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丹波哲郎 見事な生涯
著者 野村 進
「人間、死ぬとなぁ、魂がぐぅーっと浮き上がっていくんだよ。それで、どんどんどんどん上昇していく。ところが、天井でぶつかって、一度反転するんだ。すると、ベッドの上には自分の骸(むくろ)がある」
「やがて、かなたに小さな光が見えてくる。その光に向かって、どんどんどんどん走っていく。どんどんどんどん走っていく。でも、息切れしないんだ。なぜか? ……死んでるから」
大俳優・丹波哲郎は「霊界の宣伝マン」を自称し、映画撮影の合間には、西田敏行ら共演者をつかまえて「あの世」について語りつづけた。中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。
「死ぬってのはなぁ、隣町に引っ越していくようなことなんだ。死ぬことをいつも考えていないと、人間、ちゃんとした仕事はできないぞ。おまえも、いつでも死ぬ覚悟、死ぬ準備をしといたほうが、自分も楽だろう」――
丹波は1922年(大正11年)、都内の資産家の家に生まれ、中央大学に進んだ。同世代の多くが戦地に送られ、生死の極限に立たされているとき、奇跡的に前線への出征を逃れ、内地で終戦を迎える。
その理由は、激しい吃音だった。
終戦後、俳優を志した丹波は、舞台俳優を経て映画デビューし、さらに鬼才・深作欣二らと組んでテレビドラマに進出して大成功を収めた。
高度成長期の東京をジェームス・ボンドが縦横に駆け抜ける1967年の映画『007は二度死ぬ』で日本の秘密組織トップ「タイガー・タナカ」を演じ、「日本を代表する国際俳優」と目されるようになる。
テレビドラマ「キイハンター」、「Gメン’75」で土曜午後9時の「顔」となり、抜群の存在感で「太陽にほえろ!」の石原裕次郎のライバルと目された。
『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画にも主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた。
その丹波が、なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。
数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。
丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか。
若かりし頃に書かれた熱烈な手紙の数々。
そして、終生背負った「原罪」――。
「死は待ち遠しい」と言いつづけ、「霊界」「あの世」の素晴らしさを説きつづけた大俳優の到達した境地を解き明かすことで、生きること、そして人生を閉じることについて洞察する、最上の評伝文学。
丹波哲郎 見事な生涯
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丹波哲郎見事な生涯
2024/05/08 02:54
実に面白かった GW読書の収穫
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
直感が当たり、充実した読書体験を得ることのできた一書。丹波哲郎という好漢(と云わせて頂きますが)の真の内面がどのようなものであったのかは知る由もありませんが、解像度の高い描写で、(大蔵)貞子夫人や東島邦子さんとの関係性なども含め、その生きざまが手ざわり感をもって体感できました。実に面白かったですね。
「丹波さん・・・・・・、お見事な生涯でございました!」(5頁、西田敏行による弔辞の最後の言葉)
「奇妙なことに、美輪明宏や江原啓之をはじめとする何人もの霊能者が、別々の時間に弔問したのに、まったく同一の光景を見たと証言している。祭壇の中央におかれた棺の上に、丹波が長い足を組んで腰掛け、さも満足げにほほえんでいたというのである。」(14~5頁)
「お前のいない間、当地で僕がどうしていたか、そっと教へてやる。それは大変かわいそうな話だが、風呂の中でお前の寫眞を見ながら・・・・・・してた。」(327頁、江畑絢子さんへの手紙より)
「早くお前の冷い白い裸をだきしめたい。お前の口唇に僕の部厚い胸を押しつけたい。」(332頁)
「壁一面の本棚には内外のアダルト・ビデオも並べてあったが、マスコミが書斎の撮影に来る日は、事前に堀が目につかないところに隠した。」(391頁)
それにしても、丹波哲郎の霊界にまつわる活動が、使えない僧侶(宗教家)への批判を内包していたというのは、なるほどと感じ入りました(178頁および240頁)。