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54件
博士の愛した数式
著者 小川洋子
[ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた──記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。寺尾聰主演の映画原作。
博士の愛した数式
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博士の愛した数式
2008/11/28 18:35
ある機能が失われてもなお残っているその人らしさ
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
私がこの本を読んだのは、読書メモによると2006年2月です。
私はこの時期、『博士の愛した数式』を文庫本で読んで、
『私の頭の中の消しゴム』をケータイでダウンロードして読んでいます。
『博士の愛した数式』は、その後映画も観に行き、
たいていは原作を生かしきれない映画化が多い中、
これは心底よいと思った1本だったと記憶しています。
さて、同じ時期に似たテーマを持つ2冊を読んだのですが、
悲しさ、せつなさは、圧倒的に「消しゴム」の方でした。
まだ私より若いのに、若年性の認知症で記憶が
ほとんどすべて失われてしまうヒロインの姿。
この作品は日記として書かれているため、
最初から予兆があることに読者が先に気づいてしまうのです。
そして、最後にヒロインが取った選択・・・。
読後もしばらく考えさせられました。
一方、「数式」は、交通事故による高次脳機能障害のため
新しいことは80分しか記憶していられない「博士」との日々を
その家政婦の女性の視点で描いています。
80分しか記憶できないのは深刻なことですし、
昔のままで時間が止ってしまっていることは当人にとっても
家族にとってもつらいことです。
だけど、そのつらさ、せつなさよりも、
どこかほのぼのとしたユーモラスさが感じられるのです。
どちらも、描かれているのは、
「ある機能が失われてもなお残っているその人らしさ」なのだと
思いました。
そのその人らしさが、「消しゴム」では、
「ヒロインの重大な決断」に結びつき、
「数式」では、「博士の人柄の描写」へと結びついたのです。
深刻なテーマを描きながら、
「数式」がなぜこんなにほのぼのしているのか?
そのときの私は気づいていませんでした。
そして、この本の感想はメモのまま、
投稿されないまま、私の手元に残っていました。
***
ここからは少し私事になります。
また、本の内容に戻りますので、少しだけお付き合いください。
**
この本を読んでいた頃、私はまだ彼とは出会っていませんでした。
彼と会ったのは、この半年後だったのです。
出会った時の彼は、すでにもう、うつ病で不眠症でした。
出会った当初は、恋人らしい時間も過ごしたのですが、
彼の病は次第に悪化して行き、
私は彼から何かが零れていくのを
ただただ見守ることしかできませんでした。
うつや薬の副作用は、彼から知性、体力、社会生活、
生き物としての基本的な生命維持の気力さえも、
どんどんどんどん奪っていきました。
命の玉がどんどん零れ落ちていくのを
なすすべもなく見ているしかできませんでした。
彼からいろいろなものが薄皮のように剥がされていきました。
本来は、時間をかけて失っていくものたちを彼は30代で
一気に脱ぎ捨てていかなければなりませんでした。
彼がどんどん衰えていってしまっていることは悲しかったのですが、
さすがの病気も彼の本質は奪えませんでした。
彼の優しさ、思いやりの心はずっとそのままでした。
彼は、彼の本質を残したまま、子供に還って、旅立ちました。
***
私は、人は年を重ねても、病に倒れても、死の床に瀕していても、
失われない本質を持っているのだと、自分の経験として理解しました。
そして、よく「ありのままを受け入れる」といいますが、
そのときの「そのまま」、「ありのまま」というのは、
「オンステージではないバックヤードの自分」だけではなくて、
「その人の核となる本質」をも含むのではないかと思うに至りました。
それは、「最期まで残る自分」になります。
もし、私がもう一度人を愛するのならば、その人の表層だけではなく、
その核をきちんと見られる人でありたいと思います。
そして、その本質をそのままさらりと受け入れてしまえばきっと、
博士と家政婦とルートが紡いでいたような、
温かい時間がそこに流れるのではないでしょうか。
「ある機能が失われてもなお残っているその人らしさ」について
考えたとき、読書メモは、2年半ぶりにこうやって命を持ったのでした。
博士の愛した数式
2008/11/20 22:16
現実は意外に、博士タイプの人は多いのです。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
博士の愛した数式 小川洋子 新潮文庫
そこはかとなく「今、会いにきます」市川拓司著小学館に雰囲気が似ている。このお話の場合も登場人物が少ない。家政婦とその息子ルート君、交通事故のために1975年で記憶力が止まった大学教授とその亡き兄の老妻。家政婦と大学教授を軸に数式、プロ野球阪神タイガース、そして江夏投手をからめながら静かに進んでいく。なんでもなかったことが、あとから幸せだったと思う。そんな、昔、流(はや)った歌の文節を思い出す。数式の説明はわかるときもあるし、わからないときもある。博士のこどもへの思いやりが好き。家政婦の思いやりとルート君のやんちゃなところが好き。記憶が80分しかもたないやさしい博士が魅力的です。わたしは、はたとひらめいた。人は誰しも年をとれば記憶力が低下してくる。人の名前、それからお店の名前を覚えることができなくなる。記憶時間80分間。その記憶時間はなにも博士だけに限った異例なものではない。
博士の愛した数式
2006/02/10 17:08
静謐な愛情
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉野桃花 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつも最初に簡単な物語の設定やあらすじを書くことにしていますが、すでに多くの方が書かれているのでここでは省きます。
「数学雑誌の懸賞問題が解け、レポート用紙に清書し、郵送する前にもう一度見直しているような時、博士はしばしば、自分の導き出した回答に満足しつつ、
「ああ、静かだ」
とつぶやいた。」
この物語を読んでいると、まぶしいほど明るくもなく恐ろしいほど暗くもなく、騒がしくもなければ寂しいまでの沈黙もない、そんな静かなところに連れて行かれます。
ほんの少し、人の立場や気持ちを慮ることで、私たちはこんなに静謐な関係を人と結ぶことができるんだ。
この物語の登場人物は皆、何かしら、いわゆる世間一般の平均像からずれています。
博士の《僕の記憶は80分しか持たない》は大きなずれですが、家政婦である私も母一人(文字通り他に人手のない一人)で子供を育てているし、私の雇い主である博士の義妹も心に博士に対する複雑な思いがある。
その点を「変わってるわねえ」「大変ねえ」と解釈してしまったら、たちまち泥沼の愛憎劇になってしまいますが、皆さんごく普通に「そういうことか」と事実のみを受け入れています。そして気の毒がるでもなく、やってあげなきゃでもなく、今自分にできることをさらっとやるのです。
単にいい人ばかりでは嘘くさくなりますが、博士の苦悩も、私の離婚の痛みも、義妹の思いもきちんと書かれています。ちょっとした揉め事も起こります。
それでも、この静かさ。やはりそこには数学をモチーフに使っていることが大きいと思います。
私は文系なので、数学といっても文系数学しかやっていませんが、計算用紙として使っていたB4の藁半紙に数式を書いていくのは快感でした。本当に何かに導かれるように流れていく、ぴたっと解が決まる。それは私にとって静かな数学との時間だったに違いない。その感覚を思い出すのです。
途中で間違ってしまうと容赦なくダメ出しされます。先が続かなくなる。覚え違いとか、しまった!というミスは起こりにくく、数学は間違いをわからせてくれるとところも好きでした。解を差し出す前に正解でないものは突っぱねられる。最後までたどり着いたら、ほとんどの確率でそれは正解なのです。
博士も私も義妹もルートも、ミスの程度はそれぞれですがミスを犯します。しかし素早く”もう一度見直し”軌道修正するのです。そこが博士が教えてくれるさまざまな数の不思議、数学の考え方とリンクして、突拍子もないリアルさを生み出します。博士のそばに居たら、そうするに決まっている!とさえ思う。
最後に話がちょっとずれますが、江夏の背番号28がぞっとするほどこの物語を引き締めています。(これは小川さんご自身も、作品を完成させる最後の鍵、と語られたそうです)
江夏でなければこれほどの凄みもリアルもなかったと思います。彼がこの番号を背負っていた偶然に驚きました。
これから幾度となく読み返す本になりそうです。