け入れることである。客観的観察 と統計的推論に基づく科学的なテクニカル分析はあなたのトレーディングを成功へと導く新しいテクニカル分析手法である。
テクニカル分析の迷信 ──行動ファイナンスと統計学を活用した科学的アプローチ
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テクニカル分析の迷信 行動ファイナンスと統計学を活用した科学的アプローチ
2009/11/02 00:14
データマイ二ング
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ヂャリや - この投稿者のレビュー一覧を見る
「砂粒に刺激されたカキが真珠を生むこともある」
主観的テクニカル分析は「間違いであるよりも悪い無意味なもの」として著者は、チャートパターン分析、トレンドライン、そしてエリオットの波動理論を例としてあげている。
けっして挑発しているのではなく、物語(迷信)だと一蹴しているだけである。
その主たる原因であるバイアスについて多くのページを割いているのは、真の知識の増大にエネルギーを注いでもらいたいとする著者の情熱さえ感じられる。
本書によって様々な摩擦が起きても、科学的なテクニカル分析を生むためなら、むしろ歓迎する気持ちを読み取ることができる。
「真の知識と間違った知識を識別する方法」
科学的分析を進めるための、多種多様なファクタをわかりやすく説明しているのも非常に興味深い。
検証や論理の構築方、その真偽の決定方法など、検証者の心理面にまで及んで解説されていて、とても勉強になった。
ところで、テクニカル分析は、本書監修者の言葉にあるとおり、未来を予想するものではない。
今まで(過去)を分析するものであるからして、それは物語でしかない。真実か否かは学者でない者にとっても、たしかに気になるところであるが、トレーディングには関係ない。
本書によく出てくる「天動説、地動説」の例でいえば、どちらであっても、朝、太陽が昇り、夜沈む、という事実に変わりはない。
この事実に対応するのがトレーディングであって、なぜ太陽が昇るのか、はたして明日は昇るのか、は物語として楽しむ程度のことである。
それにもかかわらず、予想としてのテクニカル分析と認識してしまう人間の錯覚、特に「心の錯覚」についても言及しているあたりに感動すら覚えた。
「人は見たいものしか見えない」
だから錯覚と理解した後も、なんと、信じ続けてしまうことがある。
それは数々の情報やデータ及び事実の中から、マイフェイバリッットをチョイスするからだそうだ。本書によると論理を構築するエビデンスにもその傾向があり、日常生活においても同様であると著者はいう。ただし、それが人間の進化の過程で生じたものだとするところまで議論が及んでは、検証のしようがない。
人はみな、データマイナーなのだなーと妙に納得してしまった。
有名な論法の応用系として紹介されているものも、著者のデータマイニングなのかも知れない。
それは三段で構成されるものではあるが、少し変形してある。(いや人生を変えるほどの違いが、人によっては、あるのかもしれない)
1、すべてのAはBである。
2、一方、CもBである。
3、従って、CはAである。
この三段論法の真偽を知っただけでも、本書の価値は大きかった。