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6件
歎異抄
著者 梅原猛
悪人正機説や他力本願で知られる真宗の開祖・親鸞。危険思想視され烈しい弾圧にあいながらも、人々に受け入れられていった、その教えの本質とは何か。師の苦悩と信仰の極みを弟子の唯円が綴った聖典に詳細な語釈、現代語訳、丁寧な解説をほどこした。日本人の「こころ」を追究する著者の手でよみがえる流麗な文章に秘められた生命への深い思想性。
歎異抄
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歎異抄
2019/09/13 18:18
浄土真宗や宗教そのものの何たるかが分かる名著
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」を何度も読んでしまう。また善行をもって往生を期待する心には既に傲慢が棲みついていると。信仰とは何か深く考えさせられること自体がこの書の愉しみかもしれない。親鸞の言葉を唯円が伝え、それを梅原先生が分かりやすい言葉で私たちに語りかけてくれるような、そんな気持ちになった。青年期に1度は読んでおく本である。「歎異抄」に、感銘を受けて、宮澤賢治は熱心な浄土真宗の門下となり(のちに、キリスト教、最後に法華経信者になった)、彼の詩に大きな影響を与えたほどの本。
歎異抄
2019/04/30 11:31
偽善を排した親鸞の教え
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:弥生丸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」あまりに深い一節。善をもって浄土を期待するところに既に驕りがある。阿弥陀如来の慈悲は善悪の別を超越していると説く第三条。
寄進や学問の形式主義、善行の裏にある偽善を厳しく批判した親鸞。ひたすらに阿弥陀如来を信じて念仏することが浄土への道に繋がるという教えは、生きるために殺生を重ねざるをえない民衆の心を強く捉えただろう。
一方、いかなる悪行を重ねても浄土に行くことができるという教えは、悪の肯定につながりかねない危険をはらんでいる。また、親鸞による教団権威主義の否定、見せかけの禁欲主義(殊に女犯)の否定は危険思想とみなされた。故に幾度か弾圧を受け、晩年には息子の背信という悲哀をみている。
強く惹かれるが一度では理解しきれない。親鸞と唯円の生涯にも触れた梅原猛氏の解説が大いに助けになった。幾度も言葉を噛みしめながら読みたい書である。
歎異抄
2010/11/29 22:12
オーソドックスな視点の方が読み易い。
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の解説は内容が濃くて、読み易い。梅原氏の解説は近年のものと違って至って正統派的なものだが、その方が突飛な発想がなくていい。
大正10年に発見されて12年に刊行された恵信尼消息が「最近やっと明らかになった」(273頁)とあるのは、親本が刊行された昭和47年でも変な表現だが。恵信尼消息と「歎異抄」が覚如上人によって「口伝鈔」をはじめとする著書に利用されたというのも、「歎異抄」の一つの歴史だ。
覚如上人の著作には「口伝鈔」をはじめ直筆が残っているのに、「歎異抄」の最古の写本は蓮如上人の書写本だから、参考資料として使われた「歎異抄」の覚如蔵本は南北朝から文明の乱の間に消えてしまったわけだ。康永本「御伝抄」の後書に建武の戦乱で焼けた「御伝抄」の元となった写本がある事が記されているし。
浄土宗系の史料で親鸞聖人の痕跡が残っているのは「七箇条起請文」の署名(221頁)だけ、とあるが、「法然上人絵伝」(四十八巻伝)の同起請文に署名した念仏者の中に「綽空」という名前が出てくる。岩波文庫版や「浄土宗聖典」でも、この読みが採用されているが、「法然の哀しみ」444頁には「禅空」という読みが使われている親本がある事が書かれている。「法然上人伝全集」では、この読みが採用されている。鎮西派なり西山派なり、当時の法然門下では「親鸞」という名前が持っているのは、せいぜい「七箇条起請文」の署名者の一人、といったものだったろうか。
第二条の「念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふろう。」という箇所は日蓮聖人の「念仏無間」に対する反批判という解説がある(26~27頁)。日蓮聖人と唯円は同世代人だが、日蓮聖人の遺文には「親鸞」という名前は出てこない。比叡山に遊学した事があり、「選択本願念仏集」を熟読して、法然門下に対して知識が豊富な日蓮聖人は御存知なかったのだろうか、と思う。