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収容所(ラーゲリ)から来た遺書
著者 辺見じゅん
戦後12年目にシベリア帰還者から遺族に届いた6通の遺書。その背後に驚くべき事実が隠されていた! 大宅賞と講談社ノンフィクション賞のダブル受賞に輝いた感動の書。
敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書。ソ連軍に捕らわれ、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を敬慕する仲間たちの驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかいくぐったものだった。悪名高き強制収容所(ラーゲリ)に屈しなかった男たちのしたたかな知性と人間性を発掘した感動の傑作。第11回講談社ノンフィクション賞(1989年)、第21回大宅壮一ノンフィクション賞(1990年)を受賞。
解説・吉岡忍
収容所(ラーゲリ)から来た遺書
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収容所から来た遺書
2005/09/04 12:16
俳句が収容所生活にダモイ(帰還)への希望をもたらしたという真実。
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
敗戦の一週間前、ソ連は一方的に日ソ不可侵条約を破って満州に攻め込んだ。
シベリアの刑務所に入っていた犯罪人を俄仕立ての兵隊として進軍させ、兵員を輸送してきた貨物列車には略奪した関東軍の軍需物資を満載してソ連内地へと引返していく。その繰り返しの果てには一般市民の財産を没収し、略奪し、婦女子を強姦して廻った。まさに鬼畜の仕業である。
更には、日本軍の兵隊を「日本に帰還させる」と偽ってソ連各地の収容所に送り込んだのである。日本軍の兵隊だけでは頭数が足りないとみたのか、民間人の男までもがソ連各地の収容所に送り込まれた。
これは大きな国際法違反であり、人道に対する罪、平和に対する罪であるが、軍事裁判が開かれた形跡は無く、処罰されたソ連軍人がいたなどとは聞いたためしもない。
そして、なんと、驚くことに、日本政府はこの違法行為に関する賠償請求権を放棄してしまっている。不可侵条約に続いて、またもや赤いキツネに騙されている。
本書はこの収容所に送られた日本の軍人のうち、ソ連の国内法に抵触したという戦争犯罪人を集めた収容所での話である。戦争犯罪人といっても東京裁判、横浜裁判、その他の裁判同様、満足な裁判も受けられずに判決が下りている茶番劇裁判の結果である。
ここでも、多くの収容所と同じく、わずか一塊の黒パンを食べたいが故に罪もない仲間を売ったり、一刻も早く帰還したいがために仲間を告発したりと、同じ日本人とは思えない仕業が繰り広げられていた。
そんな殺伐とした収容所の中で山本幡男という人物が俳句の会を開いた。
無断の集会や紙への記録はご法度の収容所であるが故に、地面に木の枝で俳句を書いて楽しむという方法で一人二人と同好の士を集めていく。
ダモイ(帰還)、という希望の言葉を胸に抑留者は理不尽な重労働、栄養失調に耐えていたが、その苦しい生活の中での俳句は生きる喜びを収容者に与えていった。
その俳句の会を主催していた山本幡男が帰還を目前に病に倒れ、日本で帰りを待つ家族にあてた遺書を仲間が届けたのである。紙に書いたものは全てソ連側に没収されるので、山本幡男の仲間たちは手分けして遺書を暗記し、頭に叩き込んで帰国したのである。
かつての収容所仲間から届く部分、部分の遺書に山本幡男の家族も驚くばかりであったと思うが、地獄の底に咲いた一片の花の美しさに驚きと感嘆の声をあげるしかなかった。アウシュビッツの収容所で過酷な労働と死を待つしかないユダヤ人も、ほんのいっときの夕日の美しさに心を奪われたそうであるが、過酷な条件下でも人は人として生きることができることを山本幡男は証明したのである。
本書のクライマックス、引揚船がソ連領海を出たところで興安丸のマストに日の丸が掲揚される。この瞬間、抑留者の間から感嘆の声があがるが、この描写だけで言葉以上の喜びを感じる。
昭和31年、「もはや戦後ではない」と経済企画庁が宣言したそうであるが、その年の暮れ、山本幡男の遺書を頭に叩き込んだ男たちを乗せた興安丸は舞鶴に入港したのである。
収容所から来た遺書
2016/11/26 10:33
感動しました。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
感動しました。前半は、むしろ淡々としたソ連での抑留生活の描写であり、ソ連の理不尽さや仲間を売ってでも自分は助かろうとする同じ日本人抑留者へのいきどおりを感じる程度であるが、後半になるとそのような逆境の中でも正義を信じて自分らしい生き方を貫き通した主人公・山本幡男の強さに涙を誘われる。そして、そうした生き方に賛同し、それを支えた同胞たちの努力にも敬意を表したい。山本幡男が呼びかけたアムール句会に集まった人々を観ると、優れた軍人は優れた文化人でもなければいけないとつくづく感じさせられる。さて、山本幡男なる人物像は下記のとおりであるが、むしろ共産主義思想家で、かつロシア文化にも造詣の深かった山本が、「反共」「反ソ」思想の持ち主として過酷な戦犯としての抑留生活を強いられたことに時代の矛盾・不幸を感じると同時に、ソ連型共産主義=スターリン体制の異常さを伺わせる。
なお、著者である辺見 じゅんはむしろ歌人として有名な人らしいが、本書を読む限り綿密な取材を通じて素材を完全に消化し、それを再構成することにより物語性も兼ね備えた“ノンフィクション小説”に仕上げており、小説家としての実力もかなりのものとみえる。残念ながら、2011年9月21日に逝去している。
収容所から来た遺書
2013/11/20 22:09
日本人の原点を感じました
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BACO - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノンフィクション作品です。
この本はぜひ読んで頂きたいと思います(「あとがき」までしっかりと)。
読みやすいかと聞かれると正直言って読みにくいところはありました。
実際、詩の紹介のところなどは斜め読みしてしまいました...。
特に中盤は場面設定がころころ変わって話の流れが折れてしまった感もありました。
しかし、そこをグッとこらえて終盤まで頑張って読み続けて頂きたいと思います。
終盤の山本の病床のところからは一気に「遺書」のところまで読み続けてもらいたいです。
私はこの「遺書」(特に「子供等へ」のところ)を読んで現代の日本人に欠けているものを感じました。
そこを感じ取るだけでも読む価値はあるかと思います。
また、山本の「遺書」を遺族に如何にして伝えたか、にも敬意を払うところです。
余談ですが、鹿児島の知覧にある特攻記念館で読んだ遺書と通じるものを感じました。