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31件
沈黙
著者 遠藤周作
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
沈黙
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沈黙 改版
2006/02/27 11:07
神はこのようにして見出されたのかもしれない
33人中、32人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
キリシタン迫害史を背景に、信仰の根源に迫る小説。何度か読んだのであるが、今回感じたのは「人間とは認められたい動物なのだ」ということだった。
作者は長崎で一つの磨り減った踏絵を見たことでこの小説を書いたのだそうである。師が転宗してしまったと伝え聞き、その後を継がねばと日本に向かった主人公の司祭。彼がキリシタンの里に隠れ、捕まり、師に会い、彼もまた踏絵を踏んで転宗していく過程の描写はぐいぐいと読者を引っ張っていき、映画を観ているようである。まるでユダのように転宗、裏切りを繰り返すキチジロー、「日本にはそなたの宗教は根付かない」と文化の違いを語る凄腕の奉行など、主人公以外の登場人物にも考えさせられるところが多い。信仰とは何か、日本人の宗教とは何か、などを描いた小説として有名な作品であり、表題になった神の「沈黙」についても読者はそれぞれ、いろいろな考えを読み取るだろうと思う。
最後に踏絵を踏む場面はこんな風に描かれる。:
「その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」
以前はこの文の後半に感動し、キリスト教とはこういうものか、と少しわかった気持ちがした。
今回は「この私が一番よく知っている。」の部分が心にささった。結局、主人公も「どんな選択をしても、神が知っていてくれる」と信じることで生き続けることができたのだろう。そうだとしたら、なんと人は「どこかで認知されている」ことを求めるものなのだろうか。日本人でも「お天道様が見ている」などと表現することがあるではないか。神とは、そのようにして人間に見いだされたものなのかもしれない。宗教とは、をこんな風に考えされられた。
よい作品は読む度に新しい発見をくれる。「沈黙」もそんな一冊である。
沈黙 改版
2006/06/20 11:16
頑張れない人
15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:だいちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
『頑張った人が報われる社会を!』と声たかく叫ぶ人がいます。頑張った人が、頑張ることができる人に更に手を差しのべる必要があるのか!と言いたい。それはともかく、頑張れない人、洗礼を受けてもその司祭を裏切ってしまう人がいる。その人は悔やんで、悔やんで裏切った司祭に救いを求めてしまう。これが人間なんだと、改めて知りました。
「じゃが、俺(おい)にゃあ俺(おい)の言い分があっと。踏絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏絵をば俺(おい)が悦んで踏んだとでも思っとっとか。踏んだこの足は痛か。痛かよオ。俺(おい)を弱か者に生まれさせておきながら、強か者の真似ばせろとデウス(キリスト)さまは仰せ出させる。それは、無理無法と言うもんじゃい」
5年の間に3回読んでどうしてもこの言葉に涙します。弱い者、頑張れない人がいるんだ、というそれでいいんだ。という気持ちになります。あなたはどう感じますか?
沈黙 改版
2007/07/30 00:38
守るべきもの
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:じゃい - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポルトガルの教会に、ある教父が遠い東洋の島国で信仰を棄てたという連絡が入る。
尊敬していた恩師の棄教が信じられない3人の若い司祭は、日本に向かう。
その3人のうちの一人が教会へ向けた書簡という形で話が始められた。
内容は歴史の授業で学んだであろう、激しいキリシタン狩りの状況。
神はなぜ沈黙しているのか。
あなたを慕っている人間がこのようなひどい目にあっているのに。
心を引き裂かれるような叫び。
なぜ。なぜ。
特定の宗教に信仰のない私にはどこまで意味が理解できているのだろう。
キリシタンにとって神というものがどういう意味を持つのか?
私がこの本の中から読み取れたことは、全てを愛すもの。
ではあなたは沈黙しているのですか?
本の中で主人公はある一つの決断をする。
私はこの主人公の決断にテレビや本の中のヒーローを思い出した。
ヒーロー達は守るものがあるから強くなれるという。
本では神の御助けがあったため、拷問にも耐えられるのだという。
自分のなかの守るべきと信じるものを、守るため。
主人公の下した決断も、なにかを守るためだったと思う。
信仰。信念。愛。いろいろ考えたが、よくわからない。
ただ、守るというのはいろいろな方法と見え方が存在するのだと。
一つの行動がある面からみれば、とても残虐に見え、ある面から見れば慈愛に満ちたものかもしれない。
主人公がなぜ。なぜと葛藤している姿は、著者本人と重ねて見え、ひどくつらい。
だがそれを上回る感動があった