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8件
東電OL殺人事件
著者 佐野真一 (著)
彼女は私に会釈して、「セックスしませんか。一回五千円です」といってきました――。古ぼけたアパートの一室で絞殺された娼婦、その昼の顔はエリートOLだった。なぜ彼女は夜の街に立ったのか、逮捕されたネパール人は果たして真犯人なのか、そして事件が炙り出した人間存在の底無き闇とは……。衝撃の事件発生から劇的な無罪判決までを追った、事件ノンフィクションの金字塔。
東電OL殺人事件
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東電OL殺人事件
2005/07/09 22:21
いっそ全員匿名で書けばよかったのに。
16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
渋谷で起きた殺人事件の被害者は想像を越えた人物だったことから、この事件は世間の耳目を集めることになった。
ネパール人の容疑者が本当に殺したのか、殺していないのか、警察の証拠固めは正しかったのかという雑音の中で、被害者の過去が暴かれていく。著者にとっては特異な被害者と思うかもしれないが、結構、被害者のような人物は横行している。
読み始めは容疑者の無実を信じて著者の正義を信じていたが、検察官、警察官、裁判官の氏名は伏せられるか、偽名に近いカタカナで表記されても、被害者は実名で自宅の所在地までが明かされていることに、読んでいる途中から嫌悪感を覚えていった。
上場企業のエリート社員である被害者の生い立ちや性格を心理学者まで駆使して読者に訴えるのなら、居眠りをしていた裁判官、検察官、容疑者や参考人に暴力をふるった警察官の素性を追わなければ、被害者のプライバシーに比べて不公平というものだろう。
また、確実な証拠も存在していないにも関わらず容疑者を逮捕した警察の背後に蠢く権力を暴かなければ、本書は単なるテレビのワイドショーでしかない。著者はそれを随所に感じていたはずなのに、それを放棄するとは。ジャーナリストと自称するにはあまりにもお粗末ではないだろうか。
「私はそこに被害者の影を見た」などという表現がいくつも目についたが、こういった感傷的な感情表現も本書を陳腐な内容にしている。いくら週刊誌への連載とはいえ、本にまとめるにあたっては整理すべきものではなかったかと思う。
いっそ、全員匿名で書いたほうがすっきりするのにと、いかんともしがたい不満が残った。
東電OL殺人事件
2006/01/15 21:15
推定無罪=無実?
15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み物としては面白いが、これがノンフィクションとは認めがたい。あまりにも文学的表現や叙情的な表現が多く、偶然の一致と作者の心象を結びつけて表現することで、読者の心証を誘導しているからだ。
確かにこれだけの証拠では、「疑わしきは罰せず」の原則から、容疑者は無罪判決を受けるのが妥当だろう。警察側が、予断を持って、恥ずべき強引な捜査を行ったこと、容疑者を犯人だと論証し切れていないことは確かである。しかし、作者は作者で彼が犯人ではないという予断を持って行動しており、犯人でないことの論証もできているとは言いがたい。無罪であることと犯人でないことは違う。限りなく黒でも、灰色では有罪としないのが原則である。冤罪をなくすためである。冤罪かどうかは、この本を読む限りでは、私には分からなかった。
作者は、外国人に対する偏見やジャーナリズムの責任問題も取り上げているはずなのに、第2部『ネパール横断』では、「他人の迷惑をまったく顧みない」インド人と「おとなしい子羊のような」ネパール人というようなステレオタイプ的な描き方をしている。そして、この章ではやたらと「美人」という表現が目につく。これもまた偏見ではないのか。さらに、ネパールで行われた彼のインタビューは、みな誘導尋問的で、あまり警察のことを非難できない。偏らない取材で、淡々と事実を詳述したほうが、原稿の枚数は減っただろうが、迫力が出て読みごたえもあっただろう。
作者は、最大の目的であった被害者の内面の謎を解くことにも失敗している。この本で唯一眼を開かされた部分は、第7章『対話』で、斎藤学が言った「彼女のみならず、現代人はみな多重人格化しています。学校、家庭、会社など、その場その場での役割を演じきることに重点を置いています。コンパートメント・メンタリティ、つまり列車のコンパートメントのような、別々の部分自己を演じながら生きているわけです。従って、かつてE.H.エリクソンがいった『自己同一性』など必要とされず、いまの世の中ではむしろ、そんなものを獲得したら生きにくいとさえいえます。」であった。斎藤学の『家族依存症』(新潮社)を読もうと思った。
東電OL殺人事件
2008/05/06 01:44
社会の構造と人間の堕落を描く
15人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
東電のエリートOLが売春の末に殺された1997年の猟奇的事件を徹底的に取材し、亡くなったOLの生き様を祖父母の世代にわたって浮き彫りにしている。ときに想像力がふくらみすぎて思いこみ過多の文章もないではないが、その取材量の膨大さに圧倒される。
被害者の父は、東大を出て東電にはいったエリートであり、母も大金持ちの家の出身で東京女子大を卒業した。父親は順調に出世するが役員の直前で病死する。被害者が大学生の時だった。
溺愛してくれた父の死をきかっけけに拒食症になり、父と同じ東電にはいり、エリートをめざすが30歳代半ばで出世の壁にぶちあたる。それが売春をはじめるきっかけとなったと著者は想定する。
この仮説を論証するため、父母の家を3代前までさかのぼって調べ、生家や墓を訪れ、被害者が生まれてから死にいたるまで居住したすべての場所を歩き、東電の同僚や大学の同級生にもインタビューした。ネパール人容疑者の故郷まで足をはこんだ。
容疑者とされたネパール人が犯行当日にたどったとされる、幕張の勤務先のインド料理店から犯行現場までのルートをたどってみると、犯行時間までに到着するのはかなり無理があることがわかったという。
大きく堕落してしまった被害者の女性。その周囲には、世間的には「男女平等」を唱えながら昇進差別をやめようとしない東電があり、きびしい異国の生活のなかで性欲を満たすため小遣いをはたいて買春する容疑者がおり、人種的な偏見から無理な冤罪をひきおこす警察や検察の堕落があった。いわば、被害者女性の劇的と言えるほどの大堕落によって、日本社会の構造的堕落、周囲の人間の倫理的な小堕落などが浮き彫りにされることになったという。