- みんなの評価
9件
神曲
著者 ダンテ・アリギエーリ , 平川祐弘
一三〇〇年春、人生の道の半ば、三十五歳のダンテは古代ローマの大詩人ウェルギリウスの導きをえて、生き身のまま地獄・煉獄・天国をめぐる旅に出る。地獄の門をくぐり、永劫の呵責をうける亡者たちと出会いながら二人は地獄の谷を降りて行く。最高の名訳で贈る、世界文学の最高傑作。第一部地獄篇。
神曲 天国篇
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
神曲 地獄篇
2015/06/07 23:29
神曲最高の日本語訳
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:北嶺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
神曲はこれ以外にも読もうとしたことがあったのですが、最後まで読み切れたのはこの本だけでした。他の訳者の訳は神曲という格式高い文学を意識してか、きれいであっても辞書なしにはわからない言葉を使っているものもあったのですが、この本ではそういったことがあまりありませんでした。神曲は映画や漫画、小説など、様々な作品の題材になることが多い作品なので、一読の価値はあると思います。
神曲 地獄篇
2011/05/08 18:10
地獄の棲家は我にあり
8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
神曲、地獄篇。
政変によって都を追われ、流浪の身となったダンテは、その生きる力の矛先を文学に傾けた。その高圧電流のような幻視力は、700年の時を越えて現代に生きる我々を魅了、いや感電させ続ける。とりわけ、この地獄篇は。
人が抱く思いは、これほどまでに深く、濃く、黒くて重層的な世界を現出させ得る。人が人の世にあって地獄を描くのは、人の心の中にこそ地獄があるからで、そこに現れる描写の緻密さ細密さは、人の心に降り積もる悪なるものの存在がそれだけ強烈で、粘着質であるがゆえ。
そんな地獄を、人々は洋の東西を超え、宗教宗派を超えて読み継いできた。イスラムにとっては悪魔の書であるにもかかわらず、それでも読み継がれてきた。世界文学史上の大傑作などとも呼ばれるくらいだから、むしろ「貪るように」読んできた、と言ったっていい。神曲はもちろん、地獄だけを描いた作品ではなく、地獄から天国へと至る道のりを高らかに謳い上げた大詩篇であるわけだが、万人に響き、魅了し、感電させ続けてきたのは、この地獄があまりにも魅力的だったからではなかろうか。この地獄が集合無意識的な人々の心理を、図らずも描ききってしまったからではなかろうか。
地獄は人で埋め尽くされている。そこでは自然は脇役である。自然に、地獄はない。人生の道半ばにして暗い森に迷い込んだダンテは、空想上の師、ウェルギリウスと共に、悔いや迷いや怒りや哀しみをボルテージにして、地獄から生き直し始めた(わたしには、いま日本人が想起すべき空想上の師は、宮沢賢治に思える)。
時代を経て生き残った古典は、何度でも読んで何度でも解釈しなおせる。この後の人生でも、煉獄篇も天国篇もきっと何度も読む。でもその前に今、地獄篇を前にして何度でも書いておこう。地獄はわたしたちの中にある。どんな過酷な自然にも、地獄はない。
神曲 地獄篇
2020/05/21 10:07
主人公のダンテが地獄の門をくぐって地獄の底にまで降り、死後の罰を受ける罪人たちの間を遍歴していきます!
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、中世イタリアの詩人ダンテによって著されたイタリア文学最大の古典とされる書物です。地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部から成っており、同書はその「地獄篇」です。内容は、ユリウス暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して巡るというストーリーです。地獄篇では、地獄に入ったダンテが、私淑する詩人ウェルギリウスに案内され、地獄の門をくぐって地獄の底にまで降り、死後の罰を受ける罪人たちの間を遍歴していく過程が一つ一つ詳しく描かれています。同書は、非常に分かり易い名訳であり、読者にも読みやすいものとなっています。ぜひ、このイタリア古典の最高峰の『神曲』を読んでみてください。