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梨本宮伊都子妃の日記 皇族妃の見た明治・大正・昭和(小学館文庫)
著者 著:小田部雄次
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侯爵鍋島家に生を受け、皇族梨本宮家に嫁ぎ、そして太平洋戦争後は平民となった伊都子妃。明治・大正・昭和の各時代を、77年間にわたって綴った日記が、その波瀾の生涯を紡ぎ出す。近代日本の歩みを読み解く道標となる本、待望の電子化。
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梨本宮伊都子妃の日記 皇族妃の見た明治・大正・昭和(小学館文庫)
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梨本宮伊都子妃の日記 皇族妃の見た明治・大正・昭和
2023/12/31 23:16
自分や恩師の本以外も追加した方が
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
親本を加筆修正したとの事だが単行本の初刷と読み比べると例えば李鍵公家の公子女の誤記を訂正したといったところぐらいしか気がつかなかった。「はじめに」の「なかでも梨本宮家は、伊都子の長女方子が朝鮮王族妃となるなど、日本の朝鮮支配に深く関与してきた」とあるが守正王が朝鮮総督か朝鮮軍司令官にでも就任していたなら「日本の朝鮮支配に深く関与してきた」と言えるだろうが言葉足らずというか。
参考文献目録で追記しているのは著者自身の著書と恩師の粟屋健太郎の著書くらいか?権藤四郎介の本の表題は「李王宮秘史」。単行本同様、誤記されたままの「李王家秘史」では張赫宙の「李王家悲史 秘苑の花」みたい。「秘苑の花」を読んでいないにしても「英親王李垠伝」には紹介されているので、ここで引きずられたのだろうか?
「三代の天皇と私」は浅見雅男の「伏見宮」にあるように「ただし、財産総額、一時金、財産税の額はすべて一桁多く誤記されている」本だ。この本の125ページで使われている写真が昭和50年版の表紙に使っているが佩用しているのは勲二等宝冠章であり、訪欧時点ではまだ勲一等を賜っていないのに勲一等と誤記しているように記憶違いに由来しているらしい個所がある。そして一番引っかかるのは張赫宙の「秘苑の花」と読み比べれば分かるように下敷きにしたとおぼしき個所が多々ある点。元々伊都子妃が「秘苑の花」を持っていたのか、「秘苑の花」の版元の世界社は講談社の編集者が戦後(おそらく「戦犯出版社」として追及された時に備えて?)暖簾分けした会社だったので講談社の資料室が持っていたのか、それとも講談社は張赫宙(野口赫宙)と昵懇にしていた編集者がいて同じ昭和50年に彼の自伝的小説「嵐の詩」を刊行したので編集者を通じて張赫宙から「秘苑の花」を借りて参照にしたのか。「秘苑の花」を読んでいる人が少ないので気がつく人もいないのだろうか。
規子女王と山階宮武彦王との婚約と破談についての記述が軽すぎる。「三代の天皇と私」は武彦王に「二度目で二人のお子さんもあることゆえ」とあるが初めての子を懐妊中だった佐紀子女王が関東大震災で薨去したのが運命を変えたのに変な事を書いている。佐紀子女王は賀陽宮家の出なので規子女王とはまたいとこの間柄だ。「山階宮三代」も皇族の成婚なのて勅許が下った割に不思議な記述なのでよく分からない。もっとも「卜部日記」は「雲の上、下思い出話」に華中で再会した従兄弟の音羽正彦侯爵とどんちゃん騒ぎしたとおぼしき事を書いている竹田宮恒徳王と並んで山階宮が「グレた」と昭和天皇から見られていた記述があるので隠し子がいたのかもしれないが、その事を理由にしないはずだ。