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新装版 虚無への供物
著者 中井英夫
昭和二十九年の洞爺丸沈没事故で両親を失った蒼司(そうじ)・紅司(こうじ)兄弟、従弟の藍司(あいじ)らのいる氷沼(ひぬま)家に、さらなる不幸が襲う。密室状態の風呂場で紅司が死んだのだ。そして叔父の橙二郎(とうじろう)もガスで絶命――殺人、事故?駆け出し歌手・奈々村久生(ななむらひさお)らの推理合戦が始まった。「推理小説史上の大傑作」が電子書籍で登場。(講談社文庫)
新装版 虚無への供物(下)
05/08まで通常825円
税込 413 円 3ptワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
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虚無への供物 新装版 上
2005/10/15 08:54
狭義の推理小説の範疇に収めておいてはいけない
17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yu-I - この投稿者のレビュー一覧を見る
ミステリファンの間では超がつくほど有名な作品だが、ミステリを読まない層にはどのていど認知されているのだろうか…と懸念して、昨年新装版が刊行されたことも鑑み紹介させていただく。
呪われた一族、密室殺人、自称探偵たちが一堂に会しての推理合戦…外形はあきらかに本格ミステリだ。それも過去のミステリの名作への敬愛に満ちあふれ、次々に展開されるロジックも高度で、ミステリファンに向けて書かれた濃密なミステリという印象である。
しかし、最後まで読めばこれがたんなる推理小説でないことがわかる。アンチミステリ——反推理小説と呼ばれるゆえんが、物語のラストにおいて燦然と現れる。まあ筆者としては、反推理小説というよりは超推理小説とでも呼びたいところなのだが、それはさておくとして。
本書で扱われる犯罪は、虚無への供物だ。
そしてそれをえがききったこの作品もまた、虚無へ捧げられた供物なのである。
ミステリへの深い愛とともにこの作品に詰め込まれているものは、この世界への激しい憤りだ。それを激情のままでなく、厭世的な失望感でもなく、娯楽性あふれる推理小説に昇華したところに高い文学的価値を感じる。
怒りを怒りのままに、失望を失望のままに書くことは難しくない。しかしその怒りを、失望を、それでもこの世界を愛したいという強い願いを、このような上質なミステリに仕上げてしまったということはほとんど奇跡のように思える。
この作品がはじめて刊行された1964年当時と現在、どちらに残酷な「虚無」が多くはびこっているのか、64年に未だ生まれていない筆者には判断がつかない。
しかし現在においても著者が憎んだ「虚無」は、さまざまな形で世に横溢している。筆者がミステリファン以外にもこの作品を是非読んでもらいたいと願うのは、それゆえである。
冒頭「サロメの夜」と同じ夜に著者が没して12年。だが本書は今も、「虚無への供物」としてその価値を保ち続けている。
虚無への供物 新装版 上
2004/07/06 14:18
時代と犯罪の関係を意識しながら、美しく幻想的に、しかしいびつでバロックに提示された特別な存在感ある小説。
18人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京創元社から全集の形でも刊行されているが、ずっと分厚い1巻として出ていた講談社文庫版が2巻になって登場した。どこの文庫も、文字を大きくするための改版が進んでいるから、その流れに沿った改訂には違いないだろうが、この2004年という年は、どうやら作家・中井英夫にとって節目の年らしい。
2月29日が『虚無への供物』刊行40周年の日であったそうだ。そして15年前の6月、中井英夫は終の棲家と考えていた世田谷区羽根木の地から離れざるを得なかった。私事で恐縮だが、羽根木は隣町。中井氏の散歩道だったところを私は始終うろついているらしい。
50年前の1954年9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が転覆した。1155名もの犠牲者が出た国鉄最大の事故であり、タイタニック号に次ぐ海難事故ということになる。ギュンター・グラスが『蟹の横歩き』で扱った大戦中のヴィルヘルム・グストロフ号転覆——ナチス・ドイツが伏せていたため9000人もの犠牲者を出したというのに知られざる事故だったから、それが史上最悪の海難として、洞爺丸は3番目の規模である。青函トンネル着工の直接の引き金となったこの事件を舞台に、水上勉が『飢餓海峡』を書いているが、『虚無への供物』もこの事故を背景としている。
「ザ・ヒヌマ・マーダー」と作中人物に名づけられる連続殺人事件が、ゴシックな屋敷のなかで展開していくわけだが、そもそも主要登場人物の氷沼蒼司・紅司兄弟の両親は、洞爺丸沈没事故で両親を失ったという設定である。その「ザ・ヒヌマ・マーダー」の幕が切って落とされる日付が1954年12月10日。黒天鵞絨(ビロード)のカーテンそよぐ下谷・竜泉寺のゲイ・バア「アラビク」から始まる。
加えて言うなら、物語が始まったのと同じ日付の1993年に、中井英夫はみまかった。——ドラマティックなものに引き摺られてしまうのは、私だけではあるまい。
アンチ・ミステリーという形をとって『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』とともに推理小説の3大奇書として挙げられる本書である。本格派推理小説にふさわしい複雑な謎解きを収斂させていくことではなく、逸脱させたり破綻させたりを平気でやってのける作品の魅力については多くの人が語っているので、ここでは触れることを遠慮する。
注目したいのは、そのようにアンチ・ミステリーという形をとったことの根にあったものである。
冒頭、バア「アラビク」の立地についての話を少し振ったあとにすぐ、作者は1954年という年の陰惨な事件の数々に触れている。連続殺人事件の物語を始めるに当たって、その年の殺人件数の異常な多さに触れ、さらに二重橋圧死、第五福竜丸、黄変米、そして洞爺丸の諸事件を挙げ、それをあっさり「新形式の殺人が次から次と案出された年だからでもある」(11P)と裁定している。
高度成長前夜の50年代は、松本清張が『日本の黒い霧』でも表わしたように、GHQの思想統制などにより、インテリ層にとっては何とも暗澹たる閉塞感に満ちた時代だったろう。それを『虚無への供物』という言葉ですくいあげ、全篇にその時代の空気を漂わせたこと——これは戦後日本文学のひとつの大きな収穫ではないか。
虚無への供物 新装版 下
2004/07/06 17:23
架空の“光る薔薇”の、おそらくは決して咲くことがない花の姿を思い浮かべるように、ふっと遠い眼づかい(本文389Pより)——それは、おそらく中井英夫のまなざし
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
中井英夫という作家が小説につけるタイトルは、『人外境通信』『悪夢の骨牌』『真珠母の匣』『名なしの森』という具合に、どれもその幻想世界を彷彿させる誘惑に満ちた妖しげな光を放っている。なかでも『虚無への供物』は、また何とスタイリッシュな題名ではないか。
かれこれ20年の昔から「かっこいい」と思いつづけているが、この言葉はポール・ヴァレリーの詩篇「『虚無』へ捧ぐる供物にと 美酒すこし 海に流しぬ いとすこしを」からきており、中扉のタイトル下に添えられている。1950年代は欧州を虚無が覆い、実存主義の虚無との闘いが展開されている。フランス文学に親しんだ作家には当然その辺も射程に入っており、50年代の日本の閉塞感が重ねられていたことだろう。
しかし、この題は決して社会的な音としては響かない。ただひたすらに、哀感に満ちたものに対峙する孤独な人間の営みの残響だけが伝わってくる。
中扉をめくると献辞もある——「その人々に」と。洞爺丸転覆事故のような人為的災害の犠牲者たちに捧げられたのか。虚無の時代をともに生きた人びとに捧げられたのか。あるいは、孤独な人間の営みの残響を感じ取れる人へ向けられた言葉なのかもしれないとも思う。
部屋の住人の名前に合わせてインテリアの色がコーディネートされている。部屋から部屋、色の符丁を伴いながら殺人事件が起きていくのだが、そこには目黒や目白といった五色不動、薔薇の花などの色彩がにじまされる。色に集中して読み進めると不思議な位相が浮かび上がってくるかもしれない。
色のほかにも探偵小説やらシャンソン、東京の地誌に植物の系統分類、呪術に力学の平衡式などの多彩な要素が、どこかお茶目な登場人物たちの、都会的なポンポンポンとした調子の会話を滑らかに進めていく。
色の符丁ということにも少し絡むが、今回再読してみて私が気に留めたのは、探偵気取りでザ・ヒヌマ・マーダーに首を突っ込んでいる奈々村久生というチャーミングな女性の造型である。それを性格や仕草、行動で描いていくに当たり、まず着ている物から彼女のあでやかさ、存在感を演出してしまうのが素敵だ。
男性読者の多くはヒロインを前にして「どんな体をしてるんだ?」と考えるであろうから、たぶんこのような読みは女性読者の楽しみだろうと思うのだが、性的な場面なくしてそういうところでの描写で読ませてしまうのは、やはり作家の性的興味の問題であったのだろうか。
「ざっくりした黒白の七分コートに、緑の革手袋を脱いだところで、白い手と、化粧のない顔とが薄明りに浮いている(上巻13P)」「きょうは、正月以来、久しぶりの和服で、光琳風の飛び模様を染めつけた上代に、違い菱を織り出した銹朱に金の糸錦の帯、綸子の長襦袢が袖口からほどよくこぼれようというあしらいなので、せいぜいつつましい顔で控えていたが、(下巻253-254P)」「ダーク・ローズのお召に、金と黒のフランスレースを思わせるような豪奢な縫取りを見せた訪問着の久生も、優しい微笑を忘れず、(下巻324P)」——外衣から、場面ごとに応じて変わる彼女の内面の状況をさらりうかがわせることに成功している。
読み終えた読者にまたの再読を誘惑するこの小説の魅力は、司法では裁き切れない犯罪の実相とともに、論評では語り尽くせない幻惑性をふんだんに盛り込んだことなのだろう。