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18件
砂の女(新潮文庫)
著者 安部公房
砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した長編。20数ヶ国語に翻訳されている。読売文学賞受賞作。(解説・ドナルド・キーン)
砂の女(新潮文庫)
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砂の女 改版
2009/02/06 19:59
現代社会を鋭く描いたシュルレアリスム文学/戦後文学の金字塔『砂の女』
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鯖カレー - この投稿者のレビュー一覧を見る
昆虫採集が好きな男が、珍しいハンミョウを求めて電車に乗り、たどり着いた広大な砂丘。男はそこの変わった住人に、一人の女と一緒に砂の穴に閉じ込められてしまう。過酷な生活を徐々に体に馴らしながら生活を営むが、やがて男は何度も脱出を試みる。果たして、男は「砂」から逃れることが出来るのだろうか……
1962年に発表され後に海外でも多数翻訳されており、翌年には読売文学賞、68年にはフランスで最優秀外国文学賞を受賞しているこの安部公房の小説。
砂の流れる生き物のような奇妙な性質を持つ物質、そこにひきよせられるハンミョウ。
穴の中で社会の歯車として生きる女、それに反発し穴からの脱出を試みる男。
この小説には無駄な比喩など何一つなく、全てがこの現代社会を映す鏡となっており、様々なことに対し問いかけをしている。
穴の中という狭いながらも、現代社会を濃縮した空間で、必死に生きる二人の人間の姿を冷静に描きながら時代を鋭く読み取った、超現実的作品。
日本文学戦後派の金字塔。
砂の女 改版
2009/09/08 02:50
若い日に読んだ「砂の女」を40年後に読み返してみて
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学生のときに「魔法のパイプ」という物語がラジオで放送され夢中になって聞いた。面白かった。べらぼうに面白かったが、安部公房という作者はその名前の響きから、もう70過ぎのおじいさんだと勝手に思い込んでいた。もうすぐ死ぬだろうからこんな面白いのを書く人がいなくなると残念だなと思った。
それが高校生のときに、国語の教科書の「赤い繭」で再会し、びっくりした。若いバリバリの作家だったのだ。以後、安部公房の作品を夢中になって読んだ。それだけ「赤い繭」に大きな衝撃を受けたのだった。
そして「砂の女」も読んだ。当時どんな感想を持ったかは定かには覚えてないが、たぶんこの砂の中に閉じ込められた生活は現実にはない砂のすり鉢の底だけど、見ようによったら現実の我々の生きている世界そのものだと思ったと思う。
そして40年後、今も多くの若い人たちがこの本を読んでいることに、はじめは何か意外な感じがしたのだが、それはむしろ当然のことだったのかも知れない。昭和30年代、40年代というのは共産主義、社会主義と結びつけて安部公房の本が読まれていた雰囲気があったように思う。(これは私の思い込みだったのかも知れないが。)ソビエト連邦が崩壊して18年、時代の雰囲気は変わってきたのだが安部公房の本は時代を超えて読まれている。時代を超えてひきつけるものがあるのだろう。
今思うに、「砂の女」のテーマは遠く2000年以上の昔にインドでも考察されていたことだと思う。仏教経典にすでにこのテーマを扱っているものはあるのだ。もちろん砂の穴の中というわけではないが、人間の日常の生活をどう捉えるかということにおいて、このテーマはいつの時代も気になるテーマだったのだろう。
これを踏まえてどう生きるかが次のテーマとして当然あがって来る。小説「不落樽号の旅」は、その次のテーマを扱っているのか、それとも根本的に日常生活の捉え方を「砂の女」とは別にしているのか定かでないが、砂の女とともに気になる作品だ。不落樽号旅
砂の女 改版
2004/09/21 00:08
欲望と砂漠
8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:脇博道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
と書評タイトルを書いて、あれ?これではアントニオーニの映画の
タイトルが2つ並んだだけではないかと思いつつもほかに思い浮か
ばないので、とにかくこれでよしとして(勝手に決めるな!)この
不毛きわまりない小説を読んだ率直な感想を記述するとすればミニ
マルな不条理で充満しているというほかないのであるがさりとて笑
いを誘発するこれといった情景も特には見当たらないのであるが主
人公が砂のバンクを登っても登っても滑りおちてしまう事は突発的
な思い出し笑いを誘発する情景と考えればああこの小説はあまりの
救いのなさに全編笑いの連続と考えれば現代の不条理のアレゴリー
に満ちた小説などという紋切り型の解釈など一気にぶっ飛んでしま
うわけであるし仮にこの主人公(男性)と副主人公(女性)を置換
したとすればおそるべき犯罪小説に変化してしまうのではないかな
どという埒もあかない空想にふけったりするのもこの小説のあまり
にダルな雰囲気のせいにしてもそのような事を考える罪は勿論読者
たる私にあるのであって小説自体にはなんの責任もない事は自明の
事ではあるがしかしなんと巧妙に仕組まれたプロットであると今さ
らながら感じるのはこういうわけであるどういうわけかというとこ
のような事態におちいった場合主人公の行動パターンにはいささか
の意外性があるはずもなく大抵の人間が9割9分このような行動を
とるのではないかという慨然性に裏打ちされてはいるのだがむしろ
意外で不可解な行動をとるのは副主人公たる女性のほうであってこ
の小説にはフェミニズム的視点なぞ微塵も存在してはいないがアマ
ゾネス的視点は充満している感があり国内はもとより海外において
も日本文学研究の題材として多く使用されているという事実はもし
かしたら大谷崎の春琴抄と好一対の題材として存在してるのではな
いかという突拍子もない考えにも至るわけではあるがとにかく砂漠
のクレーターは人間にとって最もてごわい事物のひとつであるとい
う認識をいやというほど味あわせてくれる唯一無比の小説であるこ
とだけは微塵の疑いもない事実である。