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ハイデガー入門
著者 細川亮一 (著)
二〇世紀哲学における最大の巨人と称されるハイデガー。半世紀以上にわたり、彼の思想はあらゆる知の領域に圧倒的な影響を及ぼしてきた。哲学史上最重要な作品の一つとして、大いなる成功と絶望的な無理解の断層に屹立する哲学書『存在と時間』。そこに隠された真の狙いとは何なのか? 本書は難解で知られるハイデガーの思考の核心を読み解き、プラトン、アリストテレス以降の西洋哲学が探求し続けた「存在の問い」に迫る。ハイデガー哲学の魅力の源泉を理解するための一冊。
ハイデガー入門
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紙の本ハイデガー入門
2002/04/15 20:44
毅然たる入門書
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつて『存在と時間』を読んで、そこに出てくる「根本感情」や「不安」や「良心の声」等々のハイデガー語が煩わしくて仕方なかった。いっそ「X」や「φ」や「#」といった記号で表現してもらえればすっきりするだろうと思った。この書物は何か名状しがたい根源的なものを立ち上げ読者すなわち私を揺り動かす不気味な力を漲らせているのだが、それがどこから来てどこへ導こうとするのか皆目見当がつかなかったのだ。
古東哲明氏は『ハイデガー=存在神秘の哲学』で、『存在と時間』に出てくる「世界」や「実存」や「死」や「歴史」といったキータームは「形式的指標」であって、直接それを規定したり定義できる概念ではないと指摘している。そう聞くと何となく腑に落ちるところがある。これは誤解かもしれないが、たとえていえば料理のレシピ、あるいはゲームのルール書か裏技暴露本のようなもので、要所要所で参照すれば確実にある行為(もしくは実存変容)を遂行できる手引書として『存在と時間』を読むことができるということだ。
このことと関係するのかしないのか私には判然としないのだが、細川氏は本書で、ハイデガーの「存在」テーゼ(存在は「存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)である」)に出てくる Woraufhin という言葉に注目している。
《Woraufhin という語は英訳では(略)「それを基礎とするそれ」と訳されている。そして日本語でも「基盤」などの訳が一般的に使われている。しかしこれは基本的な誤訳・誤解である。Woraufhin という言葉は、auf...hin という前置詞句と関係詞 wo からつくられ、Woraufhin という語は、auf eywas hin の etwas を指す。auf...hin は「……へ向けて」という方向を原義としており、評価や行為を導く視点を言い表す。》(64頁)
細川氏は本書で一貫して Woraufhin を「それへ向けてのそれ」と理解し、これを『存在と時間』における最も基本的で重要な術語の一つであると指摘している。そして Woraufhin からプラトンのイデア論へ、そしてアリストテレス存在論の核心的なテーゼ「存在者は多様に語られる、しかし一へ向けて(プロス・ヘン)」に出てくるプロス・ヘン(一へ向けて)へと遡及していくのである。
本書の魅力は「はじめに」で予告されている三つのプログラム──すなわち『存在の時間』をプラトンとアリストテレスの存在への問いを新たに立てる試みとして解釈すること、ウィトゲンシュタインとハイデガーとの出会いに形而上学の視点から光をあてること、そしてハイデガーが哲学者としてナチズムのうちに見たものを神の死と形而上学から考察すること──が相互の有機的連関のもとに整然と叙述され、さらに「ハイデガーを通して」そして「ハイデガーに抗して」のハイデガーからの解放への道(たとえばアリストテレス『デ・アニマ』の思想史への着目や新たなニーチェ像の提示の可能性)が展望されることにある。つまり、自らが不要とされる領域まで読者を案内する潔さにある。
そして本書の真骨頂は、ハイデガーはドイツ語での表現を大切に考える哲学者だから『存在と時間』を翻訳で読んでわかった気にならないでぜひドイツ語で読んでほしいと読者に要請し、子供が知らない漢字を読み飛ばして平仮名だけを読むような読み方や「おとぎ話(作り話)」による理解を峻拒する著者の態度にある。その意味で、本書は毅然たる入門書なのである。