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  3. ナンダさんのレビュー一覧

ナンダさんのレビュー一覧

投稿者:ナンダ

59 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本東電OL殺人事件

2008/05/06 01:44

社会の構造と人間の堕落を描く

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東電のエリートOLが売春の末に殺された1997年の猟奇的事件を徹底的に取材し、亡くなったOLの生き様を祖父母の世代にわたって浮き彫りにしている。ときに想像力がふくらみすぎて思いこみ過多の文章もないではないが、その取材量の膨大さに圧倒される。
 被害者の父は、東大を出て東電にはいったエリートであり、母も大金持ちの家の出身で東京女子大を卒業した。父親は順調に出世するが役員の直前で病死する。被害者が大学生の時だった。
 溺愛してくれた父の死をきかっけけに拒食症になり、父と同じ東電にはいり、エリートをめざすが30歳代半ばで出世の壁にぶちあたる。それが売春をはじめるきっかけとなったと著者は想定する。
 この仮説を論証するため、父母の家を3代前までさかのぼって調べ、生家や墓を訪れ、被害者が生まれてから死にいたるまで居住したすべての場所を歩き、東電の同僚や大学の同級生にもインタビューした。ネパール人容疑者の故郷まで足をはこんだ。
 容疑者とされたネパール人が犯行当日にたどったとされる、幕張の勤務先のインド料理店から犯行現場までのルートをたどってみると、犯行時間までに到着するのはかなり無理があることがわかったという。
 大きく堕落してしまった被害者の女性。その周囲には、世間的には「男女平等」を唱えながら昇進差別をやめようとしない東電があり、きびしい異国の生活のなかで性欲を満たすため小遣いをはたいて買春する容疑者がおり、人種的な偏見から無理な冤罪をひきおこす警察や検察の堕落があった。いわば、被害者女性の劇的と言えるほどの大堕落によって、日本社会の構造的堕落、周囲の人間の倫理的な小堕落などが浮き彫りにされることになったという。

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紙の本

紙の本モモ

2008/04/19 12:59

現代人への痛烈な批判

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 時間を節約し、忙しく働き、楽しいと思ったり夢中になったりすることがなくなり、無気力になり、合理性を求めて町は画一的になり、電飾で彩られる……。
 休日のレジャーでさえも「無駄」を廃し、静寂やヒマをおそれる。「時間の音を聞く、時間を感じる」ことができなくなる。
 現代人の生き方への痛烈な警鐘である。ゆったり流れる時間を感じる心をいつまでも持っていたい、心から泣いたり笑ったりできる感性を持ち続けたいと思わせられる。
 「有益な生き方」という考え方もいいけれど、生きることじたいを楽しみ慈しむことはできないのか。「社会の矛盾をただしたい、それが生き甲斐だ」という考え方でさえ、自分の心の扉を開いて生を享受していないぶん、弱いと思う。
 たぶん、何かの命とふれあい、自分の心がビリビリとふるえる体験を積み重ねる必要があるのだろう。

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紙の本

紙の本動物農場

2008/06/11 01:14

「ソ連」だけではなく現代にもつうじる寓話

11人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 イギリスの農園で、人間の農場主の圧政にたえかねた動物たちが革命をおこす。亡き老豚メージャーの理論を後ろ盾に、ナポレオンとスノーボールという2匹の豚が指導した。
 殺さないこと、平等であること、ベッドに寝ないこと、などの戒律をつくった。「四本足はいい。二本足はだめ」がスローガンだった。
 スノーボールは、動物の王国を守るため、各地の農場で同様の革命をおこすよう画策する。ナポレオンは逆に、まず防備をかためようと考える。2匹は対立し、ナポレオンはスノーボールを追いだした。以来、批判的な動物を処刑する必要があるときは「スノーボールの陰謀」を口実とする。
 風車を建設して電気をおこし生産力を増し豊かになれると説いた。が、人間による侵略や天災により何度も風車は倒壊する。風車の部品を得るため、雌鶏の生んだ卵を人間に売って金をかせいだ。
 動物たちは苦しい生活だったが、「おれたちはほかの農場とはちがう。おれたちは平等だし、自分たちの農場なんだ」ということを誇りに生き、人間の圧制からの解放をうたう「イギリスのけだものたち」を合唱する。
 ところが、最初にみなで決めた戒律は次第にゆがんでいく。死刑が執行され、役にたたなくなった馬は「病院につれていく」と屠場で処分される。豚と犬(軍隊)だけは農場主の家のベッドで寝るようになった。
 それでも動物たちは、多少の違和感をおぼえながらも、ナポレオン配下の犬がこわいのと、以前の記憶があいまいになったのとで「そんなものか」とうけいれる。

 そう、メージャーはレーニン、ナポレオンはスターリン、スノーボールはトロツキー、豚は官僚、犬は軍隊、風車建設は5カ年計画。「イギリスのけだものたち」は「インターナショナル」……。スターリニズムへの強烈な風刺である。
 「人民権力」がいかにしてゆがみ、権力のための権力、ボス支配へと化すか。大量の宣伝と暴力の脅しによって過去を忘れさせ、「これがあたりまえ」というあきらめと惰性の感覚をつくっていくか。
 米国のありかたを批判したチョムスキーの「メディアコントロール」と「動物農場」に描かれる世界は、前者は現代の米国、後者はかつてのソ連をモデルにしているのに、きわめて似ている。もちろん、今の日本にもあてはまる。
 どんな理想をかかげようと、あらゆる権力は腐敗する。だからこそ、情報公開などの民主主義のツールが大切であり、それ以上に個々人の意識の民主化が大事なのである、ということがわかる。

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紙の本

紙の本落日燃ゆ

2008/04/21 13:26

「統帥権」に敗れたリベラリストの生き様

11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 すさまじい小説だ。司馬遼太郎的な英雄物語になるかならぬかのぎりぎりの線を守りながら、広田弘毅という人物を描ききっている。戦争は、天皇や軍部の一部個人だけの責任ではない、統帥権の独立という体制の問題である、ということが透けて見える。
 さらにいうならば、権力の大衆操作に加担したマスコミや政治家、そして大衆自身による翼賛的な圧力がなければ広田の外交はここまで破綻しなくてすんだかもしれない。
 政府の意向も軍の参謀本部の意思をも無視して独走する軍をおさえ、平和外交をめざそうと努力するが、「統帥権」をふりかざす軍部につぶされていく。まさに「長州の作った憲法が日本を滅ぼす」ことになった。
 皇族出身の近衛首相が、大衆的な人気を背に「革新(皇道)」という時流にのって勇ましい発言をくりかえす。
 国民精神総動員運動を主唱し、表現の自由まで圧殺する国家総動員法を「流動的な戦局に即応するためには必要であり、大筋だけでも議会を通して制定したほうが、立憲の精神に沿う」と通してしまう。また軍のふりかざす統帥権に悩んで、首相を構成員とする大本営をつくろうとしたが、陸海軍に反対され、結局、首相参加は拒まれ、陸海軍合同の作戦指導部という純粋な統帥機関をつくってしまった。
 そして最後は、事態収拾の自信を失い、内閣を投げだす。その直後に「軍部をまとめられるから」と東条内閣が生まれた。近衛がお坊ちゃん人気を背に軍事独裁への筋道をつけ、広田の主導していた「平和外交」の息の根を止めたのだった。
 そう、孫の細川元首相にそっくりなのだ。お殿様の家系と「政治改革」を標榜して人気を得て、結局は与党権力の独裁化を促す小選挙区を導入した。そして最後はあっけらかんと投げだした。
 ずるずると軍国への道へと押しやられ、広田は敗北する。そして戦後、「戦争については自分には責任がある。無罪とはいえぬ」といっさい自己弁護せず、最も嫌った軍人たちとともに絞首刑に処せられる。
 死刑の直前、他の戦犯が「天皇陛下万歳!」と叫ぶ傍らで、広田は「マンザイ」と唱えた。最後の最後に痛烈な皮肉を放った。
 広田らが処刑されたその日、吉田茂は国会を解散した。戦中の指導者は忘れられ、新時代はすごい勢いで流れる。あっというまに「戦争なんて遠い昔」となってしまった。

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紙の本

ベトナム戦争の裏にあった北ベトナムの政策を解き明かす

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主に解放戦線や北ベトナム側の指導者からのインタビューを中心に、第二次世界大戦後の抗仏戦争、さらに米国との戦争、75年の解放をへて中国やカンボジアとの戦争……を描いている。当時はわからなかった戦争の裏面、政策判断をじっくり書き込んである。
 たとえば南の民族解放戦線と北ベトナム政府との関係は、北の指導下にあったものの、巧妙に隠していた。だが、完全に北の支配下にあった、というわけでもなかった。75年の勝利直前まで、南を独立した国にするという計画があったという。69年に亡くなったホーチミン自身がそう考えていたらしい。もしそうなれば、「南」政府は世界の多くの国と友好関係を結び、「北」との間のクッション役となり、86年のドイモイを待たずに、早くに経済発展を果たしていたかもしれない。
 抗仏戦争では、旧日本軍の兵士たちが教官役をつとめ、烏合の衆だったヴェトミンの指揮官に軍事教育を施したという。
 ベトナム旅行中に読んだからなおさら臨場感を感じた。
 私がビールを飲んでいるこのフエで、ベトナム戦争の帰趨を決める大規模な戦闘があり、古都が徹底的に破壊された。
 クチのこのトンネルでは、16000人のうち10000人が犠牲になるという厳しい戦いをくぐり抜け、米軍を撃退した。でも周辺では今も枯れ葉剤による病気や障害が多発している。
 普通の平和な街や村の光景があるからこそ、戦争の怖さが身に迫ってくる。

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紙の本

紙の本噓つき大統領のデタラメ経済

2008/08/31 15:32

嘘と不条理が「王道」となる不条理

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 右派からは社会主義と言われ、ラルフネーダーからはグリーバリゼーションと非難される。彼自身は自由貿易を肯定的にとらえ、政治的にはクリントンに近い。ブッシュ政権の経済政策と政治のめちゃくちゃぶりを斬るとともに、ラルフネーダーらの反グローバリゼーションの勢力も批判している。
 大部分の学者やジャーナリストがブッシュ政権を正面から批判できなくなっていた時期、彼は「ブッシュはうそつきだ」と痛烈に指摘していた。
 「コラムニストらの多くはワシントンに住み、同じティーパーティーに行き、集団的思考を産む。9月11日まではブッシュは、阿呆だが正直者というのが共通の理解だった。それが9月11日以降は、タフな英雄で、決断力があり、清廉な『世界のテキサス・レンジャー』になった。…ジャーナリストの仕事は内部情報を取ることだが、私の場合、ほとんどは公表されている数字や分析に頼っている。だから政府高官に気に入ってもらう必要もないし、ジャーナリストのように人に気を遣いながら書くこともない」
 前文のこの指摘は、密着する政治家にひきずられて「政治家報道」に流れ、有事法制や教育基本法をめぐる議論を正面から批判できなかった日本のメディアにもあてはまる。
 ブッシュは、「まさかそこまでは」ということをやってきた。
 例えば減税の目的は、「財政黒字の還元」だったが、赤字に転じると「短期的景気刺激策」にかわり、さらに「長期的な経済成長」へと変化した。イラク侵攻の理由も、「アルカイダとフセインの関係」から「核疑惑」になり、「化学兵器を含めた大量破壊兵器」へとかわった。実は、(金持ち対象の)減税もイラク攻撃も、ずっと以前から計画されていたことだった。
 さらに政権幹部は、企業への露骨な利益誘導があきらかになっても開き直って辞任しない。エンロンの元トップが政権幹部に居座りつづけた。あまりの恥知らずさに周囲があっけにとられているうちに、事態は進行し、うやむやになったという。「恥知らず」の強さである。
 厚生年金の不正加入が見つかった小泉元首相が「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と開き直り、イラクで大量破壊兵器が見つからないことを指摘されて「フセインが見つからないからといってフセインがいないことにならない」と詭弁を弄したのとそっくりである。
 しかもその詭弁を恥知らずに援護するマスコミが力をもっているところまで似ている。
  イラク戦争中に「ブッシュよ交替しろ」と発言したケリー上院議員は「愛国心を疑われる」と猛烈なマスコミのバッシングにさらされたという。
 規制緩和によって、テレビやラジオが一部の大資本に支配され、ブッシュ関連のラジオ局が戦争支持集会を組織した。権力とマスコミが結託して不条理を条理としてしまう様子はまさに、オーウェルの「1984年」の世界である。

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紙の本

紙の本地雷を踏んだらサヨウナラ

2008/05/27 11:47

死が身近だから生が輝く

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ついさっきまで戦争ごっこをしていた少年が、本物の弾で殺される。兵士が行軍するわきの川で子どもたちが遊び、農婦がただずむ。戦争と日常が隣りあわせであり、民衆の痛みが目の前に見える戦争だったのだ。
 戦場をもとめて前線を歩き、すぐ隣の兵士の頭が吹き飛ばされる。足がすくみながら、それでも戦場を歩きつづけ、「アンコールを見られたら死んでもいい」と言い残してカンボジアの前線にむかって連絡を断った。
 カンボジア人やベトナム人の友人と交流し、戦場に住む人々の夢や希望を聞く。とりわけ、教師をしているカンボジアの友が結婚し、「夢」を語る場面は痛々しい。彼らの幸せな結婚式からわずか数年後、教師や医師といったインテリは皆殺しにされることを、読者である私たちは知っているからだ。
 恋をして、女を買い、「ベトナムは美人が多くて仏教徒でも性は自由です」と言って、カンボジアからベトナムにでてきて……。生と性と死が濃密に交わる日々をすごす姿がまざまざとうかびあがる。倫理とか道徳とかを超越した「生」がある。

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紙の本

紙の本自然に還る 新版

2008/04/26 09:21

農を通して「神」を感じる生き方

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「分別知は否定している」と筆者は言う。神をしばしば口にして、現代の「知」を否定する。だから、学者が周囲から遠ざかってしまう。でも、読めば読むほどまっとうなのだ。
 科学者は物を分解していけば生命の根源がわかると思い、陽子や電子を発見した。遺伝子をも解析し、改変さえするようになった。だがどんなにミクロにわけいっても「生命」は見えてこない。むしろ、遺伝子操作や核など、自然=神を崩壊させる方向に向かった。
 天文学者はより遠くの宇宙を観測できるようになったが、宇宙の始まりと終わりは永遠に解明できそうにない。
 農業技術者はよりよい収穫をあげようと肥料を開発し、その肥料で育った稲を病気から防ぐために農薬をつくった。だが、肥料によって一時的に生産量が増えても、長期的には地力が衰え、それをカバーするためにさらに肥料や農薬を必要とするようになった。「何もしない」自然農法の単位面積あたりの収量を大きく上回ることはできないどころか、一定面積に投入するエネルギーが、収穫がもたらすエネルギーを上回るようになってしまった。その結果が、アメリカなどの砂漠化だ。
 筆者は「いかに何もしないで作物を作るか」を実践してきた。人間が汚す前のように豊かな大地をつくり、果樹や野菜の「自然型」をさぐり、神が創った「自然」をとりもどせば、何もしなくても最高の環境ができるはずだ。野菜も果物もたわわに実る、エデンの園のような世界が実現できるはずだ、と努力してきた。
 筆者はあらゆる「知」を否定する。神を理解しようとすることじたいが無意味だという。では生命や神を「知る」ことはできないのか。彼が言う「いっさいは無」とはどんなときに感じられることなのか。
 土を耕し、草を抜いているとき、何も考えずふっと意識がとぶ一瞬がある。小鳥の声、虫の羽音、そういったものが伝わってくるときがある。禅をするよりなにより、百姓こそが神に近い存在だと彼は言う。

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紙の本

死ぬまで社会部記者のやせ我慢を通したダンディズム

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1993年に透析を始め、5年後に肝臓ガンが発見され、右目失明、結腸ガン手術、右足切断、左足切断……「寿命がつきる時期と連載の終結時を両天秤にかけながら」死の直前までかけてつづった文章をまとめた。けっきょく最終回までたどりつけなかった。
 闘病記や貧乏物語が大嫌い、といい、自分の病気の話はほとんどふれない。そのダンディズムというか意地っ張りというかやせ我慢がかっこいい。突っ張り通した人生だったんだなあとよくわかる。
 「由緒正しい貧乏人」を自称し、権威も権力もきらい、「社会部記者」であることに誇りをもって生きた。
 朝鮮半島で豊かな子ども時代をすごしたが、戦後、引き揚げ者として貧乏のどん底に。徹底的にいじめられ友人ができなかったが、この体験があったから他人の痛みがわかるようになった、という。
 戦後民主主義の熱気が残っていた1955年に読売新聞に入る。「二流紙」と自称していて、やさぐれていて稚気あふれる集団だった。「新聞記者の末路なんて哀れなもんだよ。定年になって小さなおでん屋でもやってるのはまだましなほう」などと言う先輩もいた。鼻っ柱の強い筆者は、「生意気でいいんだ」「生意気でいいんだ」と支えられて遊軍記者として育てられた。
 世の中全体が、民主主義への希望にあふれていた。筆者が一生安アパートで暮らしたのは、「いずれ通勤に便利な場所に、質のよい公共住宅が、手頃な家賃で豊富に提供されるようになる。ならなければ政治にそれを要求すればよい。そう楽観的に考えていた」からだという。国民の意思によって政治はかわり得ると信じていた。
 ところが、貧しく純粋だった都市部の「お仲間」は、「うさぎ小屋」を取得したころから保守化し、自らが「中流」と思いこむ。
 「民主化は精神的近代化に始まる。しかし、日本人の多くは、民主化する手前のところでポチ化していった。所得倍増という餌にころりと行ってしまった」と筆者は言い、「お仲間たちよ、憲法の前文をしっかり読んでみなさい」「お仲間たちは痛い目にあわないとわからないから、不況がつづき弱者に辛い社会になればよい」と書く。
 世の中が保守化するのと軌を一にして、昭和30年代後半から社会部の衰退が始まる。気が付いたときには、主張すべきことを主張しない人間が圧倒的多数派を形成していた。
 そんな状況のなか筆者は、「野糞の精神」を若い仲間に説く。
 ……上に噛みつくには勇気がいる。お互い、そういうものはたっぷりとは持ち合わせていない。だが、空元気にせよ勇気を振り絞らないわけにはいかないではないか。言論の自由を金看板にしている以上、まず、自由な言論の場を社内に確保しなければならない。全員で立ち上がって欲しい。できないなら、せめて野糞のようになれ。それじたいは立ち上がることはできないが、踏みつけられたら確実に、その相手に不快感を与えられる。お前たち、せめてそのくらいの存在になれよ……なるべく量と面積を稼いでおいて、踏んだヤツが味わう不快感を、少しでも大きくすることである……。
 ナベツネが全権を掌握すると読売社会部は死に、粛正の嵐が起きる。「交通戦争」という名前を流行させた小倉貞夫記者は窓際に追いやられ、封筒貼りといった仕事を押し付けられた。
 --身内にむかって、批判はおろか意見具申もできない腰抜けどもが、戦前のように国家権力が牙をむいて襲いかかったら、いったいどうなるのか。社内権力を批判したところで、最悪の場合でも、通信部あたりに飛ばされるのがせいぜいであろう…せめて記者ならば、空元気でいいから物を言えよ--
 内向きにだらしない新聞記者を全編を通して何度も激しく批判している。
 読売を退社してフリーになり、物書きのだれもが憧れた「文藝春秋」に執筆の場を与えられたが、路線が合わないために手を切ってしまう。
 「私は世俗的な成功より、内なる言論の自由を守りきることの方が重要であった。気の弱い人間だから、いささかで強くなるために、自分に課した禁止事項がある。欲を持つな、ということであった。金銭欲、出世欲、名誉欲。これらの欲をもつとき、人間はおかしくなる。そういうものを断ってしまえば怖いものなしになるのではないか……その私にやがて救いの手が伸びる。それがなかったらいまごろホームレスにでも転落して、のたれ死にしていたであろう」
 これが絶筆となった。
  「救いの手」とはいったい何だったのか。知りたければ、彼の著作を丹念に読み直すしかない。

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紙の本

不条理を見すえ、現実と格闘するヒューマニスト

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 絞首刑のあと、死体の近くで酒を飲み笑いころげる。ロバの死骸が路傍で犬に食われるのを見て腹をたてるのに、薪を背負って運ぶ貧しい老婆には同情のかけらも感じない。白人である筆者を尊敬する黒人兵を見て「あといつまでこの人たちを欺いていられるのだろう」と考える。
 暴れ象を射殺したときは、貴重な財産である象を撃つ必要など感じないのに、「土民たち」の期待が高まり、支配者としての威信を保つため射殺する。後から苦力が象に殺されていたことを知って「これで象の射殺を正当化できる」とホッとする……。
 植民地で憲兵をつとめるオーウェルは植民地支配を不当だと思っている。でも彼の描くのは、死=厳粛、被支配者への共感、人種差別=悪……という「良心」の型におさまらない光景ばかりだ。非倫理的で不条理な光景や思考を正面から見すえることで、植民地では、支配者(白人)もまた「支配者」の役割を演じる滑稽な操り人形でしかないことが浮き彫りにされる。

 自らの主義や良心や立場によって、現実を見る目が曇ることをオーウェルは徹底的に戒める。だからファシストだけでなく、「味方」であるはずの左翼をも批判する。
 スペイン内戦を前にして左翼雑誌は当初、「戦争は地獄」と平和主義を説いたが、後に「戦争は栄光」とロマンチックな戦争を描きだした。主義や方針の転換によって「現実」の描き方は簡単に転換した。
 オーウェルは、悪臭と汚物とシラミにまみれた戦争の現実から説き起こし、「『正義』のためだろうとシラミはシラミだ」「反ファシスト派のほうが大筋では正しいが、いずれにせよ、党派的歴史であって細かい点は信用できない」と書く。
 書かれたものだけが「記憶」となる。だからこそ、政治的な抽象的な言葉ではなく、現場の不条理な現実を具体的に記録しようとしつづけた。

 地べたの現実を見つづける彼の立場から第二次大戦を見ると、ヒトラーに降伏するか戦うか二者択一の状況のなかで、「絶対的平和主義」などは茶番である。むしろ「進歩的になりすぎた左翼の腑抜けどもよりはましだ」と軍国主義者を評価する。軍国主義者は、忠誠を尽くす対象が社会主義に転換する可能性があるが、「革命のとき、ひるんで逃げ出すのは愛国心を感じなかった人間」だからだ。

 では、反ソ連の立場を明確にした社会主義者であるオーウェルにとっての「希望」はどこにあったのか?
 彼は「国際的プロレタリアート」という左翼のスローガンは「絵空事」と断じる。「大半の労働者は他国の虐殺よりサッカーのほうが関心がある」からだ。だが一方で、労働者だけが最後までファシズムとたたかいつづけるだろう、と期待を寄せる。植物は盲目で愚かだが、常に光の方に向かって伸びることだけは知っている。同様に労働者はひとえに人間らしい生活のためにたたかいつづける--と。
 彼は労働者の「物質主義」を「人間の運命や存在理由に悩むのは、苦役と搾取をなくした後である」と擁護する一方で、長いスパンで見たときは、「死後の生命に対する信仰=キリスト教」が消滅した後の穴を埋める「天国と地獄とは別の善悪の体系」をつくらなければ人間が文明を救うことはできないだろうとも書いている。
 格差や物質的貧困と同時に、「幸せ」の姿が見えなくなっている現代の日本を予見しているようだ。でもどんな混迷状態にあっても、「人間らしい生活」を求める意思は人類が生き残る限り存続するだろう。そこにこそ希望がある、とオーウェルが今生きていたならば語るのではないだろうか。

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紙の本日常を愛する

2009/02/01 12:52

社会変革の志と日常への愛と細やかな感受性をあわせもった老医師のエッセー

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦前の左翼学生が「人民への奉仕」をテーマに小児科医になった。
 中流時代になるにつれ、「階級闘争」は大時代的になってきた。「市民的抵抗」にしても、「市民というのは政治で飯を食っている人にはわからないほど、なかなか忙しいものだ」。そうした変化を冷静に見つめ、筆者はしだいに日常の重みへと視点を移していく。
 この本は、「日常」を愛しその大切さを訴えてつづった晩年のエッセーだ。
 老いと死を前にして、「先が見えてきた」なかで本を読みつづけ、自立した個人としての生き方を日々の生活のなかで追求しつづける姿が神々しい。死ぬ前日まで、育児本の改定をするために、最新の医学書のチェックを怠らなかったという。
 日々の生活や政治と格闘しながら、細やかな感受性と青年時代からの志をもちつづけられたのはなぜだろう。
 以下に列挙するように、筆者の言葉ひとつひとつが朝露の滴のように輝いている。彼の言葉の輝きは、彼の人生の輝きそのものなのだろう。


「 世界は虚無であるからこそ、人間と人間でつながりあった世界をきずかねばならぬ」
「 自由を好む人間にとって恐ろしいのは、神の名や家族の愛の名のもとに、個人の生き方(自己決定権)が否定されることです」
「 私は私だという個性を大事にしたい気持ち、その個性を少しでもいいものにしようという気持、それが他人から認められたときに誇りが生まれます。……人格の尊重、人権の尊重のない社会では人間の威厳はありません」
「情報産業が力をもつと、日常を支える平凡をくだらなく思う風習になってきた。旅行、商品、海外……どれも日常からの脱出だ。……戦争という日常の否定に国民がかつてなぜ参加したか。当時の情報産業が、新規なもの、センセーショナルなものとし送り込んだものが、やがて洪水になって日常をのみこんでしまったのだ」
「(老い)むだだった骨折りの集積のなかに、むなしさばかりでないものが、でてくる。その少しばかりの甘美なものが、やがておそってくる理不尽な虚無である死を、多少こわくなくしてくれる」
「(不沈空母発言について)74歳になる私は艦のどこで本を読めばいいのか。孫の男の子は艦のどこでミニカーを押していいのか。まだ治療を続けている妻は艦のどこで休んでいればいいのか。とまどわねばならぬ。大いにとまどわねば。国を航空母艦にするということは、老人、女、子供、障害者は足手まといになるということだ」
「革命運動も学生たちにとってはボランティア活動だったというべきだろう。いまその運動から離れている人には、その運動がいかに偉大だったかではなく、それに参加したことが自分の生をどれだけ豊かにしたかを書いて欲しい」
「いっしょに生き、同じ思想をもち……65年たったが、まだおたがいを知りつくせない。それだから、いつ会っても、いくら話してもたりない気持で別れる。だから人間は孤独であるとは言わない。だからこそ、みんなで、おたがいに理解できる部分をつくっておかないと社会はもたないと言いたい」

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紙の本

紙の本キャパその死

2008/10/16 08:50

伝説の写真家は孤独だった

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ヨーロッパ戦線で連合国軍が勝利し、仕事もなくなり、ピンキーという恋人も失った。何をしていいかわからなくなり、途方にくれ、気力を失った。31歳のときだった。
 映画や回想録づくりなどを試みるが、戦場写真ほど満足できる場が見つからない。稼いだ金は女漁りとシャンパン、ギャンブルにつぎこむ。そんなとき、イングリッド・バーグマンと出会い、愛しあった。
 貧乏カメラマンのアンドレだった時代に夢見た地位も名誉も女性もすべて手に入れたのに、彼の内面は空虚だった。
 マグナムを創設し、レッドパージで弾圧されかかり、建国されたばかりのイスラエルをユダヤ人の立場で取材する。それでも空虚さは埋まらない。
 そんな状態で日本を訪ねたとき、「急用ができたカメラマンのかわりにちょっとだけベトナムに行ってくれないか」と頼まれる。再び名声を確立し、自ら復活するきっかけになるのでは、と判断したのだろう。インドシナに向かい、敗色濃厚なフランス軍を取材することになった。20日もたたない5月25日午後3時、地雷をふんで死亡した。
 「ロバート・キャパ」という伝説にしばられ、最後はあがいていたように見えるという。
 筆者の細かい取材による、場面の再現。その綿密さと莫大な労力には舌を巻くしかない。

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紙の本

紙の本だれが「本」を殺すのか 上巻

2008/08/31 15:23

再販制がもたらす書店の甘え

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本は、再販制と委託返品制に守られてきたという。
 売れなかったら返品してもよい、定価が決まっていて不当なダンピングがないから「良質だけど売れない本」を扱える。もし書籍独特のこうした制度がなければ、「売れる本」しか作らなくなってしまう--。
 再販制撤廃に反対する出版者のそんな声をきいて、なるほどそんなもんかな、と思ってきた。
 ところがそう単純ではないらしい。「売れなければ返せばいい」と思うから、売れる見込みのないものまで注文して、それをどんどん返品してしまう。だから書店から取り次ぎに本の注文が入っても「どうせ返品だろ」と取り次ぎは信用しない。その結果、店頭で本を注文しても消費者に届くまで2,3週間もかかってしまう。
 流通という血管が目詰まりをおこしているのだ。
 返品が可能だから、「仕入れ」に対して書店の甘えが生じる。売ろうと努力しない…
 大型店のジュンク、老舗の海文堂、こだわり書店、ユニークな地方書店、取り次ぎ、出版社……。下流から上流まで徹底的にさかのぼって取材して、「本」の危機を浮き彫りにしている。

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紙の本

紙の本在日

2008/06/11 01:20

全世界に「在日」がいるという気づき

12人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 在日問題に限らず、イラクやアフガンなど様々な問題で辛口の発言をしている筆者の基盤は、ふたつの故郷の狭間にいる「在日」という境遇にある。インサイダーでもアウトサイダーでもないからこそ、どっぷりと日本に浸りきっている日本人には見えないものが見えるという。
 「狭間」の境遇を積極的に生かす筆者はしかし、子供のころから自分のおかれた状況になやみつづけてきた。そんな半生を、格好つけず、てらうことなく、赤裸々につづっている。
 在日2世として朝鮮戦争の年に熊本に生まれた。学校では歴史の授業に疎外感をおぼえ、家では、かたくなに朝鮮半島の因習にこだわる母に違和感をかんじた。
 一世にある「朝鮮民族」としてのアイデンティティは欠落している。かといって日本人にはなれない。根っこがない不安定な感覚になやみ、ときに過剰なほどにナショナリスティックにもなった。
 「在日」としての自分、「在日」の世界観にしばりつけられていたことに気づかされたのが、30歳を前にしたドイツ留学のときだった。
 在独ギリシャ人の友人の父母は、ドイツでは差別され、それでもギリシャ文化を頑固に守りつづけていた。まさに自分の父母ら「在日1世」とおなじだった。在日は孤立した存在ではない。全世界に「在日」がいる。在日の問題は普遍性のある問題なのだということに気づく。
 今は、一世の思いを胸にしっかり抱いて、しかし、彼らにできなかったことをやっていこう、「東北アジア人」として生きていこうと思っているという。

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紙の本

利子がつかぬ通貨が地域に果たす役割

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 モノは、時間がたてば古くなり価値がなくなるのに、通貨は長期間保有するほど利子がついてもうかる。モノやサービスとの交換手段にすぎない通貨が、なぜそんな特権的な機能をもつのか--という疑問が全編にわたって提示されている。
 利子が得られるからためる。ためこむから流通がとどこおり、社会全体の購買力が減り、不況をもたらす。「利子」は商品やサービスの価格に付加されるから、けっきょく末端の消費者が損をする。利子で生活ができる金持ちと、微々たる貯金しかできない庶民のあいだの不平等を生みだすことになる。
 それを解決するために「地域通貨」が登場する。他のモノと同じように、時間がたつほど価値が減る、あるいは価値が増えない。
 「庭掃除」とか「家具作り」とか、会員が自分の提供できるモノやサービスを登録し、その報酬を地域通貨でうけとる。会員の商店やホテルでは、全部または一部を地域通貨ではらえる。
 また、1カ月ごとに1%の額のクーポンを買って裏面に貼らなければつかえない、といった価値が減るシステムを導入することで、できるだけ早くつかおうとする。だから通常の通貨の数倍のスピードで流通する。実際、1929年の大恐慌時に地域通貨を導入し、雇用増と活性化に成功した町もあるという。
 地域に限定した通貨だから、金・資本がコミュニティの外部に流出しない。大規模店の進出で危機に直面する商店街などでも効果をあげる可能性がある。多国籍企業に対抗する手段にもなりうるだろう。
 さらに、個々人が自らの思わぬ能力を開発することにつながるケースもある。地域通貨のネットワークに参加することで、自ら提供できるサービスやモノをかんがえる。普通のカネの世界では仕事とみなされなかったささやかなサービスや品物が新たな仕事として浮上する可能性があるという。
 ただ、「減価する通貨」を導入しさえすればいい、と単純に結論づけることはできない。ハイパーインフレの社会では「減価する通貨」があたりまえであり、貯蓄しても意味がないから、すぐにモノを購入し、貯蓄が意味をなさず刹那的に生きるしかない……。
 そう考えると、地域通貨はあくまで「地域」に限定するから有効であるととらえたほうがいいのだろう。
 いずれにせよ、カネの考え方を180度かえる興味深い本だった。

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