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女薫の旅
著者 神崎京介
山神大地は、美貌の教師・島野に呼び出された。魅力たっぷりの先生のリードに、大地は男として初めての快感を味わう。それ以来、先輩に呼ばれ、旅館の若女将から布団部屋に誘われる……。伊豆・修善寺を舞台に、性の目覚めから女体遍歴の旅立ちまで「週刊現代」連載で話題となった官能ロマン。
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女薫の旅 背徳の純心
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女薫の旅
2002/04/04 22:56
身体(プシューケー)をめぐる性愛と感性のコミュニオンの物語
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
何気なく(でもないけれど)勝目梓の解説が付いた文庫版第一作を手にして、つい(でもないけれど)勢いで「灼熱つづく」「激情たぎる」「奔流あふれ」と、シリーズ第四作まで一気に読んでしまった。
1998年11月から始まって、現在も『週刊現代』に連載中の性的ファンタジー(叙情派官能小説?)。もしかしたら勘違いかもしれないが、一作ごとに著者の筆力が高まっている。「生きた貨幣」としての主人公の身体(プシューケー)をめぐる性愛と感性のコミュニオンの物語、と書けば言いすぎか。
女薫の旅陶酔めぐる
2002/04/04 22:54
動物的欲求(器官愛)と人間的欲望(人格愛)が解離的に共存したノベルゲーム
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
複数の女性との同時進行的な「純愛」(唯一の恋愛)がいかにして可能か。あるいは倒錯的欲望や三角関係や嫉妬といった趣向を凝らさず、ただひたすら性愛描写を反復するだけでいかにして読者を飽きささないか。
──神崎京介の「女薫の旅」シリーズは、東浩紀氏の「データベース‐シミュラークル」モデルで解読することができる。臭いや匂い、香りや薫りに彩られた性愛描写(小さな物語)の分岐的反復のうちに愛のデータベース(大きな非物語)が蓄積されていく、言い換えれば、動物的欲求(器官愛)と人間的欲望(人格愛)が解離的に共存したノベルゲーム(このシリーズの時代設定も何やら意味深である)。
《近代の小説においては、主人公の小さな物語は、必ずその背後の大きな物語によって意味づけられていた。だからこそ小説はひとつの結末しかもたず、またその結末は決して変えてはならなかった。
対してポストモダンのノベルゲームにおいては、主人公の小さな物語は意味づけられることがない。それらの物語は、データベースから抽出された有限の要素が偶然の選択で選ばれ、組み合わされて作られたシミュラークルにすぎない。したがってそれはいくらでも再現可能だが、見方を変えれば、ひと振りのサイコロの結果が偶然かつ必然であるという意味において、やはり必然である。再現不可能だと言うこともできる。大きな物語による意味づけを運命だと考えるのか、有限の可能性の束から選ばれた組み合わせの希少性を運命だと考えるのか、おそらくここには小説とノベルゲームの差異にとどまらず、近代的な生の技法とポストモダン的な生の技法のあいだの差異が象徴的に示されている。…シミュラークルの水準で生じる小さな物語への欲求とデータベースの水準で生じる大きな非物語での欲望のあいだのこの解離的な共存こそ、ポストモダンに生きる主体を一般に特徴づける構造だと筆者は考えている。》(東浩紀『動物化するポストモダン』,124-125頁)
女薫の旅衝動はぜて
2002/05/26 18:25
純愛小説
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
シリーズ第6弾ともなると、同じことが延々と反復されるマンネリ感がひとつの魅力になってくる。この作品──心身合一の純粋な性愛を描いた純愛小説にして非暴力的な教養小説(「女の躰はね、そういうものなの」)──が「読者の圧倒的支持」にささえられて現在も『週刊現代』で「好評連載」されている(と、著者紹介欄に書かれている)ことは、ひとつの社会心理学的考察の素材ではないかとさえ思う。